第三話
入学式から三日が経った。
超管理型AI高校、私立藤が丘高等学校の朝は、無機質な電子音と共に幕を開ける。
枕元のスマホが震え、SA(Student App)の通知が網膜を刺激した。
『おはようございます、宇佐美陽菜さん! 本日のラッキーアイテムは「予備のモバイルバッテリー」。恋の充電切れにはご注意を!』
『現在SP:149,940 SP』
『本日の予定:1限・現代文、2限・数学、3限・英語、4限・体育』
「……恋の充電切れって何。余計なお世話だし」
私は寝ぼけた頭で毒づきながら、重い体を起こした。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、舞い上がる埃をキラキラと照らしている。春の朝特有の、少し湿り気を帯びた土と若葉の匂いが、わずかに開いた窓から漂ってきた。
スマホを操作しようとすると、画面上部に親友の瑠衣からの通知が連投されていた。
【瑠衣:ひなちーん、おはよー!☀️】
【瑠衣:緊急事態発生🚨】
【瑠衣:今日の数学の宿題、やった?】
【瑠衣:あたし、完全に忘れてた……動画見てたら朝になってた😱】
【瑠衣:SP残高ヤバいから未提出だと死ぬ! 独房行き確定! 助けて!】
画面の向こうで涙目になっている瑠衣の顔が容易に想像できて、私は思わず吹き出した。
この学校において、課題の未提出は成績評価(SP)に直結する。SPの枯渇は、文字通り「社会的死」を意味するのだ。
【陽菜:おはよう。やってあるよ。ノートの画像送ろうか?】
送信ボタンを押して数秒後。
【瑠衣:神!!!!✨】
【瑠衣:ひなちんマジ天使!😇💕】
【瑠衣:一生ついていく! 靴舐める!】
【陽菜:靴は舐めなくていいから。あとで購買のパン奢ってね】
私は苦笑しながら、制服に袖を通した。
糊の効いたシャツの感触が、肌に心地よい緊張感を与える。鏡に映る自分は、どこにでもいる普通の女子高生だ。
……少なくとも、表面上は。
私は母に――このSAシステムの開発責任者である母に、定時報告のメッセージを打った。
『システム稼働、異常なし。生徒間のSP格差によるストレス値の上昇が見られます。引き続き監視します』
送信完了。私は「スパイ」としての顔を隠し、ただの「宇佐美陽菜」として寮の部屋を出た。
広大なキャンパスを歩く。
すれ違う生徒たちの会話は、夢や希望よりも、もっと切実な数字の話ばかりだ。
「昨日の課題、終わった?」
「全然! 諦めて寝たわ。マイナス500SP確定」
「マジで? お前、先月の『奉仕活動』サボったから、これ以上減ると学食のA定食食えなくなるぞ」
「うわ、詰んだ……。今日の昼、素うどんかよ……」
「SPなくなったら『独房(ザ・セル)』行きだからな? 気をつけろよ」
独房。
成績不良者や校則違反者が送り込まれる、更生施設。噂では、朝6時から夜9時までAIによるスパルタ教育を受けさせられるらしい。
みんな、その恐怖に怯えながら生きている。
この学園は、一見すると楽園のようだが、その実態は残酷なまでの実力主義社会だ。
教室に着くと、瑠衣が机に突っ伏して死体のようにぐったりしていた。
「おはよー、ひなちん……」
顔を上げた瑠衣の目の下には、見事なクマができている。
「大丈夫? 生きてる?」
「ギリギリ……。ひなちんのノートのおかげで、なんとか提出できた……」
「それはよかった。自業自得だけどね」
「うぅ……動画サイトのレコメンド機能が優秀すぎるのが悪いのよ……」
瑠衣が甘えるように私の腕にすり寄ってくる。
彼女の体温と、甘いシャンプーの香りがふわりと鼻をかすめた。
その瞬間、私のポケットの中でスマホが短く震えた。
『接近感知:親密度上昇の兆し。現在の距離、30センチ。推奨アクション:ハグ(50SP)』
(……いちいち通知してこないでよ)
私は心の中でAIに悪態をつきながら、瑠衣の頭を軽く撫でた。
その時、前の席の美咲ちゃんが振り返った。
「おはよー、宇佐美さん、瑠衣ちゃん」
「おはよう、美咲ちゃん」
「宇佐美さん、数学の宿題もう終わってたんだ。すごいね」
「うん、昨日のうちにね」
「私なんて、泣きながら朝までかかったよ……。宇佐美さんって、何でもサラッとこなしちゃうよね」
美咲ちゃんが羨望の眼差しを向けてくる。
私は曖昧に笑って誤魔化した。
別に天才なわけじゃない。
ただ、母のためにこのシステムの「標準的な優等生」を演じる必要があるから、予習復習を欠かさないだけだ。
でも、その「演技」が、私の首を絞めることになるとは、この時の私はまだ知らなかった。
一限目:現代文『恋愛論』
チャイムと共に現れたのは、田中先生だった。40代半ば、穏やかな口調だが、その目は生徒の思考の深さを測るように鋭い。
「おはようございます。では、教科書の第三章を開いてください」
先生が板書したタイトルを見て、教室の空気が一瞬で凍りついた。
――『恋愛論』。
AIによって管理され、恋愛すらも「コスト」として計算されるこの学校で、恋愛論。
なんという皮肉だろう。
田中先生が朗読を始める。
「『恋とは、理性では説明できない感情である。それは突然訪れ、人の心を支配する。恋をした者は、相手のことばかり考えるようになり、日常生活にも支障をきたすことがある。しかし、それでも人は恋をする。なぜなら、恋は人間にとって、最も美しく、最も切ない感情だからだ』」
先生の声が、静まり返った教室に染み渡る。
私の胸の奥が、ドキンと跳ねた。
理性では説明できない。
突然訪れる。
相手のことばかり考えるようになる。
ふと、脳裏に浮かんだのは――あの人の顔だった。
入学式の日。非常階段の下で、過呼吸に苦しんでいた生徒会長、天川麗奈。
完璧な仮面の下に隠された、脆くて、壊れそうな素顔。
私を見つめた、あの濡れた瞳。
握りしめた手の、驚くほどの熱さ。
(……いや、違う。あれはただの人助け。恋愛感情なんかじゃない)
私は首を振って雑念を追い払おうとした。
その時、田中先生が教科書を閉じ、教室を見渡した。
「さて、この一節について、皆さんはどう思いますか? AIに管理されたこの時代において、『恋』とは何でしょうか?」
沈黙。
誰も手を挙げない。
下手に発言して、AIに「恋愛リスクあり」と判定されれば、SPが減るかもしれない。みんな、保身に走っているのだ。
田中先生の視線が彷徨い――そして、私と目が合った。
「では、宇佐美さん。どう思いますか?」
(うわ、当たった……)
私は観念して立ち上がった。
クラス全員の視線が突き刺さる。瑠衣が心配そうに見上げている。
私は深呼吸をした。
建前で答えるべきか?
「システムにとって非効率なバグです」とでも言えば、優等生らしい回答になるだろうか。
でも――口をついて出たのは、私の本音だった。
「……恋は、確かに理性では説明できないと思います」
私の声は、静かな教室によく響いた。
「計算して落ちるものじゃないし、コストパフォーマンスで測れるものじゃない。システムで制御しようとしても、きっと溢れ出してしまう」
私は、あの日の麗奈の体温を思い出しながら続けた。
「恋は――気づいたら、そこにあるものだと思います。予期せず、突然に。まるでシステムのエラーみたいに。でも……それが人間らしくて、美しいことなんじゃないかと」
言い終わってから、私はハッとした。
少し、感情的になりすぎただろうか。キザだったかもしれない。
教室はシーンと静まり返っている。
やばい、変なこと言った?
冷や汗が背中を伝う。
しかし、田中先生は深く、満足げに頷いた。
「『気づいたら、そこにある』……素晴らしい考察です。まるで実体験があるかのような、重みのある言葉ですね」
「い、いえ! 実体験なんてありません! 一般論です!」
私は顔を真っ赤にして、慌てて否定した。
心臓が早鐘を打っている。
席に座ると、瑠衣が小声で囁いてきた。
「ひなちん、今のすごかったよ……なんか、詩人みたいだった」
「やめてよ、恥ずかしい……」
私は机に突っ伏した。
穴があったら入りたい。もう、今日は誰とも目を合わせたくない。
だが、この学校のAIシステムは、そんな私のささやかな願いを、残酷なまでに踏みにじった。
休み時間:ハイライト機能、暴走
休み時間。
教室の空気が少し緩んだ頃、黒板の上に設置された80インチの大型モニターが、突如として起動した。
けたたましいファンファーレが鳴り響く。
『速報! 本日のハイライト✨』
『優秀な発言をした生徒をピックアップ!』
え? 何?
嫌な予感がして顔を上げると、モニターには私の顔が大写しになっていた。
さっきの授業中の映像だ。
「はあああああ!?」
私は絶叫した。
しかし、表示されたテロップは、私の予想を遥かに超えるものだった。
【1年A組 宇佐美陽菜】
【本年度 入学試験 主席合格者(総合スコア:SS)】
教室中がどよめいた。
「えっ!? 宇佐美さん、主席だったの!?」
「マジで!? トップってあのバケモノ級の難易度の入試で!?」
「すげえ……天才じゃん……」
待って、やめて。その情報は公開しないで。
私は目立たないように生きていきたいのに!
だが、AIの暴走は止まらない。
【現代文の授業にて、AI社会における『愛』の本質を喝破】
【「恋は、気づいたら、そこにあるもの」】
【AI評価:論理性A、感性S+。次世代のリーダーにふさわしい、知性と情熱の融合】
【注目度:急上昇中(全校生徒へ配信中)】
画面の中の私は、どこか儚げに、しかし凛とした表情で語っている。
まるで映画のワンシーンのように美しく編集されていた。BGMまで感動的なピアノ曲になっている。
教室の空気が変わった。
さっきまでの「親しみやすいクラスメイト」を見る目じゃない。
「雲の上の存在」「才色兼備のカリスマ」を見る目に変わっていく。
「宇佐美さん、すごすぎる……」
「入試トップで、あんな深いこと言えるなんて……」
「完璧じゃん……」
「しかも可愛いし……」
美咲ちゃんが、憧れと尊敬をない交ぜにした瞳で私を見てくる。
瑠衣が「ひなちんってめちゃすごいんだね……」と呆然としている。
私は、顔を両手で覆った。
終わった。私の平穏な高校生活が、音を立てて崩れ去った。
こんなハードル上げられたら、もう迂闊に鼻もかめないじゃない!
しかし、私が頭を抱えているこの瞬間。
校舎の別の場所で、この映像を食い入るように見つめている人物がいた。
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