嘘の告白だと思って受け入れたら、本気でした
桜庭 りつ
嘘の告白だと思って受け入れたら、本気でした
「おまえの負けだよ。いいから告白してこいよ」
「わかってるって。気持ちの準備くらいさせろって」
「やだね。早く行って浮かれ姿を俺に見せてくれよ。前からそういう話だったろう?」
家の裏口で届けられた食材の確認をしていたとき。
扉の向こうから聞こえてきた会話に、心臓がドキリと鳴った。
この声の主は、うちの店に時々来る貴族――ルキアン様と、その友人のディラン様だ。
「……わかったよ。行ってくる」
「おう、結果報告待ってるぜ。
どうやら、ルキアン様はこれから誰かに告白するらしい。
そうか、ルキアン様に好きな人がいたんだ。
優しい笑みが脳裏に浮かび、胸が痛んだ。
けれど、きっと気のせい。
だって、ルキアン様は伯爵家のご子息で、パン屋の娘の私とはただの客と商売人の間柄だ。
成就するといいな。
日頃から良くしてくれているルキアン様には、幸せになってほしい。
淡いブラウンの髪に琥珀色の優しい瞳。
背も高く、貴族令嬢が放っておかないと、近所のマリーおばさんも言っていた。
だから、私が心配するようなこともないのだろう。
――そう思っていたのに。
「リーナちゃん、ちょっといい?」
ルキアン様が焼きたてのパンを並べている私を呼び出した。
「はい、少しなら。どうかされました?」
「うん、君に伝えたいことがあって。裏口の方に来てもらえる?」
「はい。大丈夫ですよ」
何か告白に関する相談でもあるのだろうか?
私で役に立てるとは思えないけれど。
「このパンを並べてからでもいいですか?」
「うん。待ってる」
ルキアン様がカウンターに肘をかけて、目を細めて私を見つめてくる。
私は急いでパンを並べる。
棚に整然と並んだパンの香ばしい香りが、店中に満ちていた。
振り返ると、窓から差し込む光が彼のブラウンの髪を明るく照らしている。
また、胸の奥がドクンと跳ねた。
「お待たせしました。裏口ですね」
「正確には、裏口の外だけどね」
それは、さっきルキアン様とご友人のディラン様が話をしていた場所だ。
胸の奥がざわついた。
――まさかとは思うけれど。
マリーおばさんが、少し前に教えてくれた噂。
「貴族の坊ちゃんの間で、嘘の告白をして成功するかどうか、賭けるようないたずらが流行っているらしいわよ」
リーナちゃんはかわいいから気をつけなさいね、と言われた日のことが鮮明によみがえる。
いや、でも相手は普段からうちの店に良くしてくれているルキアン様だし。
そんな心配、いらないよね。
私はルキアン様の後についていって、裏口を出る。
その先、路地の手前で彼が振り返り、私を見下ろした。
いつもと同じ、目元と口元を和らげた優しい表情で。
「リーナちゃん。初めて会ったときから好きだった。俺と付き合ってほしい」
微笑みを崩さないまま。
甘い声で、私に告げる。
――私が好きだと。
目の前が暗くなった気がした。
息が止まるかと思った。
頭が真っ白で、何を考えればいいのかも分からなかった。
私は庶民で、彼は伯爵子息。
しかも私は、さっきの会話を聞いている。
応援したいと。
幸せになってほしいと思っていた。
けれど、それは私とではない。
そもそも、女性に困らないと噂のルキアン様が私を選ぶ理由が見当たらない――嘘の告白以外は。
これは、ディラン様に賭けか何かで負けて、私に告白する罰ゲーム?
敗者が告白。
勝者がその様子を見て笑うアレ?
ルキアン様もディラン様も、そんな人だったの?
私は両拳を握り締める。
俯いて歯を食いしばった。
腹が立った。
本当に幸せになってほしいと思っていたのに。
その思いが、裏切られた気がした。
「……それは、ルキアン様の本心ですか?」
「もちろん」
「じゃあ、私がいいと言ったら両親や近所の人たちに話してもいいですか? 私、恋人ができるのは初めてなんです」
「君が良ければ喜んで」
心が重く沈む。
冷たくなる。
どこまで私を馬鹿にしているのだろう?
ルキアン様の顔を見られないまま、唇を噛む。
「嬉しいです。では、今日から恋人としてお願いします。でも、本当に私でいいんですか?」
顔を上げ、店で鍛えた笑顔を浮かべる。
ルキアン様の表情は崩れない。
口元に微笑みをたたえたまま、私を見つめている。
「君だからいいんだよ。ありがとう。リーナちゃんに受け入れてもらえて嬉しいよ」
ふにゃりと蕩けるような笑顔。
これが、女性に困らない男の手管か。
「ねぇ、ルキアン様。両親にも、お付き合いすることになったと伝えたいんです。ルキアン様からちゃんと説明してもらえますか?」
こういう嘘の告白は、大抵秘密の関係だと聞く。
ルキアン様に断られたら、
「私のこと、その程度にしか思ってくれていないんですね」
と一言返せば、この話はそこで終わり。
そうあってほしいと、今になっても願ってしまう。
裏路地には人が少なく、あまり喧噪は届かなかった。
ただ、春先の冷たい風が頬を通り抜けるだけ。
「もちろん、喜んで。今からでもご両親に挨拶していい?」
嬉しそうにルキアン様が返す。
罰ゲームはそこまで徹底するものなのか。
本当に、随分と悪趣味ないたずらだ。
「両親は今、仕事で外出中なので後日で構いません。友人やお世話になっているおばさんにも伝えていいですか?」
「いいよ」
相変わらずの笑み。
なんて図々しいの。
余裕綽々なのが、さらに腹立たしい。
――私は決めた。
私の人生が他人の遊びとして消費されてしまうのなら、ルキアン様の告白を受け入れるフリをして、彼を思いきり振り回してやる!
告白したことを後悔するくらいにわがままになって、高価な贈り物をねだり家計の足しにしてやろうと。
私は心の傷に蓋をして、ルキアン様とお付き合いすることにした。
* * *
先ほどルキアン様に告げた通り、両親は仕事で外出中。
私を一人にしておきたくないという彼と二人。
小さなパン屋で店番をしていると、マリーおばさんがやって来た。
うちの近くで食堂を営んでいる、恰幅も気前も良い世話好きなおばさん。
私にも色々教えてくれる――ルキアン様の噂とか。
ちらりと隣に立つ彼へ目を向ける。
「あら、リーナちゃん。それにルキアン様も。二人だけなんて珍しいねぇ」
「そうなんです。私たち、今日からお付き合いすることになって。私一人じゃ心配だからって、父か母が帰ってくるまでルキアン様も店にいてくれることになったんです」
これ幸いと、噂の拡散器であるマリーおばさんに、にっこりと報告する。
私は内心にんまりした。
私とルキアン様のお付き合いの話は、これで勝手に一人歩きする。
夕方には、町内に知れ渡っているはずだ。
「へーぇ、二人が恋人にねぇ」
マリーおばさんがルキアン様を上から下まで眺める。
ルキアン様は、私よりも完璧な営業スマイル。
「……ふーん。ルキアン様、見る目があるじゃないかい。リーナちゃんを恋人にするだなんてさ!」
「えぇ、受け入れてもらえて本当に安心しました」
ルキアン様の背中を叩きながら、おばさんが話し、ルキアン様はそれを笑顔で受けている。
そんな構図を見ている私の気持ちは冷たくなっていくばかりだ。
目の前の二人を見て、両親に紹介する前に帰ってもらおうと決めた。
* * *
今日は、ルキアン様との初デートの日だ。
マリーおばさんのおかげで両親も私とルキアン様のことを知るところとなり、今日は私より両親の方がそわそわしている。
「リーナ、もうちょっとおめかしした方がいいんじゃないの?」
「いや、リーナは十分可愛いだろう」
母親は心配そうに私の身だしなみをチェックするし、父親は複雑そうな顔で母親を宥めている。
「父さん、母さん。行ってきます!」
これ以上両親が何か言いだす前に、私は家を飛び出した。
待ち合わせ場所は、家の近くの噴水広場。
家まで迎えに来るというルキアン様を止めるために
「その方がドキドキしませんか?」
と私が提案した。
ルキアン様の家は、シャローム伯爵家という歴史ある名家だそうだ。
彼自身はどう思われてもいいけれど、うちの店は彼のお姉さんにも良くしてもらっている。
そのため、彼の家の品位を下げるのは私も本意じゃない。
一張羅のワンピースにカーディガンを羽織り、急いで広場に向かう。
少しは待たせた方がいいくらいなのに、足が止まらない。
休みの日とはいえ、広場にはいつも以上に人が集まっていた。
不思議に思った私は、人だかりの中を覗き込む。
――ルキアン様が立っていた。
髪色に似た赤茶色いジャケットに、生成りのパンツ。
時折周囲に目を向けているのは、私を探してのことだろう。
「あ、リーナちゃん!」
彼が私を見つけて、口元をほころばせる。
「お待たせしてすみません!」
慌てて駆け寄るとルキアン様の手を取り、その勢いのまま広場を出た。
「今日も可愛いね。その桃色のワンピース、とても似合ってるよ」
「ありがとうございます。ルキアン様もその服、お似合いですよ」
「本当? 良かった。こういうのあまり着慣れないから心配だったんだ」
あなたは何を着てもお似合いですよ。
心のうちで呟く。
私が握っていたはずの手は、いつの間にかルキアン様に握られていた。
いつの間に?とは思ったが、まずは二人でゆっくり話せる場所を探さねば。
* * *
下町は私が案内するつもりでいたのに、なぜかルキアン様の方が詳しかった。
変わらず彼に手を握られたまま、私たちは商店街の端の方に向かう。
賑わっている店のそばは、ルキアン様が避けているようだった。
商店街の隙間にぼんやりと夕焼けが見えてきた頃。
「あっという間に時間が過ぎてしまうね」
ルキアン様が口にした何気ない一言。
私も同じ気持ちだったので、びっくりしてしまい彼を見上げた。
目が合うたびに、彼の顔に笑みが浮かぶ。
琥珀色の瞳が、柔らかく細められる。
いや、待て私。
彼と同じ気持ちではダメなのだ。
私がデートに同意したのは、彼に高いプレゼントをねだって売り、家計の足しにするためだ。
感傷に浸るような目的ではない。
私は、そんな甘い夢は見ない。
「ねぇ、リーナちゃん。初デートの記念に贈り物がしたいんだけど、いいかな?」
待ってました、その言葉!
私は内心ほくそ笑む。
「嬉しいです。私も記念に残るものがほしいと思ってました」
すぐ売るんだけどね!
そんな素振りは隠しつつ、ルキアン様にエスコートされるままついて行くと、商店街の角にある宝飾店に到着した。
今の建築様式とは違う、重厚な店構え。
蔓草の絡むアーチの奥に、重そうな扉があった。
ルキアン様が開いてくれた扉の中に、足を踏み入れる。
店内は薄暗く、それでも棚に並べられた宝飾品は、わずかな光を反射していた。
その輝きに、私は怯む。
「ようこそおいでくださいました。ごゆっくり、心ゆくまでお選びください」
店のカウンターで赤い宝石を磨いていた壮年の男性が、私たちを見て声をかける。
その品の良さに、思わず感心してしまう。
そして、この店を選んだルキアン様にも。
「ここなら、君の気に入るものが見つかると思うんだ。リーナちゃんは、物を大切に扱ってくれる子だから」
上目遣いで隣のルキアン様を見上げると、温かな声が頭上から降る。
違うんだよ、ルキアン様。
私はただ、高値で売れそうな宝石を贈ってもらえれば、それでいいの。
うちにはあまり、余裕がないから。
「時間をかけて、ゆっくり選んでほしい。君が満足のいくものを。ここで見つからなければ次で見つければいい」
その優しさが表面的なものだと知っている。
店の裏口でのやり取りが忘れられない。
だから、迷うことなく店の奥にあった大きな宝石を手に取った。
胸元を飾る、丁寧に磨かれたペンダントトップ。
チェーンにつなげば、上品にも見えるドロップ型だ。
「ルキアン様、私これが気に入りました」
ペンダントを店の男性から受け取り、胸元につけてみせる。
今の私にとっては、その大きさゆえに主張が激しいだけだが、貴族女性が着るようなドレス姿なら映えるのかもしれない。
「これだけでいいの? ペアのブレスレットとかもあるけど」
私にとっては怖くて値札も見られない商品が、伯爵子息になると「それだけ?」な感覚になるらしい。
「私にはこれで十分です。ありがとうございます!」
「そう。それじゃ、それに似合うチェーンも選ぼうか」
ルキアン様と店員さんで話し合い、大きめの鎖状のチェーンになった。
ベルベットの箱に包まれてリボンを掛けられたそれを私はただ眺めている。
高く売れそう。
それだけで選んだ見慣れた色の宝石が、胸に焼き付く。
ルキアン様に家の近くまで送ってもらい、別れ際にプレゼントを渡されて。
私たちの初デートは終了した。
渡された小さな箱が、やけに重く感じられた。
* * *
あれから何度かルキアン様とのデートを重ねた私は、
「今日のデートの記念に」
と、小さいくせにお高そうな小物を毎回いただいていた。
かさばらない物をと、気をつかってくれているのだろう。
ベッドの上に並べてみるが、明らかに何の飾り気もないコットンカバーの上で浮いている。
「売るなら、今よね」
思い立ったが吉日。
ルキアン様も、まさかデートの記念品が売られるなんて思っていないだろう。
最初に買ってもらったペンダントを手に取ってみた。
「……ルキアン様の瞳と同じ色だったんだな」
見慣れた色だなと思ったそれは、大きさで選んだつもりだったのに――彼の色だった。
窓からの光を受けて優しく輝く蜂蜜の色。
「これだけ、残しておこうかな」
私に向けられた、ルキアン様の笑顔が思い浮かぶ。
上質なベルベットの箱を渡してくれたときの、はにかんだような表情。
女性に慣れていても、そんな顔をするんだなと思った。
「……でも、ただの恋人ごっこだし。やっぱり全部売ろう!」
彼からの贖罪の品だと思えば、多少は気持ちも軽くなる。
私はペンダントなどの贈り物を、丈夫さだけだが取り柄の大きな鞄に入れ、家を出た。
* * *
わずかに風に花の香りが乗る季節。
宝飾店で、ルキアン様からの贈り物の小物が、予想以上の高値で買い取られたことに心底驚いた。
鞄の中に大事にしまった金貨が、余計に私の心に重くのしかかる。
ペンダントはお店の人に見せられなかった。
帰り道にある公園のベンチに座り、小さなベルベットの箱が入った鞄を膝の上に置いてそっとさする。
『時間をかけて、ゆっくり選んでほしい。君が満足のいくものを。ここで見つからなければ次で見つければいい』
初デートでのルキアン様の言葉を思い出す。
繋がれた手のぬくもりや優しさ、私を見つめる琥珀色の瞳。
歩調も私に合った、完璧なエスコート。
「……やっぱり、売りたくないな」
既に売ったものだけでも当面の生活には困らない。
ペンダントを売るのは後でもできる。
そう言い聞かせて、その日は家に帰ることにした。
* * *
家に戻ると、一目散に自室に入った。
もらった贈り物を売ってしまった後ろめたさから、両親やお客さんに会うことを自然と避けてしまう。
私は金貨を、机の引き出しの奥にハンカチに包んで大事にしまい、机に向かってペンダントを眺める。
部屋に差し込む光を受け、淡く輝く琥珀色。
淡い色なのに、私の曇った心には眩しく映る。
被害者は私なのに、どうしてこんなにも胸が痛むのか。
ルキアン様の、贈り物をしてくれたときの優しい笑顔ばかりが脳裏に浮かぶ。
「ルキアン様は、ずるい」
私に、後悔ばかりを押しつける。
お金のために恋人役を了承したのに、これでは本末転倒だ。
ふと、窓に目を向け、室内を照らす太陽を眺める。
彼と初めて出会ったのも、天気の良い春の日だった。
* * *
「お嬢さん、お願いします! 働いていた店が急に閉店して就職先を探してるんです。ここで雇っていただけませんか?」
くたびれた服を着た、中年の男性がカウンターにいた私に何度も頭を下げる。
だが、私はこの店の娘ではあるが店主ではないし、そんな余裕もない。
「申し訳ないのですが、うちもあまり余裕がなくて新たに人を雇うのは難しいんです」
「そこを何とか! 妻が病で倒れ治療のための薬が高く、私が働かなくては買うこともできません!」
床に頭を擦りつけそうな勢いの男性に、そこまで言われ、
「少しお待ちください」
と言い残し、急いで自分の部屋に向かった。
私にも、多少の蓄えはある。
「お待たせしました。あなたを雇うことはできませんが、これを薬代の足しにしてください」
恥ずかしいくらいに小銭の多い布袋を渡そうとしたとき。
「就職先を探してるの? ……いいところを探してあげられるかも。ちょっとこっちに来てくれる?」
そう言って、男の人の肩に腕をまわし店の外に連れて行ったのがルキアン様だった。
うちの店が貴族の間で噂になったらしく、お姉さんと一緒に買いに来てくれていたのだ。
「あの男性、肌の色つやも良く、手も綺麗。今まで、何の仕事をしてらしたのかしら?」
扇を広げ、小声でも私に聞こえるように呟いたのは、ルキアン様のお姉様。
ルキアン様はお姉様の付き添いでうちに買い物に来ていたのだと聞いたのは、それから数回目に会ったときのこと。
店に来るたびに、
「こんにちは、リーナちゃん」
と、笑顔で挨拶してくれて。
初対面の人に仕事を斡旋してくれる優しい人。
名家のご子息なのに親切で礼儀正しいルキアン様を、私はとても好ましく感じていた。
――感じて、いたのだ。
手の中にある琥珀色のペンダントを、じっと見つめる。
宝飾店で手にしたとき、見慣れた色だと思ったのに。
どうして気づかなかったのだろう?
迷わず手にしてしまったのだろう?
このペンダントの大きさと重さは、私の後悔そのものだ。
喉がひきつれる。
窓からの光を柔らかくはじき返すそれに音もなく一滴が落ち、私はぎゅっと目を閉じた。
* * *
「ルキアン様。私と別れてください」
最後のデートと決めて出かけたその日の夕暮れ。
人気のない公園で、私とルキアン様はベンチに座っていた。
私は鞄からペンダントの箱を取り出し、ルキアン様に差し出す。
プレゼントを売って得たお金は、後で父と一緒に伯爵家に返しに行くつもりだ。
「こちらはお返しします。私には受け取る資格がありませんでしたので」
彼は、私を見つめるだけで何も言わなかった。
その沈黙に耐えられなかったのは私の方。
「ルキアン様が、私と罰ゲームで付き合うことになったことは知っています。ですが、私がこれ以上付き合いきれなくなりました」
「どうして?」
「仕事が忙しくなりましたので。遊びにはこれ以上お付き合いできません」
「遊び……か」
ルキアン様は私を見つめたまま、口元に手を当てる。
そこに、感情の色は見えない。
それが、私にはかえって恐ろしかった。
「俺とのデート、楽しくなかった?」
「楽しかったです。とても。忘れられないくらいに」
「そう」
安堵したように目元を和らげる彼の考えが私にはわからない。
そんなことを気にするような場面ではないはずだ。
「それなら、一度贈ったものを返却というのは悲しいな」
うなだれるルキアン様に問いたい。
こちらは別れ話を切り出しているのだ。
デートの評価をしているわけではない。
「不満そうだね。でも、受け取れないものは受け取れないんだ」
いつものような穏やかな笑顔と声で。
私の誠意を拒絶する。
「でも……」
「それはデートの記念に贈ったものでしょ。デートをしたことは事実だし、その記念に贈ったものなんだから返さなくていいよ」
そうは言われても、これは嘘から始まったものであり、あれを本当にデートというのかも怪しい。
私は箱を手にしたまま俯く。
「リーナちゃんは、素直なのが可愛いんだけど欠点でもあるよね。あと、その誠実さ。君の言う『罰ゲーム相手』に贈られたものを、普通は返そうとしないでしょ」
ルキアン様の楽しそうな声。
横目にかろうじて見えた口元が、弧を描いている。
「リーナちゃん。俺は、初めて会ったときから君には、一度も嘘をついたことはないよ」
初め、口にされた言葉の意味がわからなかった。
口調は軽いが、声はいつもよりわずかに低い。
そんなはずはない。
彼はディラン様に負けて、告白するように強制されて。
それで、私に告白を――
「……え?」
あの時の言葉を思い返す。
『おまえの負けだよ。いいから告白してこいよ』
『わかってるって。気持ちの準備くらいさせろって』
『やだね。早く行って浮かれ姿を俺に見せてくれよ』
え?
あれ?
嘘が……ない?
思い返せば、告白するのをためらっているルキアン様をディラン様が励ましているようにも受け取れる。
信じられなくて、でもかすかに灯った希望に縋りたくて顔を上げる。
隣に目をやれば、そこには蕩けるような笑みがあった。
「気づいてくれた?」
「……嘘……」
「まだ嘘だと思ってるの? 心外だな」
信じてくれと言う方が、無理がある。
だって、彼は伯爵家のご子息で、私はただのパン屋の娘。
そこは、覆しようのない事実なのだ。
「俺は、ずっとリーナちゃんと一緒になることだけを考えていたのに」
拗ねたように口を尖らせるルキアン様は本当にいつも通りで、私だけが状況に取り残されている。
「あれね、君に聞かせるために言ったんだ。ディランにも協力してもらってね。リーナちゃん、正攻法で行っても絶対身分を盾に頷いてくれないだろうから」
思わず目を瞠る。
私が彼を騙すつもりだったのに、騙されていたのは私の方だった。
――いや、違う。
私が勝手に誤解していただけだ。
彼が言うとおり、素直に告白してもらっても、立場の違う彼を受け入れることはなかっただろう。
「私とルキアン様とでは、立場が違います」
「やっぱりそうきたか」
私の言葉も想定通りだったのか、ルキアン様の笑みは崩れない。
「……そんな言葉で諦められるなら、こんなことはしないのにね」
口元は笑っているのに、声は笑っていなかった。
逃げ場のない真剣さに、視線が縫い止められる。
「俺が次男だって知ってるよね?」
「えぇ。それでも、貴族であることに変わりはありません」
引く手あまたでしょうし……とは、さすがに言えなかった。
ルキアン様と一緒にいて、嫌な気がする女性はいないだろう。
「伯爵家は、兄が継ぐ。で、俺の父は男爵位も持っていて、俺はそっちを継ぐ予定」
そんな話は、初めて聞いた。
「ルキアン様、男爵様になられるんですか?」
「将来的には、ね。今はただの伯爵家の子供ってだけで、わがままな姉上に振り回される哀れな弟だよ」
肩を竦めるルキアン様を見て、また思い出す。
そういえば、彼のお姉様は常々言っていた。
「ルキアンを鍛えたのは、私ですのよ」
と。
扇を広げ、誇らしげな美貌が瞬時に浮かぶ。
「だからさ、リーナちゃん。改めて伝えるよ」
ルキアン様の顔から笑みが消える。
真剣な顔で、私を真っ直ぐに見据える。
「初めて会ったときから好きだった。結婚を前提に俺と付き合ってほしい」
「そう言われても……」
「君の優しさは、ときどき危なっかしい。だから放っておけないんだよ」
見つめられたまま、両手を握られた。
そして私の手の中の小さな箱が、するりと彼の手に移る。
「初めて会ったとき、見ず知らずの相手にお金を渡そうとしただろ」
彼は箱を開け、ペンダントを取り出すと、私の首にそっと掛けた。
「そういうところが、好きなんだ」
首元に少し重みを感じる。
初デートの記念品が、私の胸元でわずかに揺れた。
「それに、君のご両親もご近所の人たちも、みんな俺たちのことを恋人同士だと思ってるよ?」
「!?」
ルキアン様の指摘に、思わず息を呑む。
「……そういえば、そうでしたね」
でも、あの時は知らなかった。
ルキアン様が、本気で私を想ってくれているだなんて考えもしなかった。
貴族との恋なんて、夢物語だと初めから諦めていた。
「ディランにも、姉上にも報告済みだし」
私は青ざめる。
これは、完全に。
外堀を埋めるどころか、退路までふさがれている。
「早く、リーナちゃんのご両親にもきちんとご挨拶しないとね」
「……そうですね。でも、ちゃんと段階は踏んでもらいます」
にっこりと微笑むルキアン様の台詞に、背に冷や汗を感じながらそれでも言葉と気力を振り絞った。
浮かれてはしゃぐ母と渋い顔をする父の姿が目に浮かぶ。
――ふと、胸元の琥珀に触れる。
それは、夕暮れの名残をひとつ拾って光っていた。
※この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。
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