第9話 幕間「或る日の会話」

「あれは藁束を煩悩に見立てて打ち払ってるんだな」

「額に浮かぶ汗は青春そのものだね、ふふふ」


 執務室の窓から、奥庭を見下ろしくつくつと笑いあう二人の男に、この部屋の主、ラストゥーリャ・ハルス・ウル・シータ――その漆黒に流れる黒髪を由来とした二つ名をして、黒き賢者と言う――「貴方がたは邪魔をしに来たのですか!」と青筋を立てたが、すぐさま後悔した。


 アゼリアス聖王国は、リアス神を唯一神として祀るリアス聖教を国教と定める、緑豊かな古き王国である。


 大陸の北東に位置し、東を蒼海、北と西は大陸を縦断するゼリアス山脈を国境とし、唯一南国境線に面しているのが、商人達の特別自由都市ゼイレン。ゼイレンの向こうには中堅国で牧歌的な大地が広がるトゥリローゼ王国が控えている。


 近年、両国の関係は極めて良好。

 鉱物資源豊富なアゼリアスと、農業を主たる産業とするトゥリローゼは、貿易面でも交流が盛んだ。またこの大陸に住まう多くの民が信仰しているリアス聖教の聖地は、アゼリアス聖王国の北壁、ゼリアス山頂に位置している為、ひとびとは、アゼリアス王国を神に抱かれた聖なる庭と敬意を込めて呼ぶ。


 立太子を望まれていたアゼリアス王国第二王子が、突然の失踪から帰ってきたのは一月ほど前になる。


 繊細な時期に二月も行方を晦ませていたのだが、当事者は完全黙秘を貫いていた。


 これは緘口令がしかれている話だが、行方不明者は彼を含め三名にのぼる。


 跡継ぎ騒動の中心に祭り上げられそうになっていた第一王子、第三王子もまた同様に行方不明となっていたのだ。時刻こそはずれていたが、三人がひょっこりと戻ってきたのは同じ日であった。


 第一王子は


「あまりの寒さに南下する隊商に紛れ込み、大陸の最南端に位置するエジンドレラス皇国のさらに南にある、星珊瑚諸島の名も無き無人島で、ついうっかり昼寝をしすぎた」らしく、


 第三王子は


「更なる高みを目指そうと、神々の声を聞くために、アゼリアス山頂付近で瞑想していたが、突然の吹雪で迷子になって渓谷へ落ち一時的に記憶を失ってしまい、気がついた時には名も知らぬ寒村でベレーの乳を搾っていた」らしく、


 忠臣たちは嘘くせー……と内心で思ったものの、追求する事も叶わず、結局真相は不明だ。


 彼らの父王は、三人の王位継承権をまるっと剥奪し「生まれたばかりの第一王女を皇太子に据える!」と、大激怒したが、正妃となったばかりの新妻に「稚けなき赤子にそのような重責を……だいたい陛下は女性の方に少々だらしが無いから……よよよ」と嘘泣きされ、三人の王子達は王族だけが罹る謎の流感で生死の境を彷徨っていた、というかなり苦しい言い訳を口にしなければいけなかった。


◇◇◇


「で、ラエル兄上は結局何処に居たの?」


「私が無人島に居たのは本当だ。赤ん坊ほどもある大きな鳥の巣に落ちてしまったらしく、甲斐甲斐しく色々運んできてくれるのだが、役立ちそうなものは皆無。空腹に耐えかねて一瞬焼き鳥にしてしまおうかと考えたのだが、翌日その鳥が卵を産んでな……殺してしまうのは可哀想じゃないか。生まれてくる子供に悪気は無いのだから。仕方なしに飲まず食わずのまま、鳥と一緒に卵を温めていたよ。嗚呼、実に貴重な経験をさせて貰った」


 にっこりと微笑む第一王子は、叡智の塔主へ視線を流す。


「兄上の懐の深さに、鳥も感銘して空から落ちてしまうだろうね」


 空から落ちるのは、不吉である。


「そんなディエルは何処に飛ばされたんだ?」


「残念ながら、僕の方も極寒の地に居たのは本当なんだ。気がついたら何もかもが氷で出来ている室で。寝台も氷なら、卓も椅子も氷。器や杯までも氷で出来ていてね。完全に氷りついた毛髪は、武器にもなるという事を始めて知ったよ。相棒は毛深い男でね。ちょっと貞操の危機にあったりもして、ある意味冒険だったかな。親切な誰かのおかげで僕もまた、模索していた将来の道を切り開けたけれど」


 第一王子とそっくりな顔つきで、第三王子もまた叡智の塔主へ微笑みかける。


「ディエルの美しさは、やはり同性の心までも掴むか。聖王庁は危険じゃないのか? 男の花園と揶揄されているらしいぞ」


 それは、知らなかった。


「ま……大丈夫だよ兄上。僕は男色家じゃないし、蔦薔薇の麗しの君、をこうやって見ても惚けたりしないさ」


 蔦薔薇の麗しの君は、少女とよく間違えられていた少年時代のラストゥーリャの渾名である。暗黒の歴史である。


◇◇◇


 前側妃を母とする二人の兄弟は、双子と見紛うばかりに似ていた。

 青碧の瞳に、白銀色の癖の無い髪が、やわらかな陽光を受け煌いている。


 前正妃の子である第二王子もまた瞳と髪の色合いが違うだけで、アゼリアスの珠玉達は非常に良く似た風貌をしていた。


 前正妃と前側妃が姉妹だったのは有名な話である。十二代聖王 ゲイル・ベレイル・ガーランド・エレ・ラ・アゼリアスを頭に前王妃と前側妃、それから三人の王子達は、平和に今代王家という単位を結んでいた筈だった。


 しかし、ほんの小さな綻びを切欠として、本人達が例え意図せずとも、争いは起こってしまう。

 ここで現王妃曰く「だいたい陛下は女性の方に少々だらしが無いから……よよよ」に話は戻る。


 姉王妃よりも先に妹側妃が第一王子を出産した。


 そして次に姉王妃と妹側妃は一日違いで第二王子、第三王子を出産したのだ。連なる血縁はいずれも申し分が無い。王は順当に生まれた順に王位継承権をふり帝王教育を施したのだが、安穏な彼らに横槍を入れるよう、幼い少年王子たちの兄弟仲を引き裂こうと一部の奸臣やらが画策した。


 皇太子にはやはり正妃の第二王子が良いだろう、いや第一王子の方が相応しい、はたまた神童の誉れ高い第三王子こそ。と静謐だった水面を、わざわざ波立たせ為、彼らはちょっとした人間不信に陥ってしまった。


 陰謀めいたものは特別無かったのだが、第一王子が成人する年、つまり立太子する年に、王妃と側妃姉妹は揃って流行り病にかかり、亡くなってしまう。


 立太子式は喪に服すため延期された。運気の悪さは連鎖するのか、愛する妻たちを亡くしてしまった傷心の王が、たまたま療養していた温泉地サルスェの別邸で、あろうことか二回り近く年の離れた未亡人と恋に落ちる。


 ここまで来ると吟遊詩人に物語られそうな壮大な話が、平和な国アゼリアス聖王国を舞台に出来上がる。


 そして今年、第二王子が成人する年、相も変わらずじわりじわりと水面下で繰り広げられていた、当人たちの与り知らぬ跡目争いが、大きく動きを見せる。 


◇◇◇


 続く暗殺者らをどうにかしてくれ、と言ってきたのは他ならぬ三人の王子たちだったのだが……。蔦薔薇の麗しの君。という単語に、ぴくりと眉をあげたラストゥーリャは、何かを言いかけてやめた。


 豪胆さで名高い第一王子も、神童の誉れ高い第三王子も、腸は真っ黒なのだ。

 それが二人束になってかかってこられると、舌戦で勝てる自信は余り無い。


 どちらかというと純粋で熱血だった第二王子も、少年から大人になる頃には、腹に一物抱えるようになった。つまり、捻くれたのだ。浅慮な者達の意図と反し、三人の王子達は結束を深め、笑顔で毒を吐き出す。政治の舞台では非常に有効的な所作を自然と身に着けた。


 しかし……乳兄弟である自分にまでそれを向けなくても良いではないか。二ヶ月も帰ってこなかったのは計算外だったが。本来ならお咎め、どころでは済まされない。しかし、騒ぎの当事者たる三人の王子達は、ラストゥーリャに真実を告白することを許さなかった。


「ところでトゥーリャ、シェイルは私たちにも、仔細を教えてくれないのだが、どうしたものか」


 第一王子ラエルの言葉を引き継ぐように、第三王子ディエルが「理由もなく、はいそうですか、と『立太子もしたくない』と頑なになっているアレの言い分をそのまま飲む訳にもいかないしねえ」と続ける。


「私たちの共通認識としては――自分には相応しくないから是非とも他の者に(嫌なものは嫌)――になるな。かと言って『父上の決めた相手と政略結婚なんかしないんだからあああ!』とこっ恥ずかしい台詞は吐けぬが」


 因みにシェイルはそんな乙女的発言はしていない。


「うーん、でもさ、トゥリローゼのシェリル姫はラエル兄上の好みにぴったりだと思うけれど。向こうも乗り気みたいだし、僕はもうちょっとお若い方がっていうのが本音」


 話題のシェリル姫はディエルとシェイルより四歳年上。

 ラエルの二歳年上である。


「年上の女性もなかなか良いぞディエル」


 外野から横槍を入れるまでも無く、次の王座を押し付けあっているのは、この三人だった。


「僕は狭量だから……トゥーリャ」

「仰りたいことは、判りました……」


 時折混ざる自分の名に、内心びくびくしていた黒き賢者は、第二王子を売ることに決めた。


 ――少しばかり理不尽だが、自分が脅かされる事も無く安寧に、研究を続けられているのも、王子達が真実を言わないお陰でもある。


 扉の前で、崩れるようにしていた男の頬を伝っているのが涙だと知っているのは、ラストーリャのみ。

 だったのだが。


「初恋! シェイルが恋煩い!!」


 面白いものを見つけた、とディエルは頬を高潮させた。


「そうか、あいつも卒業か。いや、本当の意味で大人になったのだな――なに? そのような間違いは起こらなかっただと? 据え膳食わぬは騎士の風上にも置けないじゃないか!」


「と言うか、僕、気がついちゃったんだけどさ……なんでシェイルばっかり、美味しい思いしているのかなトゥーリャ」


「確かに、私たちとの扱いにかなりの差があるな……」


「年上の女性とのめくるめく二昼夜」

「揺れる感情」


「触れ合う体温」

「欲望をおさえこむ葛藤」


「予測される残酷な結末」

「そして、涙の別離」


「…………」

「…………」


「「次の扉は、もっと正確な座標を刻めるよう、励むように」」


◇◇◇


 結局、煩悶と剣を日々振るい続けるばかりである弟の初恋が、決して実らぬ事を知る長兄は寛大な心を持って、自らに皇太子と云う名の枷をかける。第三王子は、この機会に、長兄と次兄を裏方から支えると宣言し、政治の表舞台から消える為、隠居先を正式に聖王庁聖王院へ正式に定めた。


 余談だが、第二王子が寝込んでいたのは、流感ではなく淫魔に魅入られ精気を吸い取られてしまったからだ、と王城内で実しやかに囁かれ始めたのは、第一王子が立太子した翌日からである。

 噂の出どころは、誰も知らない。

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