第6話 彼女の週末、彼の休暇⑥
不意に揺れた空気に、凛子は誘われるように覚醒した。
時刻を確認すると、午前三時。
暖炉の前でだらだらと話しているうちに、いつの間にか眠ってしまったようだ。薄闇の室内は凛子の部屋の物で、客用布団の中に、自分がしっかりと丸まっているのを理解する。
シェイルが律儀にも運んでくれたのだろう。その運んでくれた主が、凛子が日頃使用しているベッドで、寝返りを打つ。こちらを向いたシェイルの寝顔が、なんとなく苦しげに見え、凛子はそっと起き上がった。
引き結ばれた唇。眉根はぎゅっと寄せられている。環境の多大なる変化に体がついていかず、熱でもだしたかもしれない。なんとなく、自分の喉も痛いような気がする。その額に手を伸ばしたのは、無意識だった。
が、シェイルの肌に指先が触れたかと思った瞬間。衝撃を受ける。何が起こったのか理解出来ず、すぐそこにある青灰の瞳をぼんやりと見つめた。
「……リィン」
ややして落とされた声に、止まっていた息を吐き出した。
「びっくり、した」
シェイルによって、引き摺り上げられた体は妙な体制で、それを自覚した途端遅れて痛みがやってきた。
「いたたた」
「……悪い」
覆いかぶさるようになっていたシェイルがゆっくりと体をずらすと、空間が生まれ、凛子は自分の背中の下敷きになっていた手を動かす。
「大丈夫?」
心配そうに見やると、小さく頷く。
すっかり起き上がったシェイルは片手で目を覆い、浅く呼吸を繰り返している。
「ほんとに? 体調悪かったらいいなよね。一応薬とかあるよ?」
顔色は伺えないが、具合は相当悪そうだ。よくよく考えると何の助けにもならないのだが、凛子はシェイルの背中をゆっくりと摩る。少年では無いがまだ十八歳。人生経験からいえば、凛子の方が長い。
奇妙な状況下に陥っているのはお互い様だが、ライフラインが断絶しているとはいえ、こうやって目を覚ましても、まったく見知らぬ物に囲まれているわけではなく、凛子の日常を証明する切片はそこかしこに在る。
「夢を……」
双眸を覆っていた手をシェイルが下ろす。
「見ていた」
凛子は言葉の続きを待つ。
「此処は、平和すぎて……ああ、だからか」
立てた肩膝に肘をつくと、掌に自身の額を納めるように押し付ける。
「誰にも知られぬ――流石に、知りようが無い。探知も無理だ。想像を超えている。くくく」
呟きながら、肩を揺すって笑い始める。
声をかけるうタイミングを失い、なんとなく見ていた男の掌が、ぐっと握りこまれ「――くそ」とマットレスに叩きつけられた。振動が伝わる。
「……シャール?」
躊躇われるが、名前を呼ばずにはいられなかった。
凛子の声に、シェイルが頭を動かす。亜麻色の髪が頬にかかる。笑いを止めた青灰の瞳が眇められる。たった数秒交差した視線は、シェイルによって外された。ぽつり、ぽつりと言葉が落ちる。
「二つ上の兄、が居るんだ。……同い年の弟、と……妹が……十四歳も歳が離れていると、あまり妹と云う実感はないが。それから父と、母」
「五人家族だね」
「家族……そうだな五人。――一人暮らしをしていると言っていたがリィンは?」
「四人家族。九歳上のお兄ちゃんがいる。血は繋がっていないんだけどね」
「血が繋がっていない?」
「うん、うちの両親って再婚カップルだからさ。わたしは父親の連れ子で、お兄ちゃんは義母さんの連れ子なの。わたしが五歳の時だったからあんまり覚えてないんだけど。普通に仲良いよ」
「……そうか」
「兄弟仲悪いの?」
「いや……どちらかと言うと良い、と思う」
随分と歯切れの悪い言い回しだ。
「俺も、兄弟と母が違う。妹もだな」
「やっぱり再婚カップル?」
シェイルは首を横に振る。
「父には三人の妻が居るんだ。兄弟の母親になった人。妹の母親になった人。それから俺の母親」
「あ! もしかしてシャールのところって一夫多妻?」
「そうだな……が、兄と弟の母も俺の母も亡くなって久しいし。今は妹の母が、父の妻になる。ああ、彼女はリィンと同い年だ」
「……えーっと、複雑な家庭環境だったり……」
遠慮がちな凛子の口調に、シェイルが「そうだな」と、漸く小さな笑みを漏らし、話は終わりだ、といった風に、シェイルは背中を壁に預ける。結局、話を有耶無耶にされてしまったような気がして、凛子は会話を遡る。
「ううん、二十六歳のお義母さんかぁ……」
自分と同じ年で、シェイルの様な子供の母親になるのは、どんな気分なのだろう。まったく想像ができない。
「子が欲しいのか?」
「もう、なんでそうなるかな。想像つかないなーって。そっちじゃ皆早いの? 出産。っていうかその前に結婚か」
「農村部では十代半ばで結婚したりもする。確か俺の父親は二十二の年に結婚したんだったと思う」
「平均的に早そうな気がする。二十二って事はシャールもそろそろお嫁さん探しなのか」
「いや、俺は……しないさ」
「へ?」
「一生するつもりはない」
「……そーなの?」
ああ、と再び握り締められた拳に、凛子はそれ以上問うのをやめた。
踏み込むな、と言われた気がしたからだ。
代わりに頭をぽんぽんと撫でる。
シェイルは一瞬だけ驚いたように睫毛を震わせたが、されるがままで、やがて目を閉じ身を横たえた。
寝付いたのかは判らない。
少しだけ、長めに頭を撫で、凛子も自分の布団にもぐりこんだ。
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