寿命の理由 物語編

【序】


 人はなぜ死ぬのだろう。


 蛇は皮を脱いで若返る。月は欠けても、また満ちる。なのに人は、一度老いたら若返れない。一度死んだら、戻ってこない。


 なぜだろう。


 世界中で、この問いに答える物語が語られてきた。


 メラネシアの人々は言う。昔、人も皮を脱いで若返ることができた。でも、ある出来事があって、その力を失ったのだと。


 インドネシアの人々は言う。神様が石とバナナを差し出した。人は石を選ばなかったから、死ぬようになったのだと。


 そして日本にも、よく似た話がある。


 今夜は、寿命の理由を語ろう。


    ◇ ◇ ◇


【一】メラネシアの夜――脱いだ皮の話


 ここはニューブリテン島。南太平洋に浮かぶ島で、おばあさんが孫たちに語りかける。


「今夜は、人がなぜ死ぬようになったかを話そう」


 子供たちが静まる。波の音が遠くに聞こえる。


「昔々、人は死ななかった。年を取ると皮を脱いで、蛇のように若返ることができたのだよ」


「蛇みたいに?」


「そう。蛇や蟹が皮を脱ぐだろう? 昔の人間も同じだった。おばあさんになっても、古い皮を脱げば、また娘に戻れた」


 おばあさんは自分の皺だらけの手を見つめる。


「ある日、一人の老婆が川で皮を脱いだ。しわくちゃの皮を水に流して、若い娘の姿になって家に帰った」


「わあ、すごい」


「ところがね、家には小さな孫がいた。孫は若い娘を見て泣き出した。『おばあちゃんじゃない! 知らない人だ!』と」


 子供たちが息を呑む。


「老婆は孫がかわいそうになった。川に戻って、流れていった古い皮を拾い上げ、また身にまとった」


「元に戻ったの?」


「戻ったよ。孫は泣き止んで、おばあちゃんに抱きついた。でもね」


 おばあさんの声が低くなる。


「それから人間は、二度と皮を脱げなくなった。脱ぎ捨てた皮を、また着てしまったから。だから人間は年を取り、死ぬようになったのだよ」


「蛇は?」


「蛇は皮を拾わなかった。だから今でも皮を脱いで、いつまでも生きている」


 おばあさんは孫たちの頭を撫でる。


「覚えておきなさい。愛する者のために何かを差し出すとき、人は思いもよらないものを失うことがある。でも、それでも差し出すのが人間なのかもしれないね」


    ◇ ◇ ◇


【二】インドネシアの夜――石とバナナの話


 ここはスラウェシ島。かつてセレベス島と呼ばれた、赤道直下の島。山あいの村ポソで、長老が焚き火を囲む若者たちに語りかける。


「今夜は、人がなぜ死ぬようになったかを話そう」


 火がぱちりと音を立てる。


「昔々、天と地はもっと近かった。創造主は空の上に住んでいて、縄を降ろして人間に贈り物を届けていた」


「どんな贈り物ですか」


「食べ物や、道具や、様々なものだ。ある日、創造主は縄の先に石を結びつけて降ろした」


 長老は手で縄を降ろす仕草をする。


「最初の人間たちは、その石を見て言った。『石など何の役に立つ? 食べられもしない。別のものをください』」


「それで?」


「創造主は石を引き上げた。代わりにバナナを降ろした。人間たちは喜んだ。『これはいい! 食べられる!』と言って、バナナをもいで食べた」


 長老の声が厳かになる。


「すると、天から声が響いた。『愚かな者たちよ。石を選んでいれば、お前たちの命は石のように永遠だったものを。バナナを選んでしまったからには、お前たちはバナナのようになるがよい』」


「バナナのように?」


「バナナの木は子を残して枯れる。実をつけた親の木は死に、その根元から子供の木が育つ。人間もそうなった。子を産み、やがて死ぬ。親は枯れ、子が残る」


 長老は火を見つめる。


「石は変わらない。千年経っても石は石だ。でもバナナは、子孫を残すことで命をつなぐ。人間は、永遠の命よりも、子供を残す命を選んだのだよ」


    ◇ ◇ ◇


【三】オーストラリアの夜――月と人間の話


 ここはオーストラリア北部。星空の下で、老人が若者たちに語りかける。


「今夜は、月の話をしよう。人がなぜ死ぬようになったかの話を」


 若者たちは空を見上げる。細い月が輝いている。


「昔々、月と人間は友だちだった。一緒に旅をしていた。ある日、二人とも重い病気にかかった」


「月も病気になるの?」


「なるとも。月を見てごらん。だんだん痩せていくだろう? あれは月が病気になっているのだよ」


 老人は月を指さす。


「月は人間に言った。『俺には再び満ちる方法がある。お前も一緒にやろう。死んでも、また生き返ることができる』」


「人間はなんて答えたの?」


「人間は疑った。『そんな馬鹿な話があるか。お前は俺を騙そうとしているのだろう』と言って、月の誘いを断った」


 老人の声が静かになる。


「人間は死んだ。そのまま、二度と戻ってこなかった」


「月は?」


「月は約束通り、自分の方法で蘇った。三日間姿を消して、また細い光となって現れた。それから少しずつ太っていって、満月になった」


 若者たちは黙って月を見つめる。


「だから月は今でも、死んでは生き返る。欠けては満ちる。でも人間は、月の言葉を信じなかったから、一度死んだら戻ってこない」


 老人は焚き火に枝をくべる。


「覚えておきなさい。目の前に差し出された手を、疑って払いのけてはいけない。その手が、命を救う手かもしれないのだから」


    ◇ ◇ ◇


【四】お話の旅


 さて、ここで少し立ち止まろう。


 今、私たちは三つの夜を旅してきた。メラネシアの夜。インドネシアの夜。オーストラリアの夜。どれも「人はなぜ死ぬのか」を語る物語だった。


 でも、よく見ると構造が違う。


 メラネシアの話では、人は「脱皮する力」を失った。蛇のように皮を脱いで若返る力を、愛ゆえに手放してしまった。


 インドネシアの話では、人は「石」を選ばなかった。永遠に変わらない石よりも、食べられるバナナを選んでしまった。


 オーストラリアの話では、人は「月の誘い」を信じなかった。死んでも蘇る方法を、疑って拒んでしまった。


 アフリカには、また別の話がある。神が「人間は死なない」と伝えようとしたのに、使いの者が間違えて「人間は死ぬ」と伝えてしまった。


 なぜ、こんなにいろいろなパターンがあるのだろう。


 たぶん、「人はなぜ死ぬのか」という問いがあまりに普遍的だからだ。どの土地でも、どの時代でも、人はこの問いを抱えた。そして、それぞれの土地で、それぞれの答えを見つけた。


 蛇を見て、「なぜあいつは脱皮できるのに人間はできないのだ」と考えた人々がいた。


 月を見て、「なぜあれは蘇るのに人間は蘇らないのだ」と考えた人々がいた。


 バナナを見て、「なぜあれは子を残して枯れるのだ」と考えた人々がいた。


 身の回りの自然を見て、それぞれが物語を紡いだ。だからこそ、さまざまなパターンが生まれた。


 しかし、ここで一つ、気になることがある。


 インドネシアの「石とバナナ」の話。これと驚くほど似た話が、日本にもあるのだ。


 石。そして花。


 永遠と、儚さ。


 構造が、ぴたりと重なる。


    ◇ ◇ ◇


【五】日本の夜――天孫降臨のとき


 ここは日向の国。高千穂の峰を望む地で、語り部が人々に語りかける。


「天孫降臨の話をしよう。天照大御神の孫、邇邇芸命が地上に降り立ったときの話を」


    ◆


 天照大御神の孫、邇邇芸命が高千穂の峰に降り立った。


 葦原中国を治めるために、天から降りてきた若い神である。


 ある日、邇邇芸命は笠沙の岬で美しい娘に出会った。


「お前は誰の娘だ」


「大山津見神の娘、神阿多都比売と申します。またの名を木花之佐久夜毘売」


 コノハナサクヤビメ。木の花が咲き誇るように美しい姫だった。


 邇邇芸命は一目で心を奪われた。


「私の妻になってくれ」


    ◆


 大山津見神は喜んだ。


 天津神の御子が自分の娘を望んでいる。これ以上の名誉はない。


 大山津見神は姉妹を一緒に送り出した。姉の石長比売と、妹の木花之佐久夜毘売を。


 ところが邇邇芸命は、姉の石長比売を見て顔をしかめた。


 石長比売は、醜かった。


 妹の木花之佐久夜毘売が花のように美しいのに対し、姉はごつごつとした岩のような容貌をしていた。


「この者はいらない。送り返す」


 邇邇芸命は石長比売だけを父のもとに帰し、美しい木花之佐久夜毘売だけを妻とした。


    ◆


 大山津見神は嘆いた。


「なぜ石長比売を帰したのか。私が娘二人を一緒に差し出したのには理由があったのだ」


「理由?」


「石長比売を妻にすれば、天津神の御子の命は岩のように永遠になるはずだった。木花之佐久夜毘売を妻にすれば、木の花が咲くように繁栄するはずだった。二人を妻にすれば、永遠に繁栄したものを」


 大山津見神の声は悲しげだった。


「木花之佐久夜毘売だけを妻にしたからには、天津神の御子の命は、木の花のようになるだろう。咲き誇りはするが、やがて散る。繁栄はするが、命は永遠ではない」


    ◆


 この言葉の通りになった。


 邇邇芸命と木花之佐久夜毘売の子孫である天皇は、神の血を引きながらも、寿命を持つようになった。


 岩のように永遠ではなく、花のように咲いて、花のように散る。


 これが、天皇が寿命を持つ理由だと言われている。


 そしてこれが、人が死ぬ理由なのだと。


    ◇ ◇ ◇


【六】重なり合う物語


 さて、お気づきだろうか。


 インドネシアの話と、日本の話が、驚くほど似ていることに。


 インドネシア(ポソ族)の話。

  ――石を選べば永遠の命。バナナを選んだから、子を残して死ぬようになった。


 日本(古事記)の話。

  ――石長比売を選べば永遠の命。木花之佐久夜毘売を選んだから、繁栄するが寿命が生まれた。


 構造を並べてみよう。


 ・永遠の象徴=石(インドネシア)/岩の姫(日本)

 ・短命の象徴=バナナ(インドネシア)/花の姫(日本)

 ・人間の選択=食べられるものを選んだ/美しいものを選んだ

 ・結果=子孫を残して死ぬ命になった


 「石」と「植物」。「永遠」と「繁殖して枯れる」。この対比が、何千キロも離れた二つの土地で、ぴたりと一致している。


 これは偶然だろうか?


 「人はなぜ死ぬのか」という問いは普遍的だ。だからこそ、脱皮型、月型、伝言失敗型など、世界各地で異なるパターンが生まれた。


 しかし、「石と植物の対比」という具体的な発想までもが、独立して二度生まれるだろうか?


 比較神話学者の大林太良は、この一致を偶然とは考えなかった。日本神話の「石長比売と木花之佐久夜毘売」の話は、東南アジアのバナナ型神話が伝わったものではないかと論じた。


 伝播の経路は、「ワニを渡る」で見た道と重なる。


 インドネシアから、フィリピンを経て、あるいは黒潮に乗って、日本へ。


 「ワニの背を並ばせて渡る」という小さなトリックを伝えた道が、「石と植物の選択」という大きな神話も運んできたのかもしれない。


    ◇ ◇ ◇


【終】花と岩のあいだで


 なぜ、人は石を選ばなかったのだろう。


 インドネシアの人々は言う。石は食べられなかったから。

 日本の神話は言う。岩の姫は美しくなかったから。


 でも、本当にそれだけだろうか。


 もしかしたら、人は心のどこかで知っていたのかもしれない。


 永遠に生きることは、子を残さないということだ。石は変わらない。千年経っても、同じ石のままだ。でもバナナは、自分は枯れても、子供たちが残る。


 メラネシアの老婆は、若返ることができた。でも、孫に泣かれて、古い皮をまた着た。永遠の若さより、孫の笑顔を選んだのだ。


 永遠に生きるか、命をつないでいくか。


 どの物語でも、人は後者を選んでいる。愚かだったからではない。たぶん、そういう生き方を選んだのだ。


 私たちは、岩にはなれなかった。花になった。


 咲いて、散って、また咲く。


 インドネシアの焚き火のそばで、同じ話を聞いた子供がいる。メラネシアの波打ち際で、同じ問いを抱えた子供がいる。


 何千キロも離れた土地で、何千年も前から、人々は同じことを考えていた。


 なぜ人は死ぬのだろう。


 答えは一つではない。でも、どこか似ている。


 世界は、案外狭いのかもしれない。


 今夜、眠りにつく前に、思い出してほしい。


 あなたが花であること。誰かの子であり、誰かの親になるかもしれないこと。永遠ではないけれど、命は続いていくこと。


 石長比売を選ばなかった邇邇芸命の子孫として、今、あなたはここにいる。


 おやすみなさい。

 よい夢を。

                   (了)


==========================


【解説編】へ続く


本編で語られた各地の神話と、日本神話との学術的な対応関係、

一次資料からの引用、研究者による異論、参考文献については、

解説編をご参照ください。

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