第14話 リッキー②
◆
足元で乾いた音がした。
視線を落とす。革のブーツが石畳を蹴りつけていた。蹴ったのはヴァンスだ。この即席のパーティにおけるリーダー格の少年である。
彼は伸び放題の赤髪を苛立たしげにかき上げた。その瞳には満たされない功名心が飢えた獣のように宿っている。
「……やってられないな」
ヴァンスが吐き捨てるように言った。
「いつまで続くんだ。このドブ浚いみたいな生活は」
リッキーは黙って足元の銅貨を拾う。先ほどの報酬だ。四人で山分けすればパンとスープで消えてしまう額である。
「地道にやるしかないだろう」
リッキーは努めて平静な声を出す。
「まだ俺たちには信用がない。まずは雑用で顔を売るんだ」
「またそれか」
ヴァンスが鼻を鳴らす。
「あのシャルとかいう男の受け売りか。お前はすっかりあいつの信者だな」
リッキーは言葉に詰まる。反論したかったが図星でもあった。
シャールの仕事ぶりには美学がある。無駄がなく洗練されている。それに比べて自分たちはどうだ。ただ闇雲に体を動かし、疲労だけを溜め込んでいる。
「俺はもっとデカいことがしたいんだ」
ヴァンスが腰の剣を叩いた。安物の鉄剣だが彼にとっては唯一の財産だ。
「剣で稼いでなんぼだろうが。冒険者ってのはそういうもんだろ」
その言葉に横にいたトトが同調する。小柄で目端の利く斥候役だ。
「違いねえ。銅貨を数えるのはもう飽き飽きだぜ」
トトは周囲を窺うように声を潜めた。
「なあ。実はいいネタがあるんだ」
ヴァンスの眉が動く。
「なんだ」
「こないだの薬草採取の時だ。俺は見ちまったんだよ」
トトは勿体ぶって間を置く。
「小鬼さ」
リッキーの心臓が跳ねた。
小鬼──冒険者が最初に直面する壁であり、死因の筆頭でもある。
「東の森の浅いところだ。一匹だけポツンと藪の中にいやがった」
「一匹か」
ヴァンスの目に光が宿る。
「ああ。俺と目が合ったらキーキー喚いて逃げていったよ。背中を見せて一目散にな」
トトは小馬鹿にしたように笑う。
「武器も持ってなかった。痩せっぽちの弱そうな奴だったぜ」
「はぐれ小鬼か」
ヴァンスが唇を舐める。獲物を見つけた肉食獣の顔だった。
「群れから弾かれた落ちこぼれだ。餌にもありつけず弱り切ってる」
「だろうな。俺たちなら楽勝だぜ」
トトが煽るように言う。もう一人の仲間である大男のミランも無言で頷いた。
嫌な予感がする。リッキーは必死にブレーキをかけようとした。
「よせ。小鬼は群れる習性がある。一匹に見えても近くに巣があるかもしれない」
「だから逃げたんだろ」
ヴァンスが一蹴する。
「仲間がいるなら呼ぶはずだ。あいつはただ怖くて逃げたんだよ」
論理の飛躍がある。だが焦燥感に駆られた彼らにそれは届かない。
「そいつを狩る」
ヴァンスが宣言する。
「いきなり討伐依頼をするほど俺も無茶じゃない。まずはそのはぐれを一匹狩って、俺たちの力を証明するんだ」
「無茶だ」
「無茶じゃない。四対一だぞ。俺たちが小鬼一匹に負けるとでも思うのか」
ヴァンスがリッキーの肩を掴む。指が食い込むほどに強い力だった。
「リッキー。お前はどうする」
試すような視線。
「あの兄貴の言いつけを守って待っているか。それとも俺たちと来るか」
リッキーは視線を泳がせる。
断ればどうなる。彼らは三人で行くだろう。そしてもしものことがあれば。自分は一生後悔することになる。
それにここで断ればこのグループでの居場所はなくなる。孤独への恐怖。それがリッキーの判断を鈍らせた。
「……行くよ」
リッキーは絞り出すように答える。
「でも条件がある。一匹だと確認できるまでは手を出さない。危ないと思ったらすぐに逃げる」
「分かってるって」
ヴァンスが破顔する。
「俺だって死にたくはない。慎重にやるさ」
その笑顔には根拠のない自信が張り付いていた。リッキーは胸の奥に鉛を飲み込んだような重さを感じる。
シャールの顔が浮かんだ。あの人なら止めるだろうか。
だがリッキーは首を振ってその像を消し去る。いつまでも甘えてはいられない。これは自分たちの冒険なのだ。
◆
翌朝。
東の空には厚い雲が垂れ込めていた。湿った風が頬を撫でる。
四人は早朝にギルドで形式的な手続きを済ませていた。名目は薬草採取だ。嘘をついているという罪悪感がリッキーの足を重くさせる。
街を出て一時間ほど歩く。街道沿いの森は朝露に濡れて静まり返っていた。
「ここからだ」
トトが指差す。獣道とも呼べないような細い隙間が緑の壁に開いている。
ヴァンスが剣を抜いた。
「行くぞ。音を立てるな」
四人は森の中へと踏み入る。
腐葉土の匂いが鼻を突く。木々の梢が日光を遮り視界は薄暗い。鳥の声もしない。不気味な静寂が支配していた。
リッキーは短剣を握りしめる。掌が汗で滑る。心臓の音がうるさいほどに響いていた。
「……おい」
トトが足を止める。
「あそこだ」
前方の茂みの陰。古木の根元にそいつはいた。
薄汚れた緑色の肌。腰に巻いたボロ布。背丈は子供ほどしかない。小鬼だ。
背中を向けて地面を漁っている。何かを食べているようだ。
「一匹だ」
ヴァンスが声を潜めて言う。
周囲に他の気配はない。リッキーも目を凝らす。確かに一匹だけだ。武器も持っていないように見える。痩せ細った背中が無防備に晒されていた。
いける。そう思ってしまった。
ヴァンスが合図を送る。左右から回り込んで包囲する作戦だ。
リッキーは左へ展開する。足音を殺して位置につく。小鬼はまだ気づいていない。
ヴァンスが剣を振り上げた。
刹那。
小鬼が振り返った。
リッキーはその顔を見て息を呑む。
笑っていた。
恐怖など微塵もない。醜悪に歪んだ唇が三日月のような弧を描いている。
罠だ。そう叫ぼうとした時にはもう遅かった。
「死ねえ」
ヴァンスが叫びながら斬りかかる。
小鬼は驚くべき反応速度で横に跳んだ。剣が空を切り地面を叩く。
同時に森の静寂が破られた。
ヒュッ。
風切り音がしたかと思うとヴァンスの肩に矢が突き刺さる。
「ぐあっ」
ヴァンスが体勢を崩す。
どこからだ。リッキーは視線を走らせる。
頭上。枝の上に別の小鬼がいた。短弓を構えている。
それだけではない。茂みが揺れ、木の陰から次々と緑色の影が湧き出してくる。
三匹。五匹。十匹。
一匹などではなかった。ここは小鬼の狩り場だったのだ。
「うわあああ」
トトが悲鳴を上げて逃げ出そうとする。
だが背後にも小鬼が回り込んでいた。錆びた棍棒がトトの足を払う。転倒したトトに二匹の小鬼が飛び乗った。
「助けて。助けてくれ」
絶叫が森に響く。ミランが吼えて突進するが多勢に無勢だ。四方から石や礫が投げつけられる。
リッキーは動けなかった。
足が竦んで一歩も出ない。これが実戦か。これが冒険か。英雄譚にあるような華々しさなど欠片もない。あるのは泥と血と理不尽な暴力だけであった。
目の前でヴァンスが囲まれている。肩から血を流しながら必死に剣を振り回している。
だが小鬼たちは嘲笑うように距離を取り、じわじわと追い詰めていく。弄んでいるのだ。獲物が弱るのを待っている。
リッキーと目が合った。
ヴァンスの瞳にあるのは常の強気ではなかった。あるのは恐怖と懇願である。
助けてくれ──ヴァンスはリッキーにそう言っている。
リッキーはがちりと歯を食いしばり、やぶれかぶれで特攻をしかけようと考えた──その時。
──『リッキー』
名を呼ばれた気がした。
次の更新予定
追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話 埴輪庭(はにわば) @takinogawa03
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。追放された王太子と公爵令嬢が冒険者になる話の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます