第13話 買い物デート
◆
その日、二人は依頼を受けずに街へ繰り出していた。
冒険者として活動を始めてからひと月あまり。
日々の報酬は決して多くはないが堅実に積み重ねてきた結果、いくらかの蓄えができている。
必要な物資を買い揃える頃合いであった。ラスフェルでの生活は安定してきているがしかし、ここに永住するわけではない。いずれまた何処かへ旅立つ、あるいは逃亡することになるかもしれない。
その備えをしておこうというのだ。
「まずは薬草類を買っておきませんと」
セフィラが大通りを見渡しながら言った。
「傷薬の備えがあるとないとでは大違いですものね」
「ああ、それから保存食もだ。その辺の木の実をかじるのはもうごめんだよ」
シャールがそう言うと、セフィラはくすりと笑った。
二人は並んで石畳の道を歩いていく。
朝の市場は活気に満ちていた。
露店の商人たちが声を張り上げ、行き交う人々が品定めに足を止める。
野菜を山と積んだ荷車が脇を通り過ぎ、香辛料の匂いがどこからともなく漂ってくる。
王都の整然とした市とは趣がまるで異なっていたが、この雑然とした空気にも二人はすっかり馴染んでいた。
「シャール、あちらの店はいかがでしょう」
セフィラが指差したのは薬種問屋の看板を掲げた店である。
「品揃えがよさそうですわ」
「行ってみよう」
店の中に足を踏み入れると、様々な薬草の香りが鼻を突いた。
乾燥した葉や根が棚に並び、壁には効能を記した札が所狭しと貼られている。
セフィラは目当ての傷薬の材料を手に取り、店主と値段の交渉を始めた。
その横顔を眺めながら、シャールはふと思う。
彼女はこの生活に驚くほど順応している。
公爵令嬢として何不自由なく育てられた身でありながら、今では商人相手に値切り交渉までこなすようになった。
「まけてくださいませんか。こちらも三つ買いますから」
「うーん、そこまで言うなら銅貨二枚引いとくよ」
「ありがとうございます」
交渉成立を見届け、二人は店を後にする。
「だいぶ慣れたものだな」
シャールが言うと、セフィラは小さく肩をすくめた。
「お仕事先で教えてもらったのです。上目遣いをすると大抵まけてくれますわね」
したたかになったものだ、とシャールは内心で苦笑する。
◆
保存食を扱う店、革製品を売る露店、日用品の雑貨屋。
二人は必要な物を順に買い集めながら、街の中を歩いていった。
広場に差しかかった時、シャールの足がふと止まる。
「どうかなさいましたか?」
セフィラが振り返った。
シャールは広場の一角に目を向けていた。
噴水の傍に数人の少年たちが固まっている。
その中心に見覚えのある姿があった。
痩せぎすの体躯に擦り切れた革鎧。
リッキーだ。
だが様子がおかしい。
少年たちの輪は決して和やかなものではなかった。
何やら言い争いをしている様に見える。ただ、険悪というほどでもない。
リッキーと向き合う少年たちは三人。
いずれも同じくらいの年頃で、こちらも駆け出しの冒険者風の出で立ちであった。
仲間なのだろうか。
だとすれば内輪揉めということになる。
「シャール、あれは……」
セフィラがシャールの視線の先を追う。
「ああ、リッキーだ」
「何かあったのでしょうか。声をかけますか?」
その問いにシャールは少し考え込んだ。
「いや」
シャールは静かに首を横に振った。
「放っておこう」
「よろしいのですか?」
セフィラの声には微かな驚きが滲む。
普段のシャールならば、慕ってくる少年のために何かしら手を貸そうとするはずだった。
「ああいうのは、必要なものだ」
シャールはリッキーたちから視線を外し、再び歩き出す。
セフィラも黙って後に続いた。
しばらく二人は無言で歩いていく。
広場の喧騒が遠ざかり、やがて耳に届かなくなった頃、セフィラが口を開いた。
「必要なもの、とは?」
シャールは足を止めず、前を向いたまま答える。
「仲間との衝突さ。意見がぶつかって、言い争いになる。時には拳が飛ぶこともあるだろう」
「それが必要だと?」
「そうだ。そうやって互いの考えを知り、折り合いのつけ方を覚えていく。譲れないものと譲れるものの境界を探っていく──まあこの辺はタマさんの言葉を借りているが」
セフィラは黙って聞いている。
「自分たちで向き合って、ぶつかり合って、それでも一緒にやっていくと決める。そうやって初めて本当の仲間になれるもの──らしい」
言いながら、シャールの胸に奇妙な痛みが走った。
仲間との衝突。
意見の相違。
ぶつかり合いながら深まっていく絆。
そういうものが、自分にはあっただろうか。
脳裏にひとつの顔が浮かぶ。
燃えるような赤い髪。
挑戦的な光を宿す双眸。
マーキス。
弟の名を心の中で呼ぶ。
思えば、あの弟との間にそうしたものは何もなかった。
対立はあった。
だがそれは意見の衝突などという生易しいものではなく、もっと根深い、存在そのものへの否定に近いものだったように思う。
言葉を交わすことすら稀であった。
同じ王宮に暮らしながら、互いに相手を避けるようにして過ごしてきた。
シャールが書庫に籠もっている時、マーキスは訓練場で剣を振るっていた。
シャールが孤独な鍛錬に明け暮れている時、マーキスは貴族の子弟たちと騒いでいた。
交わることのない二本の線。
ぶつかり合うことすらできなかった二人の兄弟。
もし、あの頃もっと言葉を交わしていたなら。
もし、互いの考えを知ろうとしていたなら。
今とは違う結末があっただろうか。
その問いに答えはない。
今さら考えても詮無いことだった。
「シャール?」
セフィラの声で我に返る。
気づけば足が止まっていた。
「どうかなさいましたか。何か考え事を?」
「いや……」
シャールは小さく首を振った。
「何でもない。少し昔のことを思い出していただけだ」
「昔のこと」
セフィラは問い詰めようとはしなかった。
静かにシャールの横顔を見つめ、やがて視線を前に戻す。
「リッキーには仲間がいるのですね」
「そのようだな」
「喧嘩をしても、また一緒にいられる相手が」
その言葉の奥にセフィラが何を感じ取ったのか、シャールには分かるような気がした。
彼女もまた、孤独な少女時代を過ごしてきたのだ。
公爵家の令嬢として周囲に人は多くとも、心を許せる相手はいなかった。
本音をぶつけ合える友はいなかった。
「羨ましいと思うか」
シャールが尋ねる。
セフィラは少しだけ考えてから答えた。
「かつてなら、そう思ったかもしれませんわね」
「今は?」
「今はあなたがいらっしゃいますから」
その言葉にシャールの胸に温かいものが広がっていく。
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