第22話

 会場の巨大スクリーンに映し出されたのは、あまりにも鮮明な「真実」だった。


 映像の中のジェラルド殿下は、自室の姿見の前で、真剣な表情でポーズを取っていた。

 その服装は、今着ているのと同じ金色のタキシード。


『ふふふ……この角度、完璧だ。僕の顎のラインが一番美しく見える』


 映像の中の殿下が、うっとりと呟く。

 会場のスピーカーから、その独り言が大音量で流れる。


『ここでシャロを指差す! ビシッ! ……うん、今の指の角度は三十度、鋭さが足りないな。もう一度』


『ビシッ! 「貴様! 大罪人め!」……よし、これだ。これならシャロも恐怖で震え上がるぞ』


『そして、泣き崩れる彼女に僕はこう言うんだ。「許してやろう。僕の愛の深さに溺れるがいい」……ああ、なんて罪作りな僕なんだ』


 映像の中の殿下は、一人で喋り、一人で演技し、一人で感動して涙を拭っていた。

 それは、今まさにこの檀上で行われた「断罪劇」の、恥ずかしすぎるリハーサル風景そのものだった。


「…………」


 会場は、静まり返るどころか、奇妙な音に包まれていた。

 それは、数百人が必死に笑いを噛み殺す音だ。

 ププッ、ククッ、という空気が漏れるような音が、あちこちから聞こえる。


「あ、あれは……昨夜の映像?」

「一人で練習していたのか……三時間も?」

「『愛の深さに溺れるがいい』って……ブフッ」

「ダメだ、もう耐えられない……!」


 ドッ!!

 ついに堪えきれなくなった誰かの爆笑を皮切りに、会場全体が笑いの渦に飲み込まれた。


「ははは! 傑作だ!」

「喜劇役者になられたほうがいい!」

「断罪じゃなくて、お遊戯会だったのか!」


 嘲笑。爆笑。失笑。

 それは、王族に向けるべき反応ではなかったが、もはや誰も止められなかった。


「や、やめろぉぉぉ!!」


 ジェラルド殿下が顔を真っ赤にして絶叫した。

 両手で耳を塞ぎ、スクリーンを睨みつける。


「消せ! 今すぐ消せ! これは捏造だ! 幻覚だ!」


「いいえ、現実(リアル)です」


 私は冷静に告げた。


「これは昨夜、殿下が自室で行っていた『涙ぐましい努力』の記録です。……ねえ殿下? 貴方が仰っていた『美しい思い出』というのは、これのことですか?」


「ち、違う! 僕はただ、完璧を求めて……!」


「完璧な『演技』を、ですね?」


 私は扇子で画面を指し示した。


「貴方は、私が傷ついているとか、王家への不敬だとか仰いましたが……結局のところ、貴方にとってこの騒動は、自分が主役として輝くための『脚本』に過ぎなかった。違いますか?」


「うっ……」


「貴方は私を愛していたのでも、ミナ様を愛していたのでもない。自分が『悲劇のヒロインを救う王子様』として喝采を浴びる、そのシチュエーションに酔っていただけです」


 私の言葉は、笑い声の収まった会場に静かに染み渡った。

 貴族たちの視線が、笑いから軽蔑へと変わっていく。


「そ、そんなことはない……! 僕は本気で……!」


「本気なら、なぜ指輪がガラス玉なのですか?」


 私が畳み掛けると、殿下は言葉を失った。

 床に転がる安っぽい指輪が、照明を浴びて虚しく光っている。


「愛があれば値段なんて関係ない、と言い訳するつもりでしょうが……それは相手が言うセリフです。贈る側が、しかも国の王子が、予算をケチって偽物を掴ませるなんて……愛以前に、誠意がありません」


「ううっ……!」


 殿下は反論できず、その場に崩れ落ちた。

 もはや、彼の「王族としての威厳」は粉々になっていた。


「さて、これで『感情論』も決着がつきましたね」


 私はアレクセイ様に視線を戻した。

 彼は満足げに頷き、一歩前に出た。


「では、仕上げといきましょう。……法的な決着を」


 アレクセイ様は、先ほどの『婚約解消合意書』とは別に、もう一通の書類を取り出した。

 それは、古びた羊皮紙のように見える。


「ジェラルド殿下。貴方は先ほど、『書類を読まなかったのは過失だが、婚約破棄自体は無効にできるはずだ』と仰りたげでしたね?」


「あ、ああそうだ! 王族の婚姻は国王陛下の許可が必要だ! サイン一つで終わるわけがない!」


 殿下が最後の望みをかけて叫ぶ。

 そう、本来ならその通りだ。

 王族の婚約破棄は、王の勅命がない限り正式には認められない。

 ……本来なら。


「残念ながら、その主張も通りません」


 アレクセイ様は冷酷に宣告した。


「ここに、十年前……殿下とシャロ嬢の婚約が結ばれた際の『契約書原本』があります」


「そ、それがどうした!」


「この契約書の特記事項、第12条をお読みになったことは?」


「読むわけないだろう!」


「でしょうね。……では、私が読み上げましょう」


 アレクセイ様は朗々と読み上げた。


『第12条。

 本婚約は、ベルグ家の魔力資質と王家の血統の融和を目的とする政略的なものである。

 ただし、王子ジェラルドが著しく品位を欠き、ベルグ家令嬢に対し誠意ある対応を怠ったと判断される場合、令嬢側の申し立てにより、国王の許可を待たずに即時解消が可能である』


「……は?」


 殿下がポカンと口を開けた。

 私も、隣でポカンとした。


(……え? そんな条項あったの?)


 初耳だ。

 私が驚いてアレクセイ様を見ると、彼はこっそりとウインクをした。


(……まさか、捏造?)


 いいえ、アレクセイ様のことだ。

 恐らく、十年前の契約書に、ものすごく小さい文字で追記されていたか、あるいは巧みな解釈でそのように読める条文を見つけ出したのだろう。

 どちらにせよ、「氷の宰相」が「ある」と言えば、それは「ある」ことになるのだ。


「つ、つまり……?」


「つまり、貴方は十年前から『品位を欠いたら捨てられる』という条件付きの婚約者だったのです。そして今回の騒動……浮気、暴言、虚偽告発、そしてガラス玉。これらは明らかに『著しく品位を欠く』行為に該当します」


 アレクセイ様は書類を閉じ、パタンと音を立てた。


「よって、シャロ嬢による婚約破棄宣言は、王室典範および当初の契約に基づき、完全に適法かつ有効です。……国王陛下の許可など、最初から不要だったのですよ」


 ドーン。

 殿下の頭上で、見えないハンマーが振り下ろされたような衝撃音が聞こえた気がした。


「そ、そんな……。じゃあ、僕は……本当に……?」


「はい。貴方はもう、シャロ嬢の婚約者ではありません。ただの『元カレ』であり、今は『ストーカー』に近い存在です」


 アレクセイ様がトドメを刺した。


「う、うわあああああん!!」


 殿下は子供のように泣き出した。

 床を叩き、足をバタつかせ、金色のタキシードを涙で濡らす。


「嘘だ嘘だ! 僕は王子だぞ! 主人公なんだ! こんな終わり方、認めないぞぉぉぉ!」


 その姿は、もはや喜劇を通り越して哀れだった。

 会場の誰もが、冷ややかな目で見守っている。


「……終わりましたね」


 私は小さく息を吐いた。

 扇子を閉じ、泣き叫ぶ元婚約者を見下ろす。

 胸にあるのは、復讐の快感などではない。

 ただ、巨大なゴミ出しを終えた後のような、清々しい達成感だけだった。


「さようなら、殿下。……いいえ、ジェラルド様」


 私は彼に背を向けた。


「次は、もう少しマシな脚本家を雇うことね」


 私がアレクセイ様の腕を取り、檀上を降りようとしたその時。


「――待てい!!」


 会場の入り口から、野太い一喝が轟いた。

 空気がビリビリと震えるほどの、王者の覇気。


 現れたのは、黄金の王冠を戴き、怒りで顔を真っ赤にした壮年の男性。

 この国の国王陛下だった。


「……おや。ラスボスの登場か」


 アレクセイ様が面白そうに呟く。

 どうやら、騒ぎを聞きつけた陛下が、自ら引導を渡しに来たらしい。


 殿下の顔色が、絶望の色(土気色)に変わった。

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