第23話

 現れたのは、この国の最高権力者、国王陛下その人だった。


 その背後には、武装した近衛騎士団が控えている。

 どうやら、ただのパーティー参加ではなく、「鎮圧」に来たような雰囲気だ。


 ジェラルド殿下は、地獄に仏……いや、蜘蛛の糸を見つけたような顔で、陛下にすがりついた。


「ち、父上! ああ、父上ぇぇぇ!!」


 殿下は金色のタキシードを引きずり、膝行(しっこう)で陛下に近寄る。


「来てくださったのですね! 僕を助けに! こいつらが、シャロと宰相が結託して、僕をいじめるんです! 捏造映像を流して、僕の名誉を傷つけて……!」


 殿下は私のほうを指差した。


「特にシャロです! あいつは魔女です! 何か黒魔術を使って、僕をたぶらかしたに違いありません! 処刑してください! 今すぐに!」


 必死の訴え。

 しかし、陛下は氷像のように動かなかった。

 その瞳は冷たく、そして深く沈んでいる。


「……ジェラルドよ」


 陛下が重い口を開いた。


「はい、父上!」


「余は、すべて見ておったぞ」


「……へ?」


「二階の貴賓席からな。そなたの『独り芝居』も、ミナ嬢の『告発』も、そしてあの……頭の痛くなるような『リハーサル映像』もな」


 陛下は疲れたようにこめかみを押さえた。

 どうやら、最初から会場にいらしたらしい。


「そ、それでは……」


「恥を知れ!!」


 一喝。

 会場のシャンデリアがビリビリと震えるほどの怒声だった。


「建国の聖なる日に、あのような茶番を見せつけられる余の身にもなれ! 各国の来賓の前で、我が国の恥をさらすつもりか!」


「ひぃっ……!」


 殿下が縮こまる。

 しかし、陛下はまだ止まらない。


「それに、何だあの服は! ドラゴンの刺繍だと? 王家の紋章は獅子だろうが! なぜトカゲを背負っておる!」


「ト、トカゲ……? あれは伝説の邪竜で……」


「黙れ! センスが壊滅的だと言っておるのだ!」


 そこですか。

 私は心の中で突っ込んだが、陛下の美的感覚は正常なようで安心した。


「クロイツ公爵」


 陛下がアレクセイ様に視線を向けた。


「はっ」


「今回の騒動、そなたが裏で糸を引いておるな?」


「人聞きが悪いですね、陛下。私はただ、殿下の『ご希望通り』の舞台を整え、事実(ファクト)に基づいた法的解釈を提示したに過ぎません」


 アレクセイ様は涼しい顔で答えた。


「結果として、殿下の資質……いえ、『真実の姿』が露呈しただけのことです」


「……ふん。相変わらず食えぬ男よ」


 陛下は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、それ以上アレクセイ様を責めることはしなかった。

 そして、視線を私の隣にいるミナ様に移した。


「そこの娘。男爵令嬢ミナと言ったな」


「は、はいっ! ミナですぅ!」


 ミナ様がビシッと直立不動になる。

 陛下は彼女をじっと見つめた。


「そなたが、ジェラルドが『真実の愛』を捧げたという相手か」


「い、いいえ違います! 捧げられそうになった被害者です!」


 ミナ様が全力で否定する。


「ほう? 被害者とな」


「はい! 陛下、聞いてください! 殿下は私を『天使』と呼びますが、あれは愛称ではなく『役割(ロール)』なんです!」


「役割?」


「そうです! 今日も本当なら、天井からワイヤーで吊るされて、ラッパを吹きながら回転して降りてくる予定だったんですぅ!」


 ミナ様が天井を指差す。

 そこには確かに、不自然な滑車とワイヤーが設置されていた。


 会場が再びざわつく。

 「マジかよ……」「死人が出るぞ」「虐待じゃないか」という声が聞こえる。


「……ジェラルド。これは真か?」


 陛下の声が、怒りから呆れへと変わっていく。


「ち、違います父上! これは愛の演出で……ミナも『空を飛びたい』と言っていたから!」


「言ってません! 高いところ怖いって言いました!」


 ミナ様が食い気味に反論する。


「それに、殿下はいつも自分のことばかり! 私の誕生日も忘れて自分の銅像をプレゼントしてくるし、デートは自分の服選びに付き合わされるだけだし……もう限界ですぅ!」


 ミナ様は一歩前に出て、陛下に向かって深々と頭を下げた。


「国王陛下! お願いがございます!」


「……申してみよ」


「私、ミナ・フォン・男爵令嬢は、ジェラルド殿下との交際を……いえ、介護活動を本日限りで辞退させていただきます! これ以上付き合っていたら、私の耳と精神が持ちません!」


 介護活動。

 言い得て妙である。


「どうか、私を『天使』という名の重労働から解放してくださいぃ!」


 悲痛な叫びだった。

 陛下はしばらく沈黙し、それから大きく一つ頷いた。


「……許可する」


「えっ」


「そなたの訴え、もっともである。我が愚息が、これほどの迷惑をかけていたとはな……。王として、また親として詫びよう」


 陛下は頭を下げたわけではないが、その声音には明確な謝罪の意が含まれていた。


「やったぁ! ありがとうございますぅ!」


 ミナ様がガッツポーズをする。

 それを見た殿下が、絶望の悲鳴を上げた。


「そ、そんな……ミナ! 君まで僕を捨てるのか!? あんなに愛し合っていたのに!」


「愛し合ってません! 一方的な『推し活』でした!」


 ミナ様は冷たく言い放つと、私の背後に隠れた。


「師匠、守ってくださいぃ。殿下の視線が未練がましくて怖いですぅ」


「ええ、任せて。……閣下、お願いします」


 私が合図を送ると、アレクセイ様が鉄扇を開いて殿下の前に立ちはだかった。


「お聞きになりましたね、殿下。ミナ嬢も、シャロ嬢も、貴方との関係を拒絶しています。貴方に残されたのは、孤独と、その痛々しいタキシードだけです」


「う、うう……嘘だ……僕は王子だぞ……世界の中心なんだぞ……」


 殿下は床に突っ伏し、ワカメのようにへたり込んだ。


 陛下が、冷徹な声で近衛騎士団長に命じた。


「連れて行け」


「はっ!」


「ジェラルドを直ちに自室へ……いや、北の塔へ幽閉せよ。頭を冷やさせる必要がある」


「ち、父上! お待ちください! せめて着替えを……!」


「その格好のままでいい。それが今のそなたに一番お似合いだ」


 陛下は息子の懇願を一蹴した。

 騎士たちが殿下の両脇を抱え、引きずっていく。


「嫌だぁぁぁ! シャロ! ミナ! 僕を捨てないでくれぇぇぇ!」


 ズリズリと引きずられていく金色の塊。

 その光景は、涙を誘うどころか、会場中から安堵のため息を誘った。


「……終わったな」


 アレクセイ様が扇子を閉じた。


「ええ。意外とあっけなかったですね」


 私は、退場していく元婚約者の背中を見送った。

 不思議と、何の感情も湧いてこなかった。

 ただ、「やっと静かになった」という安らぎだけがある。


 陛下が、ゆっくりとこちらに向き直った。


「ベルグ伯爵令嬢、そしてクロイツ公爵」


「はっ」


「此度の騒動、愚息の不始末により迷惑をかけた。……特にシャロ嬢よ。そなたには苦労をかけたな」


「もったいないお言葉です、陛下」


 私はカーテシーをした。

 この人が「ラスボス」かと思ったが、どうやら話の分かる理性的な方だったようだ。


「ジェラルドの婚約破棄、およびミナ嬢への執着について、余からも正式に『解消』を認めよう。……そして」


 陛下は、チラリとアレクセイ様を見た。


「宰相。そなたが何やら『面白い報告書』をまとめておることは知っておる。ジェラルドの処遇について、後ほど詳しく聞かせてもらおうか」


「御意。……プランAからCまで、各種取り揃えております」


 アレクセイ様が悪魔的に微笑んだ。


 こうして、建国記念パーティーにおける「ジェラルド殿下断罪劇」は、殿下自身の完全敗北という形で幕を閉じた。


 会場からは、本来の主役たちが去った後、今度こそ心からの拍手が沸き起こった。

 それは、見事な「悪役令嬢」を演じきった私と、最強の「盾」となったアレクセイ様、そして勇気ある「証言者」ミナ様への称賛の拍手だった。

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