第20話

 王城の大広間は、すでに熱気で満ちていた。

 シャンデリアの輝き、行き交う給仕たちの足音、そして貴族たちのさざめき。

 建国記念パーティーという、国一番の晴れ舞台にふさわしい賑わいだ。


 その喧騒が一瞬にして静まり返ったのは、入り口の扉が重々しい音を立てて開かれた瞬間だった。


「――宰相、アレクセイ・フォン・クロイツ公爵閣下。ならびに、シャロ・フォン・ベルグ伯爵令嬢、ご入場!」


 そのアナウンスと共に、私とアレクセイ様は会場へと足を踏み入れた。


 ヒールが床を叩くコツ、コツという音が、やけに鮮明に響く。


 数百の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。

 好奇心、嫉妬、値踏み、そして畏怖。

 それらが混ざり合った視線の嵐の中を、私たちは悠然と歩いた。


「……見て、あのドレス」

「赤……? シャロ様があんな激しい色をお召しになるなんて」

「まるで燃える炎のようだわ。それに、あの隣におられる宰相閣下の目は何? 誰か近づいたら斬り殺しそうな雰囲気よ」

「『氷の宰相』と『炎の悪女』……お似合いすぎて恐ろしいな」


 囁き声が波のように広がる。

 どうやら、ジャン=ピエールの狙い通り、私の「真紅のドレス」は強烈なインパクトを与えているようだ。


「……気分はどうだ、シャロ」


 隣を歩くアレクセイ様が、口を動かさずに囁く。


「最高です。誰も目を合わせてこないので、歩きやすいことこの上ないですね」


 私は扇子を少しだけ揺らし、優雅に微笑んでみせた。

 それだけで、最前列にいた太った男爵が「ひっ」と声を上げて道を譲った。


「その調子だ。さあ、特等席へ」


 私たちは会場の中央、一番目立つ場所に陣取った。

 周囲には自然と「誰も入れない空間(クリアゾーン)」ができあがる。


 その時。

 会場の照明が、フッと落ちた。


 ざわっ、と人々がどよめく。


「な、なんだ? 停電か?」

「いや、演出のようだが……」


 闇の中で、一筋のスポットライトが、会場奥の檀上を照らし出した。


 そこには、誰もいなかった。


 ……はずだったが。


 ジャジャジャジャーン!


 突如、大音量で音楽が鳴り響いた。

 しかしそれは、荘厳な国歌でも、優雅なワルツでもない。

 まるでサーカスのピエロが登場する時のような、間抜けで陽気なファンファーレだった。


「……ぷっ」


 どこかから、失笑が漏れる。


 その軽快すぎるリズムに乗って、檀上のカーテンが勢いよく開いた。


「待たせたな、諸君!!」


 そこに立っていたのは、我らがジェラルド殿下である。


 その姿を見た瞬間、私は扇子で顔を隠し、必死に笑いを堪えなければならなかった。


 金色のタキシード。

 それはいい。王族だから派手なのは許容範囲だ。

 だが、背中には金糸で刺繍されたドラゴンが踊り、胸元には無数のスパンコールが輝き、さらにマントの裏地はショッキングピンクだった。

 歩くミラーボール。あるいは、成金趣味の塊。


「……あれが、この国の第二王子か?」


 アレクセイ様が、本当に心の底から軽蔑したような声で呟いた。

 隣にいる私にしか聞こえない音量で。


「目が腐りそうだ。損害賠償を請求したい」


「我慢してください、閣下。あれが彼の『勝負服』なのです」


 殿下は、BGMが予想と違うことに一瞬眉をひそめたが、すぐに気を取り直して両手を広げた。


「ふふふ……この静寂、僕の美しさに言葉を失ったようだね」


 違う。ドン引きしているだけだ。

 殿下はマイクを掴むと、芝居がかった声で語り始めた。


「今日、この建国の日という聖なる夜に、僕は悲しい決断をしなければならない。それは、国を蝕む『悪』を裁くことだ!」


 会場がざわつく。

 皆、チラチラと私のほうを見ている。


「僕の愛を裏切り、純真な天使をいじめ抜き、王家を欺こうとした大罪人……。その名は!」


 殿下がビシッ! と指を突きつけた。

 その指先は、正確に私を指している。

 スポットライトが移動し、私を照らし出す。


「シャロ・フォン・ベルグ! 前へ出ろ!」


 名前を呼ばれた。

 ついに始まった。

 シナリオ通りの「断罪イベント」の開幕だ。


 周囲の貴族たちが、さっと潮が引くように私から離れる。

 私とアレクセイ様だけが、光の中に残された。


「……行くか」


「はい。お待たせするのも悪いですから」


 私はアレクセイ様のエスコートを受け、ゆっくりと檀上へと歩みを進めた。

 恐怖? 悲しみ?

 いいえ。

 私の胸にあるのは、「さあ、仕事(タスク)を片付けましょう」という事務的な感情だけだ。


 檀上の階段を上がり、殿下の目の前で立ち止まる。

 殿下は私を見下ろし、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「よく来たな、シャロ。……ふん、なんだその派手なドレスは。罪を隠そうと必死だな」


「ごきげんよう、殿下。お褒めにあずかり光栄です。殿下こそ、とても……眩しいお召し物ですね。直視できません」


 私は皮肉たっぷりにカーテシーをした。

 殿下は「ふん」と鼻を鳴らす。


「減らず口を叩くのも今のうちだ。シャロ、君は分かっているのか? 自分がどれほどの罪を犯したかを!」


「存じ上げませんね。具体的にどのような罪でしょうか? 六法全書の何条に該当しますか?」


「法律の話などしていない! 心の話だ!」


 殿下が叫ぶ。

 マイクを通した大声が、会場のスピーカーから割れ気味に響く。


「君は、僕という完璧な婚約者がいながら、冷たい態度を取り続けた! これは『王族への不敬罪』だ!」


 ……のっけから言いがかりである。


「さらに! 僕が真実の愛を見つけたミナ・フォン・男爵令嬢に対し、陰湿な嫌がらせを行った! 彼女を無視し、睨みつけ、精神的に追い詰めた! これは『傷害罪』に当たる!」


 会場から「ええ……?」という困惑の声が漏れる。

 嫌がらせの内容が具体的でない上に、傷害罪の解釈が広すぎる。


「そして極めつけは! 先日の夜会で、僕を騙して書類にサインをさせ、一方的に婚約破棄を宣言したことだ! これは『詐欺罪』であり、王家への反逆だ!」


 殿下は一気にまくし立てると、肩で息をして私を睨みつけた。


「どうだ、反論があるなら言ってみろ! ……まあ、泣いて謝るなら、聞いてやらないこともないがな」


 殿下の中では、私がここで崩れ落ち、「ごめんなさい、愛していたからこその過ちでした!」と縋り付く予定なのだろう。

 彼は期待に満ちた目で私を見ている。


 私はゆっくりと扇子を閉じた。

 パチン、という乾いた音が、静まり返った会場に響く。


 そして、私は隣に立つアレクセイ様に視線を送った。

 彼は涼しい顔で頷き、懐から一枚の書類を取り出した。


「……殿下。よろしいですか?」


 私が口を開く。

 声は張り上げない。

 けれど、よく通る声で、静かに告げた。


「今、三つの罪を挙げられましたね。不敬罪、傷害罪、詐欺罪。……すべて、事実無根です」


「な、なんだと!?」


「いいえ、正確には『事実誤認』および『妄想』と言わせていただきましょうか」


「き、貴様……!」


「まず、一つ目。不敬罪について」


 私は一歩前に出た。


「私は殿下に対し、常に敬意を持って接してまいりました。殿下の長い……いえ、高尚なお話を三時間直立不動でお聞きしたこともあります。夜中に呼び出され、新作の詩を聞かされたこともあります。それらを『冷たい態度』と仰るなら、この国の臣下は全員不敬罪になりますが?」


 会場のあちこちから、クスクスという笑い声が聞こえる。

 殿下の「長話」と「ポエム」は、貴族たちの間でも有名だったらしい。


「そ、それは……僕の話がつまらないと言いたいのか!」


「つまらないとは申し上げておりません。ただ、『独創的すぎて凡人には理解が追いつかない』だけです」


「ぐっ……!」


「次に、二つ目。ミナ様への嫌がらせについて」


 私はニッコリと笑った。


「これは、証人に登場していただきましょう。……ミナ様、いらっしゃいますか?」


 私が呼びかけると、殿下が鼻で笑った。


「はっ! ミナを呼ぶだと? 墓穴を掘ったな、シャロ! 彼女は僕の天使だ。僕のために、君の非道を涙ながらに訴えてくれるはず……」


「はいはーい! ここにいますぅ!」


 殿下の言葉を遮り、檀上の袖から元気な声が響いた。

 若草色のドレスを着たミナ様が、トコトコと歩いてくる。

 手には大きなトランクを引きずって。


「ミ、ミナ!? 来てくれたのか! 心配したぞ、昨日はどこへ……」


 殿下が駆け寄ろうとするが、ミナ様はサッと身をかわし、私の隣に並んだ。

 そして、マイクに向かって高らかに宣言した。


「あのぉ、ジェラルド殿下。勘違いしないでくださいねぇ」


「え?」


「私、いじめられてなんかいませんよぉ。むしろ、シャロ様には『殿下の話を聞き流すコツ』を教えていただいて、感謝してるんですぅ!」


 会場が凍りついた。

 殿下の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「な……なにを、言っているんだ……? ミナ、脅されているのか? シャロに脅迫されているんだろう!?」


「脅されてません! 本音です!」


 ミナ様はキッパリと言い放ち、トランクをバン! と開けた。


「それより殿下! これ、お返ししますね! こんなダサい服とガラス玉、私には必要ありませんから!」


 ガシャーン!

 トランクの中身――あの「金色のタキシード(予備)」と「露店で買ったガラスの指輪」が、床にぶちまけられた。


 会場が騒然となる。


「あれは……殿下と同じ服?」

「それに、あの安っぽい指輪は何だ?」

「ダサいって言ったぞ……」


 殿下は、床に転がった自分の抜け殻のような服と、ミナ様の冷たい視線を交互に見て、口をパクパクさせていた。


「嘘だ……僕の天使が……こんな……」


「さあ、殿下」


 私は鉄扇で自分の掌をポン、と叩いた。


「二つ目の罪も否定されました。残るは三つ目、『詐欺罪』ですが……これについては、専門家から説明していただきましょう」


 私は後ろに下がり、アレクセイ様にバトンを渡した。

 彼はゆっくりと眼鏡の位置を直し、裁判官のような冷徹な目で殿下を見下ろした。


「……覚悟はよろしいですか、殿下。ここからは、法と論理(ロジック)の時間です」


 反撃の狼煙は上がった。

 もはや、殿下に逃げ道はない。

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