第19話

 案内された「準備室」は、私の知る更衣室とは別次元の空間だった。


 壁一面にズラリと並んだ衣装、靴、宝石。

 そして、獲物を待ち構える猛獣のような目をした、数人の男女。


「お待ちしておりました、未来の公爵夫人!」


 先頭に立つ、奇抜な髪色をした男性が、芝居がかった動作で広げた両手を震わせた。

 この国のファッション界を牛耳るトップデザイナー、ジャン=ピエールだ。


「……あの、夫人というのはまだ未定ですが」


「ノンノン! 閣下のあのご様子を見れば、確定事項です! さあ、今日は貴女を『王城の華』ではなく、『戦場の女神(ヴァルキリー)』に仕上げますよ!」


 女神とか言っているが、目が完全に軍人だ。

 私はまな板の上の鯉として、椅子に座らされた。


「お嬢様、覚悟してください。今日は手加減なしです」


 マリーが真剣な顔で、私の髪に櫛を入れる。

 そこから先は、記憶が飛ぶほどの怒涛の展開だった。


「肌のツヤが足りない! 至急、最高級の美容液を投入!」

「ウエストをあと一センチ絞ります! 息を止めて!」

「アイラインは鋭く! 舐められたら終わりだと思いなさい!」


 ペタペタ、ギュッ、ササッ。

 私の体は工事現場のように、急ピッチで施工されていく。


「……苦しい。これ、拷問器具ですか?」


 コルセットを限界まで締め上げられ、私は呻いた。

 内臓の位置が変わっている気がする。


「美とは忍耐です! さあ、仕上げの『戦闘服』はこちら!」


 ジャンが恭しくカーテンを開けた。

 そこに鎮座していたのは、一着のドレス。


 それは、鮮烈な「真紅(クリムゾン)」だった。


 前回のアレクセイ様との夜会で着たのが「夜空の青」なら、今回は「鮮血の赤」。

 上質なベルベット生地は、見る角度によって深いワインレッドから燃えるような赤へと色を変える。

 装飾はあえて少なく、その分、シルエットの美しさと生地の高級感が際立っている。


「……派手すぎませんか? これじゃあ、主役を食ってしまいますよ」


「食うのです! 今日の貴女は、誰よりも強く、美しく、そして『危険な女』でなければなりません!」


 ジャンが力説する。

 なるほど、悪役令嬢(ヴィラン)のコンセプトにはぴったりだ。


 私は観念して、その深紅のドレスに袖を通した。


 ***


 一時間後。

 鏡の前に立っていたのは、私であって私ではない、何者かだった。


 プラチナブロンドの髪は高く結い上げられ、うなじを大胆に見せている。

 真紅のドレスは、私の白い肌を驚くほど引き立て、切れ長のメイクが施された瞳は、まるで射抜くような強さを放っていた。

 首元には、昨日アレクセイ様から渡されたブルーダイヤモンドのネックレス。

 赤と青のコントラストが、妖しいほどの魅力を醸し出している。


「……強そう」


 私の率直な感想はそれだった。

 これなら、殿下のポエム攻撃も物理的に弾き返せそうだ。


「す、すごいですぅ、師匠……! 本物の悪役令嬢(ラスボス)みたいですぅ!」


 部屋の隅で準備を終えていたミナ様が、目を輝かせて拍手している。

 彼女もまた、ボロボロだった姿から一変し、シンプルながらも清楚な若草色のドレスに身を包んでいた。

 メイクで目の下のクマも消え、可憐な「証人」の出来上がりだ。


「貴女も可愛らしいわよ、ミナ。それなら、誰も貴女を『裏切り者』だなんて思わないわ。『殿下に怯える可哀想な子羊』に見える」


「えへへ、演技指導通り『困り眉』を描いてもらいましたぁ」


 ミナ様があざとく首を傾げる。

 この子、味方にすると本当に心強い。


 ガチャリ。

 扉が開く音がした。


「……準備はできたか?」


 入ってきたのは、アレクセイ様だ。

 彼もまた、いつもの宰相服ではなく、漆黒の礼服に身を包んでいる。

 胸元には、私のドレスと同じ真紅のチーフが挿されていた。

 ……ペアルックだ。確信犯だ。


 彼は私を見た瞬間、足を止めた。

 そして、ふぅーっと長く息を吐いた。


「……言葉が出ないな」


「変ですか?」


「いや。美しすぎて、心臓が止まるかと思った」


 アレクセイ様はゆっくりと近づき、私の腰に手を回した。


「その赤は、私の情熱の色だ。そして、敵を威圧する警告色でもある」


「私は闘牛のマントですか」


「闘牛士をも魅了する華だ。……完璧だ、シャロ。今の君になら、国の一つや二つ、喜んで滅ぼされよう」


「滅ぼしませんよ。私の目的は平和的解決です」


 アレクセイ様は笑って、懐から何かを取り出した。

 それは、黒いレースで作られた扇子だった。

 骨組みの部分が、鋭利な金属でできているように見えるのは気のせいだろうか。


「これを。特注品だ」


「……重いですね。鉄扇ですか?」


「護身用だ。万が一、殿下が飛びかかってきたら、これで叩き落とせ」


「物理攻撃推奨なんですね」


 私はその扇子を受け取り、パチリと開いて口元を隠した。

 鏡の中の私は、冷酷な笑みを浮かべているように見えた。


「準備は整った。……行こうか、シャロ。ミナ嬢」


 アレクセイ様が私に右腕を、ミナ様に目配せを送る。


「はいっ! 私は少し遅れて、裏口から潜入しますね!」


 ミナ様はトランク(証拠品入り)を持って、忍びのように気配を消した。


「では、私たちは正面から堂々と」


 私はアレクセイ様の腕に手を添えた。

 その腕は温かく、微かに力が込められているのが分かった。


「怖くはないか?」


「いいえ。このドレスと、この扇子と、そして最強の『盾』が隣にいますから」


「ふっ……頼もしい限りだ」


 私たちは準備室を出て、長い廊下を歩き出した。

 廊下の先からは、すでにパーティー会場のざわめきと、オーケストラの調べが聞こえてくる。


 そこは戦場だ。

 甘い言葉と腹の探り合いが交錯する、貴族たちの戦場。


 でも、今日の主役は、スポットライトを独占しようとしているバカ王子ではない。

 

(さあ、カーテンコールの時間よ、ジェラルド殿下)


 私は口角を上げ、不敵に笑った。

 戦闘服(ドレス)の裾を翻し、私たちは光の中へと踏み出した。

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