第18話

 建国記念パーティー当日の朝。

 決戦の火蓋が切られる数時間前、私たちは優雅にティータイムを楽しんでいた。


 場所は、宰相執務室。

 かつては殺風景な仕事場だったこの部屋も、今では私の私物(クッションや茶器)が増え、すっかり居心地の良いサロンと化している。


「ん~っ! 美味しいですぅ! このマカロン、ほっぺたが落ちそうですぅ!」


 ソファで足をバタつかせながら絶叫しているのは、ミナ様だ。

 昨夜の亡命劇から一夜明け、彼女はすっかり元気を取り戻していた。

 ちなみに着ているのは、私が貸した予備のドレス(シンプルな若草色)だが、ピンク色のフリフリよりもよっぽど似合っている。


「よかったわね、ミナ。それは王都でも予約三ヶ月待ちのパティスリー『レーヴ』の新作よ」


「そんな貴重なものを! ジェラルド様なんて、いつも『僕の笑顔が一番のスイーツだろ?』とか言って、何も食べさせてくれなかったのに!」


「……それは虐待に近いわね」


 私は呆れながら、自分の分の紅茶を啜った。

 糖分補給は重要だ。

 これから始まる茶番劇(バトル)には、大量のカロリーを消費するだろうから。


「それで、閣下。会場の準備は?」


 デスクで最後の書類確認をしていたアレクセイ様に声をかける。

 彼は顔を上げ、不敵な笑みを浮かべた。


「万全だ。ジェラルド殿下の要望通り、スポットライトと音響機材は配置してある。ただし、オペレーターは私の息のかかった者にすり替えておいた」


「あら。殿下の演出をそのまま通すのですか?」


「いや。殿下が合図を出した瞬間に、少しばかり『機材トラブル』が起きるように細工をしてある。……例えば、悲劇的なBGMが、間抜けなファンファーレに変わるとかな」


「ぷっ……! それ、絶対笑っちゃいますぅ!」


 ミナ様がマカロンを吹き出しそうになる。


「さらに、殿下がシャロを断罪しようと口を開いたタイミングで、会場のスクリーンに『ある映像』が流れる手はずだ」


「映像?」


「ああ。昨日、ミナ嬢から提供された『殿下のリハーサル風景』を、魔法で映像化したものだ」


「ええっ!? あ、あれを使うんですかぁ!?」


 ミナ様が目を丸くする。

 例の、『今の角度、決まった!』と自画自賛している、あの恥ずかしい一人芝居のことだろう。


「公開処刑ですね」


「彼が望んだ『公開断罪』だ。主語が入れ替わるだけだよ」


 アレクセイ様は楽しそうに言った。

 恐ろしい男だ。

 物理的に吊るし上げるのではなく、羞恥心で精神を焼き尽くす作戦か。


「それにしても、外が騒がしいですね」


 私は窓の外を見下ろした。

 王城の前広場には、すでに多くの馬車が集まり始めている。

 建国記念パーティーは、国内外の有力者が集う国最大行事だ。


「シャロ。緊張しているか?」


 アレクセイ様が席を立ち、私の隣に座った。

 その自然な距離の近さに、未だにドキリとしてしまう。


「いいえ。緊張というより、面倒くさいという感情が九割です。早く終わらせて、家に帰って眠りたいです」


「ふっ、君らしいな。だが、今日の君は帰さないぞ」


「……はい?」


「パーティーの後は、夜通し祝賀会だ。君は私のパートナーとして、最後まで付き合ってもらう」


「えー……残業ですか? 手当は出ますか?」


「ああ。私の『生涯の愛』という、プライスレスな手当を出そう」


「……インフレを起こしそうなので、現金でお願いします」


 私が即答すると、アレクセイ様は声を上げて笑った。

 最近、彼はよく笑うようになった気がする。

 氷の宰相が溶けてきているのは良いことだが、その分、私への溺愛(過干渉)度が上がっているのが悩みどころだ。


「あのぉ、お二人とも。イチャイチャするのはいいんですけどぉ、作戦の最終確認をしなくていいんですかぁ?」


 ミナ様がジト目でこちらを見ている。


「コホン。……そうね。ミナ、貴女の役割は覚えている?」


「はいっ! 殿下が『シャロこそ悪女だ!』と叫んだら、私が飛び出して行って、『いいえ違います、殿下が悪いんですぅ!』と泣き崩れる役ですね!」


「その通り。そして、トランクの中の『金色のタキシード』と『ガラスの指輪』を証拠品として提出する」


「完璧ですぅ。演技派女優(わたし)の見せ場ですね!」


 ミナ様は頼もしい。

 かつては敵として厄介だったその「天然の行動力」が、味方になるとこれほど心強いとは。


「閣下、殿下の側近たちの動きは?」


「封じてある。彼らが余計な茶々を入れないよう、会場の警備兵には『不審な動きをした者は即座に拘束せよ』と命令済みだ」


「不審な動きの定義は?」


「『殿下を擁護する発言』すべてだ」


「……独裁政治ですね」


「今日だけはな。私の愛しい君を傷つける可能性のある因子は、すべて排除する」


 アレクセイ様が私の手を取り、指先に口づけを落とした。


「シャロ。君はただ、私の隣で微笑んでいればいい。泥を被る役も、剣を振るう役も、すべて私が引き受ける」


「……過保護すぎますよ。私だって、自分の喧嘩くらい自分で買えます」


「知っている。君なら一人でも殿下を論破できるだろう。だが、させてくれ。……好きな女性を守らせてくれない男なんて、存在する価値がない」


 真剣な瞳で見つめられ、私は言葉に詰まった。

 こういう時、どう返せばいいのか、王妃教育では習わなかった。


「……分かりました。では、盾として利用させていただきます」


「ああ、存分に使ってくれ」


 アレクセイ様は嬉しそうに目を細めた。

 利用されることすら喜ぶとは、だいぶ重症だ。


 その時、執務室の時計が正午を告げた。

 パーティーの開始まで、あと六時間。

 準備(着替え)の時間を考えれば、そろそろ動き出さなければならない。


「さて、時間だ。そろそろ行こうか、シャロ」


「はい。……あ、マリーが来ていませんね。着付けはどうしましょう?」


「心配ない。すでに別室に、国一番のデザイナーとメイクアップアーティストを待機させてある」


「えっ、マリーじゃないんですか?」


「マリーもいるが、今日は特別だ。君を『世界一の美女』に仕上げるためのプロフェッショナル・チームを編成した」


 アレクセイ様が立ち上がり、私に手を差し伸べた。


「昨日のドレスも美しかったが、今日はもっと凄いぞ。……覚悟しておけ」


「……凄いって、まさか電飾でも付いているんですか?」


「行ってのお楽しみだ」


 私は一抹の不安を抱えつつ、彼の手を取った。

 ミナ様も立ち上がり、最後のマカロンを口に放り込む。


「行きましょう、師匠! 悪役令嬢チーム、出陣ですぅ!」


「誰が悪役令嬢よ。……まあ、いいわ」


 私たちは執務室を出た。

 廊下を歩く足音は、三者三様だが、不思議とリズムが合っていた。


 向かうは戦場。

 武器は真実と、合理性と、そして少しのユーモア。


 ジェラルド殿下。

 貴方が用意した舞台、私たちが乗っ取らせていただきます。


(さあ、最後の仕上げと行きましょうか)


 私は心の中で戦闘モード(省エネ仕様)にスイッチを入れた。

 嵐の前の静けさは、もう終わりだ。

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