第15話

 執務室に、不穏な空気が漂っていた。

 おやつの時間だというのに、アレクセイ様の手が止まっている。


「……重大発表、だと?」


 アレクセイ様は、秘書官が持ってきた報告書を睨みつけていた。


「はい。ジェラルド殿下が、来週の建国記念パーティーで『国を揺るがす重大な告発』を行うと息巻いておられるそうです」


「告発? 誰をだ」


「それが……対象は明言しておりませんが、『王家の尊厳を傷つけた大罪人』とのことです」


 秘書官が恐縮しながら答える。

 私は紅茶を啜りながら、他人事のように呟いた。


「へえ。大罪人ですか。物騒ですね」


「シャロ、他人事じゃないぞ。十中八九、君のことだ」


 アレクセイ様が呆れたように私を見た。


「え、私ですか? 身に覚えがありませんよ。私はただ、殿下のサイン入りの書類に従って婚約を解消し、ホワイト企業に再就職しただけです」


「殿下の脳内では、それが『王家の顔に泥を塗った』と変換されている可能性が高い。……あの男、まだ懲りていなかったのか」


 アレクセイ様の瞳に、危険な光が宿る。

 物理攻撃(壁ドン解除)だけでは足りなかったらしい。


 その時。

 コンコン、と控えめなノック音がした。


「失礼しますぅ……。お茶のお代わりをお持ちしましたぁ」


 扉から顔を出したのは、メイド服を着た――ミナ様だった。


「……ミナ?」


 私は思わず吹き出しそうになった。

 なぜ男爵令嬢が、宰相府のメイド服(しかも少しサイズが大きい)を着ているのか。


「しーっ! お忍びですぅ!」


 ミナ様はカートを押して入ってくると、鍵を閉めた。

 そして、ふぅーっと帽子を取る。


「大変なんですよぉ、師匠! ジェラルド様が暴走モードに入っちゃって!」


「ミナ嬢か。……その格好はなんだ」


 アレクセイ様が怪訝な顔をする。


「変装ですぅ。殿下の監視を抜け出してくるのに、これしかなくて。……それより、緊急情報を持ってきました!」


 ミナ様は懐から、くしゃくしゃになったメモを取り出した。


「これ、殿下が昨日の夜、鏡の前で練習していた『断罪セリフ』の書き起こしです」


「……書き起こし?」


「はい。あまりに面白かったので、メモっちゃいました」


 優秀すぎるスパイだ。

 私はメモを受け取り、広げてみた。


『貴様! シャロ・フォン・ベルグ!

 よくも僕の純愛を踏みにじり、王家を騙したな!

 その罪、万死に値する!

 だが、僕の海よりも深い慈悲により、特別に許してやろう。

 さあ、今すぐ宰相の元を離れ、僕の足元に跪いて愛を乞うがいい!』


「…………」


 私はメモをそっと閉じた。

 頭痛がする。


「……なんですか、これ。三流の演劇ですか?」


「本気ですよぉ。昨日の夜中、三時間くらいこのセリフを練習してましたもん。『今の角度、決まった!』とか言いながら」


 ミナ様がうんざりした顔で証言する。


「しかも、当日は『スポットライトを自分だけに当てるように』って照明係に指示してましたぁ」


「バカなのか……?」


 アレクセイ様がこめかみを押さえた。

 宰相としての理性と、男としての殺意がせめぎ合っているようだ。


「つまり、殿下の計画はこうだ。

 1.公衆の面前で私を『大罪人』として告発する。

 2.私が恐怖で泣き崩れる(予定)。

 3.殿下が『許し』を与えて、私を連れ戻す。

 4.ハッピーエンド(殿下の中で)。

 ……正気ですか?」


「正気じゃありませんよぉ。でも、本人は『これぞ王者の風格!』ってノリノリです」


 ミナ様は肩をすくめた。


「私にも、『シャロが跪いたら、君も横に立って微笑んでいなさい。それが勝者の余裕だ』とか言われて……。もう無理ですぅ、あんな恥ずかしい茶番に付き合えません!」


「ご愁傷様です」


 私はミナ様に同情し、クッキーを差し出した。

 彼女はリスのようにそれを齧る。


「で、どうしますか師匠? このままじゃ、建国記念パーティーが『ジェラルド劇場』になっちゃいますよぉ」


「……潰す」


 低い、地を這うような声がした。

 アレクセイ様だ。


「建国記念パーティーは、各国の要人も招かれる重要な外交の場だ。そこでんた個人の妄想劇など、許されるはずがない。……いや、それ以前に」


 彼は立ち上がり、私の肩を抱いた。


「私のパートナーであるシャロを、公衆の面前で侮辱しようなどと……そのふざけた口を、二度と開けなくしてやる」


 室内の温度が急激に下がる。

 窓ガラスに霜が張り付きそうだ。

 本気の「氷の宰相」モードである。

 このままだと、当日、殿下が壇上に立った瞬間に氷漬けにされかねない。


「……閣下、お待ちください」


 私はアレクセイ様の袖を引いた。


「その場で魔法をぶっ放すのは、外交問題になります」


「なら、事前に地下牢に幽閉するか? 事故に見せかけて階段から……」


「それもダメです。証拠が残ります」


 私はニヤリと笑った。


「せっかくの『舞台』です。利用させていただきましょう」


「利用?」


「ええ。殿下は『公開断罪』をお望みなのでしょう? ならば、こちらも『公開反論』をする絶好の機会です」


 私は指を一本立てた。


「殿下が何を言おうと、こちらは事実(ファクト)と証拠(エビデンス)で殴り返せばいいのです。大勢の証人がいる前で、殿下の矛盾を突き、合法的に完膚なきまでに論破する。……そうすれば、殿下は二度と表舞台には立てなくなります」


「……なるほど。社会的抹殺か」


 アレクセイ様の表情が、怒りから興味へと変わる。


「確かに、暴力で黙らせるよりも、自滅してもらう方が後腐れがないな。それに、君の名誉を回復するにも、その方が効果的だ」


「はい。私は『悪女』の汚名を着せられたままでは、安眠できませんから」


 私はミナ様に向き直った。


「ミナ様。ご協力いただけますか?」


「もちろんですぅ! 私、もう殿下の世話係は限界なので、これで引導を渡してやりたいです!」


「素晴らしい。では、当日は『証人』として、ありのままを証言してください」


「任せてください! 殿下の恥ずかしいエピソード、全部暴露しちゃいますね!」


 恐ろしい味方を得たものだ。

 ジェラルド殿下は知らないだろう。

 自分の可愛がっている「子猫ちゃん(ミナ)」が、実は最強の刺客になっていることを。


「よし。作戦会議といこうか」


 アレクセイ様が楽しそうに席に戻った。


「ジェラルド殿下の告発内容を予測し、それに対する反論(カウンター)を用意する。法的な裏付けは私が担当しよう」


「私は当日の流れと、殿下を煽る……いえ、誘導するためのセリフを考えます」


「私はぁ、殿下が当日着る予定の『勝負服(スパンコール付き)』の情報をリークしますね!」


 悪役令嬢(私)、魔王(アレクセイ様)、裏切り者(ミナ様)。

 この三人が手を組めば、向かうところ敵なしだ。


 私たちは夜遅くまで、綿密な「逆襲計画」を練り上げた。

 それはまるで、文化祭の出し物を準備する学生のように、邪悪で、かつ楽しげな時間だった。


(待っていなさい、ジェラルド殿下。貴方が望む『ドラマチックな結末』をプレゼントして差し上げますわ)


 私の胸には、もはや不安など欠片もなかった。

 あるのは、面倒な元婚約者を完全に切り捨てられるという、清々しい希望だけだった。


 そして、運命の建国記念パーティー当日がやってくる。

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