第7話 憤怒の女との始まり
若葉さんとは、大学1年生の夏休みにアルバイトを始めた近所の植木屋さんで知り合った。
若葉さんは親方の娘で、その時は植木屋になるために、二人の弟と一緒に見習いとして修行していた。
「おう、じゃあ今日はここまでにすっか。お前ら残土とごみをトラックまで運んどけよ。さっさとやらないと日が暮れるぞ!」
「はい!」
親方の指示で、僕と若葉さん、それに虎太郎さんと虎次郎さんで残土やごみの入った袋を担いでトラックまで運ぶ。
「おいっ、一郎!そんな、ちまちまとちんたら運んでたらいつまでたっても終わんねえぞ!男のくせに貧弱だな!」
袋を一つずつ持って慎重に足を運んでいる僕にを笑いながら、若葉さんは両肩にそれぞれ1袋ずつ担いで、駆け足で僕を追い抜いていく。
「すみませ~ん。」
そう答えたけど、僕には2袋も担ぐなんてとても無理だ。
若葉さんの方が小柄なのにパワーが違うのかな。
そう思いながらも、1袋ずつ慎重に運んでいると何往復目だっただろうか。
ちょうど僕の目の前で、若葉さんが玄関前でつまずき、豪快に転ぶ姿が見えた。
しかも、そのはずみに落とした袋から残土が大量にこぼれて、お客さんの家の玄関先を汚している。
若葉さんって、いつもこうやって自分が立てたフラグをきっちり回収するよな…。
僕は、お約束を裏切らない若葉さんの姿に、呆れるよりもむしろ感心しながら、担いでいた袋を下ろし、若葉さんに手を貸した。
「おいっ!なんだこれ!誰がやったんだ!」
ちょうど若葉さんが立ちあがったところで、後ろから親方の怒声が響いてきた。
若葉さんはびくっと肩をすくめる。
「すみません。僕が転んでしまいました。すぐに掃除します。」
「なんだ、一郎くんか…。しょうがねえな。若葉も掃除手伝ってやれ。」
間髪入れずに頭を下げた僕に勢いを削がれたのか、親方はそれ以上何も言わず、そのまま行ってしまった。
◇
「ふう…。」
作業を終えて親方の家までトラックで帰り、そこで解散になった。
僕は暑い中での肉体労働で疲れ切って動けないので、親方の家の前のコンビニの喫煙スペースに腰を下ろして休憩する。
こうやって少し体力が回復してから家に帰るのがバイト後のルーティンだ。
「んっ!」
車止めに腰を下ろして目を閉じていた僕の前に、突然缶コーヒーが差し出された。
見上げると若葉さんが立ってタバコをくわえながら、あらぬ方向を見ている。
「ありがとうございます。」
遠慮せずありがたくいただくことにする。缶コーヒーの甘みが疲れた体に染みる。本当にありがたい。
「私こそ、ありがとね。さっきはかばってくれて。」
「ついとっさに口が動いてしまって。親方は若葉さんには、特に厳しく当たりますからね。」
親方はアルバイトの僕がミスをしてもほとんど怒らない。
息子である虎太郎さんや虎次郎さんがミスした時は怒るけど、そこまでじゃない。
だけど若葉さんがミスすると異常なほどしつこく怒る。
そうなると帰るのも遅れてしまう。だから僕がやったことにした方がいいと判断したのだ。
「親父に向いてないって思われてんのかな~。女が植木屋なんてさ。」
「そんなことないと思いますよ。期待の裏返しじゃないですか?」
「もう何年もやってるのに剪定も任せてもらえないし。後から入った太郎も次郎もやらせてもらってるのに。」
「親方には親方の考えがあるんだと思います。きっと若葉さんのことを考えてくれてるんですよ。」
若葉さんは何も答えず、タバコの煙をふっと吐き出した。その視線はコンビニの向かいの親方の家をじっととらえている。
「若葉さんはどうして植木屋さんになろうとしたんですか?」
彼女はタバコを一口吸い、それから煙を吐いた。
「もともとは絵画やってて美大に行こうと思ってたんだよ。だけど、何年も合格できなくて。そんな時にガーデニング芸術に出会ってさ。植木屋になれば庭園で芸術表現できるんじゃないかと思って。」
僕は目を見開いてじっと若葉さんを見つめる。
「なんだよ…。どうせ変な夢見ておかしいなんて思ってんだろ。親父とか太郎、次郎にも笑われてっから慣れてんだよ。」
「違いますよ。枯山水とか池泉庭園とか、海外では日本庭園も芸術として評価されてるって聞いたことあります。若葉さんはそういうのを目指してたんですね。素敵です!」
僕が目を輝かせると、若葉さんの頬が少し緩んだ。
「そうなんだよ。まあ、私は和風庭園じゃなくて、ガーデニングによる色彩表現を考えててさ。季節ごとに咲く花が変わることを生かして、庭の表情が変わる様子を調和させながらうまく表現したいなって、色々考えてて…。」
「そういえば若葉さんって色彩感覚が豊かですもんね。ほら、いつも半纏の下に合わせているインナーの色使いとか、へぇ~っ、そんな合わせ方あるんだって感心すること多いですもん。」
「えっ?気づいてくれてたの?」
彼女は目を見開きながら僕に視線を向けた。
「もちろんですよ。そんな若葉さんの色彩感覚が表現された庭園、ぜひ見てみたいです。」
「ああ、うん。そっか。じゃあ、今度部屋に遊びに来なよ。小さいけど箱庭もあるし、ベランダで育ててる花壇もあるから。」
「いいんですか。じゃあぜひ!!」
若葉さんはまた僕から目を逸らした。そのまま黙って、二本目のタバコに火をつけている。
「そういえば一郎は大学で何を勉強してんの?」
「僕は商学部なんでビジネスとかですね。経理とかマーケティング戦略とかそういう勉強してます。」
「ふ~ん…。私はそういうのさっぱりわかんないや。じゃあさ、もし私が植木屋として独立できたら、その時はいろいろ助けてよ。」
「ええ…、そんなことでよければ何でも言ってください。」
この日のやり取りをきっかけにして、アルバイトの後に若葉さんの部屋に遊びに行くようになった。
最初は部屋で箱庭とか花壇とかを見せてもらったり、一緒に画集を見たりするだけだった。
だけど、肉体労働の後は、体はヘトヘトだけどなぜか性欲は異常に強くなる。
だから、ある時、欲望を抑えきれずに、はずみで彼女を抱きしめてしまった。
そしたら若葉さんも身を任せてくれたので、そのまま勢いで関係を持ってしまった。
タバコと土の匂いがしたことをよく覚えている。
あれから7年。
その間、若葉さんは知り合いに頼まれて手掛けた西洋風庭園がSNSで話題になり、雑誌でも取り上げられ、若葉さんを指名した依頼がたくさん舞い込むようになった。
まだ親方の植木屋に所属してるけど、実質的には若葉さんのブランドで取って来た仕事を若葉さんが親方として手がけている。
僕との関係は…と言うと、僕が植木屋のアルバイトを止めた後も、週に1回くらいの頻度で外で会って関係を持っている。
そういえば、先週、若葉さんと関係を持った後、ベッドの中で言ってた。
そろそろ独立して自分の会社を作るつもりだから約束通り手伝って欲しいって。
僕は二つ返事で了解した覚えがある。
その時には、若葉さんの会社設立を手伝ってくれる弁護士とか税理士を僕のツテで紹介するくらいに考えていた。
だけど、もしかして若葉さんは、僕が一緒に植木屋をやってくれることを期待してそう言ったのかもしれない。
親方のおかみさんみたいな立場で僕が若葉さんを支えることを期待して…。
僕はその事実に気づき、戦慄した。
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