第2章 憤怒の女
第6話 甘い考えとその代償
夕方6時過ぎ、退勤してオフィスを出ると、あまつかさんがビルのエントランスで待ってくれていた。
「すごいね~。六本木ヒルズなんて初めて来たよ。」
キョロキョロとあたりを見回していた彼女は、僕の姿を見つけると駆け寄って来た。
「お待たせしました。じゃあ、さっそく…。」
「ちょっと待って!こんな人がたくさんいるところじゃ無理だって。それにほら!あそこに聡美さんもいるじゃん!」
彼女が視線を向けた先を見ると、確かにC級関係者の聡美さんが周囲に溶け込みながら佇んでいた。
ああ、確かに。
すっかり慣れてしまって気づかなかった…。
「じゃあ、多目的トイレでも行きますか?何年か前にお笑い芸人がそこで不倫してたっていう六本木ヒルズの知られざる名所ですけど。」
「トイレなんて雰囲気なさ過ぎる!」
あまつかさんが唇を尖らせながら頬を膨らませている。
悪魔が色欲を吸い取るのに、雰囲気なんか気にする必要あるんだろうか?
そんな疑問を抱えながらも、じゃあそれならと毛利庭園の方に案内し、そこの木陰であまつかさんに色欲を吸い取ってもらった。
「フフッ…なんて欲深なのかしら。たった1日でこんなに色欲を溜め込むなんて…。」
僕から唇を離した彼女は、うっとりした瞳で僕を見つめた。
「はい…お恥ずかしい。だけど、あまつかさんのおかげで助かりました。今日も関係者からのお誘いを断れましたし。本当に感謝しています。」
「だから、悪魔に感謝するのおかしいって…。」
彼女はプイっと顔を背けたけど、頬に朱が差している。
「まあ…私も助かったよ。大型の色欲の契約取れたって部長に報告したら、びっくりするくらい褒められて…。『こんな大型の色欲の契約を取って来たのは、あまつかくんが初めてだ。みんな拍手~』なんて言われて拍手してもらって。それでねっ!!会社で表彰してもらえるみたい。特別ボーナスももらえるかもしれないってっ!!」
「よかったですね。これからもよろしくお願いします。」
「だから、そんなの悪魔に対する態度じゃないって…。」
彼女は照れたような表情で地面をつま先で蹴っていたけど、ハッと気づいたような表情になり、僕に視線を向けた。
「そうだ!関係者との話し合い、ちゃんとしなよ!このままだったら誰かに刺されてもおかしくないからね!せっかく一生分の色欲を貰う契約したのに、その一生がすぐに終わっちゃったら意味ないから、そこはちゃんとしてよ!!」
「わかってますよ…。あっ、あまつかさん時間大丈夫ですか?たしか仕事に戻るとか言ってましたよね。」
「ああ、うん。そうだった。じゃあ、約束だからね。ちゃんと話し合いしなよ!」
最後に僕にビシッと人差し指を突き付け、あまつかさんは急ぎ足で去って行った。
◇
それから、あまつかさんは、毎日僕の色欲を吸い取ってくれた。
おかげで僕は性欲に囚われることなく関係者からのお誘いを冷静に断ることができ、プライベートの時間もできて、夜もゆっくり眠れるようになった。
そうするとますます頭がクリアになって、体調も良くなり、仕事も捗る。
すべてがうまく回り始めた気がする。
ーー
「さて…。今日はどうしようかな?金曜日だし、ちょっと新しいお店でも開拓しようかな~。」
あまつかさんと出会ってから初めての金曜日。
金曜日の夜を自分の自由に使えるなんて何年ぶりだろう!!
仕事からの帰宅途中、そんなことを思いながら弾むような足取りで自宅の最寄駅で降りて、前から気になっていた立ち飲み屋に一人で入ってみた。
カウンターの隅でビールと串焼きを注文する。
誰にも気を遣わず、じっくり自分と向き合いながらビールを一人で楽しめるなんて、幸せだな~!
楽しい気分ですぐにほろ酔いになったけど、ふと、あまつかさんの言葉が頭をよぎった。
「ちゃんと関係者に誠意をこめて謝って、話し合って納得してもらいなよ!」
毎日のように口うるさくそう言われている。ついさっき、職場近くで色欲を吸い取ってもらう時にも言われた。
実は、あまつかさんには言えてないけど、まだ関係者の誰とも話し合いをしていない。
それどころか、若葉さんからは、毎日のように鬼電、鬼メールが来てるけど、一切応答していない。
お誘いを断っているうちに、向こうの方で察して、そのまま自然消滅してくれないかな~。
最近ではそんな甘いことまで考えるようになった。
「んっ?」
考え事をしていて気づかなかったけど、カウンターの隣では、30歳過ぎくらいのスーツ姿の女性がジョッキでビールを飲んでいる。
ちらっと横顔が見えたけど、ちょっと勝気そうなバリキャリ風で僕が好きなタイプ。
ついつい反射的に少しずつ距離を詰めてしまう。
機会があれば話しかけてみようかな?
色欲はないけど、おしゃべりするだけなら別腹だよね。
「おうっ、一郎やんけ!」
突然、その女性と反対側の肩が叩かれた。
振り返ると、赤毛短髪でニヤリと笑う日焼けをした大柄なお兄さんがいた。黒色の長袖シャツに乗馬ズボンを履いている。
「虎太郎さん…。」
「おうっ、虎次郎もおるで!なんや久しぶりやんな。ちょっと一緒に飲もうや。」
虎太郎さんの後ろからは黒髪を五分刈りにして、力士のような巨体に、やはり黒色の長袖シャツに乗馬ズボンを履いたお兄さんが現れた。
やばい。虎太郎、虎次郎兄弟に捕まった。
「あっ、えっと…。」
「ちょっと場所変えようや!虎次郎、姉貴に電話せいよ!」
虎太郎さんは僕の肩をがっちりと掴み、虎次郎さんは電話しながら巨体で店の出口を塞いでいる。
もう逃げられない。
観念して大人しく彼らと一緒に店を出た。
◇
「お前も懲りん奴やな~。大人しく姉貴と話してれば、儂らも手荒なことせんで済んだのにな~。」
「姉貴、ブチギレてるぞ。俺らは知らんで~。知っとると思うけど、姉貴が頭に血が昇ると何するかわからんからな~。」
虎太郎、虎次郎兄弟に連れて来られたのは、かつてはよく来た植木職人の親方の家の、その庭にある物置小屋。
僕はそこで椅子に座らされ、後ろ手に縛られた。
もうこうなると観念して目を閉じるしかない。
「太郎、次郎、もうええよ。母屋へ行っときな!」
物置小屋の外から鋭い声が響くと、虎太郎・虎次郎兄弟は黙って物置小屋から出て行った。
入れ替わりに入って来たのは半纏に乗馬ズボンの女性。
若葉さんだ・・・。
「どうして電話に出ないんだ?どうしてメールに返さないんだ?」
彼女は腕組みをして、椅子に縛られている僕を傲然と見下ろしてきた。
僕は同情をひけるように、なるべく気弱な表情を作って上目遣いで見上げる。
「その表情やめろよ。もうごまかされないぞ!どうせまた他に女を作ったんだろ。何度目だと思ってるんだ?」
「あまつかさんのことを言ってるなら誤解で…。」
「うっせーよ!勝手にしゃべんな!!」
ぴしゃりと言葉を遮られたので、僕は口をつぐみ、おびえた表情をするしかない。
「そんな顔すんなよ。怒ってるわけじゃないんだ。一郎がもう浮気しないで私との約束を果たすって誓うなら許してやるから…。」
若葉さんの声が急に優しくなった。
表情は険しいままだけど、少しだけ目尻が下がった気がする。僕は黙って若葉さんの顔を見上げる。
「前に約束しただろ。私が植木職人として一人前になったらそれを支えてくれるって。これからは私だけを見て、その約束を果たしてくれれば、これまでのことは水に流すから…。」
僕は若葉さんの顔を見つめた。
それから過去の記憶を探った。
若葉さんとどんな約束をしたのか思い出すために…。
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