第5話 悪魔との約束
約1時間弱、満員電車に揺られ千代田線の乃木坂駅に着くと、あまつかさんは憮然とした表情のまま電車から降りた。
「あまつかさんも乃木坂駅なんですね。もしかして職場が近いかもしれないですね…って、待ってくださいよ~。」
あまつかさんが、黙ったまま早足で先に行ってしまったため、慌てて追いかける。
「ごめんなさい。ご迷惑をおかけして…。だけどこれから長い付き合いになるわけですし、ちゃんと誤解は解いておきたいので話を聞いてもらえませんか。」
僕がそう伝えると、彼女は駅を出たところでピタリと足を止めた。でも振り向いてはくれない。
「…電車の中でも女の人に睨まれたり、足を踏まれたりしたんだけど…。もしかして同じ電車にも、君の関係者がいたの?」
「えっ、え~っ?それはただ電車が混んでたからじゃないかな~?」
そう答えながらも僕はあまつかさんの目を見られない。実は電車の中にE級の関係者が何人かいたことは黙っておこう。
「女性関係にだらしなさすぎる。そんな人の担当悪魔なんて嫌だ…。」
「ごめんなさい…。でも僕も悩んでるんです。自分の強すぎる性欲に…。」
彼女は振り向かないままだけど、足は止めてくれている。
「さっきの彼女、若葉さんは、大学に入って始めた植木屋のアルバイトで知り合った7歳年上の植木職人さんで、それ以来の付き合いです。」
「あの人のことはわかった。他にも関係者がたくさんいるんでしょ?どのくらいいるの?」
「…定期的に関係がある、C級以上のレギュラークラスだと…6人くらい…。」
「はあっ?」
彼女が勢いよく振り向き、眉を寄せ口を開け、驚いたような呆れたような表情が見えた。
「はい…自分でもおかしいことはわかってます。だけど、性欲が溜まってくると自分でも性格が豹変して冷静な判断ができなくなってしまうんです。」
「ふ~ん…。」
彼女は腕組みをしたまま黙って厳しい視線を向けてくる。
「これでも、高校の時までは普通に生きてたんです。性欲こそ強くて悶々としてましたけど、周りは同じくらいの年頃の女の子ばかりで、僕を好きになるような5~10歳年上の女性と知り合う機会がほとんどなかったので。」
「…まあ、性欲が強くてそれを持て余す男子高校生なんて普通よね。」
「はい…。それで高校の時は担任の先生と関係するくらいで済んでいたんですけど。」
「おいっ、こらっ!!前言撤回!全然普通じゃないし!高校のころから十分異常者だよ!!」目を見開き、指を突き付けてきた。
「すみません…。それで、東京に出てきたら…人口が多いからですかね?僕よりも5から10歳くらい年上で、これまで何か一つのことに打ち込んで、恋愛とか二の次だったけど、ふとこのままずっと一人なのか、寂しいなって思っちゃうような女性と知り合う機会がいっぱいあって…。それで性欲が溜まった時にそんな人に声を掛けたり、声を掛けられたりしてフラフラと…。それで気づいたらこんな感じになっていて…。」
あまつかさんは口をあんぐり開けている。言葉も出ないようだ。
「あの…。あまつかさんが来てくれて感謝しています。僕が悩んでいる色欲を吸い取ってくれれば、性欲もなくなって僕も冷静になれて、もうこれ以上、こんなことを繰り返さなくて済むって…。僕にとってやり直すチャンスだと思っています。だからお願いします。見捨てないでください!!」
腰を曲げて深く頭を下げる。
でも、あまつかさんは何も言ってくれない。
頭を下げたままちらっと上目遣いで見上げると、彼女は腕組みをして憮然としていた。
「まあ、契約を締結しちゃったわけだし、約束通り色欲は吸い取らせてもらうから。」
「ありがとうございます!!」
思わず駆け寄って、あまつかさんの手を握ると、彼女は赤面して顔を背けた。
「性欲だけじゃなくて、そういう態度も問題だと思うよ。ちゃんと、関係者全員と話し合って、誠意をこめて謝って納得してもらってね。それは私との約束だからね!!」
「ああ、はい。もちろんです。それで…色欲があるとついつい誘惑に流されて冷静に話すことが難しいので…。頻繁に吸い取ってもらえるとありがたいんですけど…。できれば毎日…。」
「・・・しょうがない。職場も近いみたいだし、毎日吸い取りに行ってあげるわよ!」
「ありがとうございます!!」
「取引した人間に感謝される悪魔なんて聞いたことないよ…。」
彼女はまだ呆れた表情のままだったけど、少し口元が緩んでいた。
そして出勤時間が迫っていたため職場に急ぐ彼女と別れ、僕も職場に向かった。
◇
「あっ、神嶌さん!おはようございます!」
僕の職場ではフレックスタイム制が導入されている。しかし標準出社時間は9時だ。
だから8時過ぎの職場にはまだ誰もいないだろう。そう思って部屋に入ると、オフィスで一人だけ、窓際の席に座ってPC画面を見つめている彼女の姿が目に入った。
「おはよう。早いわね。」
その彼女、神嶌紅羽さんは、スタバのカップを口に付けながら僕に向かってにっこりと微笑んでくれた。
彼女は僕が所属している法務部のゼネラルマネージャー、いわゆる部長だ。
平均年齢が若い僕の会社でも、若干35歳でGMにまで上り詰めた彼女は異例の存在。
海外の大学を出て、ニューヨークの弁護士資格も持っている才女。
雑誌に美しすぎるバリキャリ女子として取り上げられたこともある。
いつも明るい色のスーツをビシッと着て、高いヒールをカツカツ鳴らし、よく手入れされた肩に届く髪をなびかせながら社内を闊歩する姿は惚れ惚れするほど凛々しく、男女問わず憧れている人は多い。
私生活ではキャリア官僚の夫と二人暮らしで、オフィスの近くの六本木の高層マンションに住んでいるとも聞いている。
広いオフィスに二人きりがなんとなく気まずくて、もごもごと挨拶を返し、そのまま自席に座りPCを立ち上げていると、いつの間にか彼女が僕の席の後ろに立っていた。背中越しに香水の香りが鼻をくすぐる。
「一郎、昨日は遅かったのにこんなに早く来て大丈夫?」
「早く目が覚めちゃって…。神嶌さんも早いですね。」
「私はいつもこんなものよ。それよりも紅羽って呼んでよ。まだ誰もいないから…。」
彼女、紅羽さんは僕の肩に手を置き、もう一方の手で僕のマウスを持つ手を包んだ。
「次なんだけど…この日はどうかな?」
彼女は僕の手の中のマウスを導き、スケジュール表を開いて、3日後の金曜日の20時にカーソルを合わせた。
「いえ、すみません。その日は別の約束が…。」
「そうなの?じゃあ、この時間でもいいけど。なんなら泊りでも…」
彼女は22時にカーソルを合わせる。
「すみません。その日はちょっと遅くなりそうなので…。」
「そっか。じゃあ、また誘うわね。」
彼女はあっさりと僕の右手から手を離した。
一瞬だけ、僕の肩に置いた左手に力が入った気がするけど、そのまま何事もなかったかのように自席へ帰って行く。
危なかった。あまつかさんに色欲を吸い取ってもらっていなかったら、断れなかったかもしれない。
誰に言い訳する必要もないけど、神嶌紅羽さんも関係者の一人だ。
実は昨日も、あまつかさんに会う前にホテルで関係していた…。
思わず、今朝見た、あまつかさんの呆れた顔がフラッシュバックした。
紅羽さんとの関係も、あまつかさんに非難されたらまったく言い訳のしようがない。
色欲に囚われない冷静な頭で考えると、これまでの自分がいかに異常者であったことが自覚できる。
でも…今日は初めて紅羽さんのお誘いを断れた。いつもは性欲が赴くままに、なし崩し的にみだらな関係を続けていたのに。これは大きな一歩だ。
やっぱり色欲がないって素晴らしい!
これを機に関係者との関係を清算して、普通の平和な日常を取り戻そう!
そう決意しながら、ふと窓の方を見ると、窓際の席から僕をじっと見つめる紅羽さんと目が合った。
しかも彼女はニコッと笑いかけて来た。
ブルっと身震いがして、それから彼女にあいまいに微笑み返し、PCに視線を戻した。
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