第3話 悪魔のお泊り
僕が貸してあげた高校時代のジャージに着替えた彼女は、髪を乾かすのに時間がかかるからと、シャワーは浴びず、メイクだけ落として洗面所から戻って来た。
「洗面所にあったメイク落とし借りたよ。あっ、保湿クリームも。すごいね。この家、何でもある。」
「ああ、そうですか。勝手に使わないでくださいね。それと、今日はここで寝てください。」
彼女が顔を洗いに行っている間に、クローゼットの隅に丸めて置いてあったヨガマットを敷いて、予備のシーツを掛けておいた。まだ少し暑い季節だし、この上でバスタオルでも巻いて寝れば十分だろう。
「え~っ、床で寝るの~。体が痛くなっちゃう。」
しかし彼女は不満そうに口を尖らせながら、寝室のダブルベッドの方にちらりと目線を送った。
「勝手に押しかけて、勝手に終電なくして泊めてもらって文句言わないでください。悪魔なんだし問題ないでしょ。」
「だから、悪魔に勝手な先入観持つの止めてよ。悪魔だって30歳過ぎるとなかなか熟睡できないし、疲れも取れにくいんだから。」
「じゃあ、外で寝てもらっても構いませんよ。」
「ぶ~っ!!」
まだ頬を膨らませて不満顔だったけど、しぶしぶ納得したようでヨガマットに腰を下ろした。
彼女は、少し暑かったのか貸してあげたジャージの上を脱いでキャミソール姿になった。白い肌と鎖骨がすごくきれいだ。
「じゃあ、電気消しますね。もう夜遅いんで。」そう言って電気を消して僕もベットに入る。
天井を見ながら思った。こうやって落ち着いた気持ちでベッドに入れるのはいつ以来だろう。
女性が部屋にいて、しかもあんな扇情的な格好をしてるのに、それを床に寝かせて平気な顔できる日が来るなんて思いもしなかった。
ちょっと不安だったけど色欲を売り渡して本当に良かった。
「そういえば、あまつかさんって、悪魔を始めて長いんですか?」
「はいいっ?」
ふと頭に浮かんだ疑問をぽつりと口に出したら、彼女は素っ頓狂な声を上げた。
「なんで?なんで私の名前を知ってるの?さては私が顔を洗ってる間に荷物を漁ったわね!!」
彼女がガバッと起き上がる気配がした。ああ面倒くさい。余計なこと言わなきゃよかった。
「さっき上司らしき方と電話で話している時に名乗ってたじゃないですか。」
「あっ、ああ、そうか…ごめん。あっ、クククッ…私は生まれた頃から悪魔だ。もう10万年以上になるかな。お前たち人間の100年にも満たない儚い人生からは想像もつかないだろうな~。グハハハッ!!」
「電話で契約するの初めてって言ってたじゃないですか。それにさっき、30歳過ぎると…って言ってましたよね!!」
「ぐう…。」
図星を衝かれたようで、彼女は息を飲んでそのまま黙りこんでしまった。
いけない。言い過ぎちゃったかな?ちょっと機嫌を取っておこう。
「…お仕事大変なんですか?さっきも上司に自動車でこの辺りに連れて来られて飛び込み営業させられたみたいなこと言ってましたし…。」
「…大丈夫だし。あれくらい全然平気だし…。」
「さっきからちょくちょく出てくるデーモン小暮閣下みたいな悪魔口調も、もしかして上司の指示とかマニュアルに従ってるとかじゃないですか?いいんですよ、無理しないで自然にしゃべってもらって…。」
「…無理なんかしてないし…。」
「僕にできることがあれば何でも言ってください。もしよければ他の欲も…。」
「…ちょっと、そんなに優しくしないで…。」
寝返りをうつ気配が伝わってきた。どうやら背を向けられてしまったらしい。
「でも…今日は契約取れてよかったですね!!初契約ですね!」
励まそうと明るい調子で話したつもりだけど、彼女は黙ったまま。
もう寝ちゃったのかなと思って僕も目を閉じたら、暗闇の中で彼女がぽつりとつぶやいた。
「悪魔になって1年…。これまで1件も契約取れなかった。営業って向いてないのかなって思ってた…。」
「まだまだこれからですよ。ほら、1件契約を取ってコツをつかめたら、次もその次もってどんどん契約を取れますって。」
「そうかな…?」
「そうですよ!それにさっき言ってたじゃないですか。色欲を渡す人って珍しいんでしょ。じゃあ、大ヒット。いや、ホームランですよ!」
また寝返りをうつ気配があった。今度はこちらを向いたみたいだ。
「そうなの…そうなのよ。同期も先輩も、契約を取ってくるけど怠惰とか貪欲ばっかり…。せいぜい痩せたい女子高生から暴食を取ってくるくらいで…。色欲を、しかも一生分渡してくれる契約なんて見たことない!」
「よかったですね。きっと、あまつかさんのこれまでの努力が報われたんですよ。」
「そう、そうなんだよね…。毎日、汗をかきながら飛び込み営業して、邪険にされながらも先輩に同行させてもらって話法を真似してみたりして。あの努力は無駄じゃなかったんだ…。」
「そうですよ。あまつかさんみたいに頑張る人は絶対に報われるんですよ。」
「うん、ありがと…う…。」
彼女の言葉が途切れ、それから寝息が聞こえ出した。どうやら寝入ってしまったらしい。僕も寝るか…。
◇
翌朝早く。僕は5時間も寝ないうちに不快感で目を覚ました。
差し迫るような焦燥感。
欲求が充たされない不満感。
頭を覆う何とも表現できないもやもや…。
しかも僕の下半身はいつもと変わらず、恒例の朝の反応をしている…。
この不快な感情は間違いない。性欲だ。
「なんだよ!悪魔が色欲を喰ってくれたって夢だったのかよ!」
起き上がると、床の上でまだ眠っているあまつかさんが目に入った。
あれっ?夢じゃなかったのか。じゃあ、僕の色欲を食べたってのが嘘ってこと?
なんだよ、騙しやがって!!
そんな僕の気も知らないで、のんきに口を開け、よだれを垂らしながら、だらしなく寝ている姿を見ているとなんかすごくイライラしてきた!
「あまつかさん!起きてください!僕の性欲なくなってないんですけど!!いったいどういうことですか?話が違いますよ!!」
肩を乱暴に揺さぶると、彼女は眠そうな目をこすりながら起き上がった。
「ああ、もう溜まっちゃったんだ。大丈夫だよ。」
「なにが、だいじょ…。」
彼女は僕の首に腕を回し、唇を激しく吸いながら舌を絡めてきた。昨晩よりもさらに激しく、そして長く…。
「むごご…。」
息が切れそうになったところで、彼女はようやく唇を離した。
「すごいね…。一晩も経ってないのにもうこんなにたくさん…。」
昨夜と同じように、とろんと恍惚とした表情をする彼女を見ながら気づいた。
さっきまでのもやもやも不快感も消えて爽快な気分…。
これも昨日と同じ。
性欲が消えてる!!
「どういうことです?」
「欲は次から次へと生まれてくるからね。しかも君は特に色欲の回復力が強いみたいだ。でも、大丈夫だよ。色欲が溜まったら私がこうやって吸い取ってあげるから。」
「じゃあ…。僕はこれからずっと、色欲が溜まるたびに、あまつかさんに吸われ続けるってことですか?」
「そうだよ~。ほら、乳牛だって毎朝ミルクを絞るでしょ。私がお世話してあげるから、これからもいっぱい色欲を出すんだよ~。あっ、他の人に吸わせちゃだめだからね~。私と独占的排他契約を結んでるし。」
まだ少し寝ぼけているのか、彼女は眠そうな目でぼんやりしている。
しかし、対照的に僕の眠気は一気に吹っ飛んだ。
それって、これまでとほとんど変わらないじゃん!!
絶え間なく湧き上がる性欲に苦しみ、振り回され、その都度、適当に発散しながらなんとかごまかしてきた日々と…。
いや、違う。
あまつかさんに独占的かつ排他的な権利を認めちゃったから、あまつかさん以外で発散できなくなってる…。
思ってたんと違う!!
この時、僕は悪魔と契約したことを初めて後悔した。
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