第2話 悪魔との契約
僕が色欲を渡すと伝えると、悪魔と名乗る彼女は重そうなカバンから大事そうにうやうやしく書類を取り出してダイニングテーブルに広げた。
「じゃあ契約書にサインしてもらうから。しっかり読むのだ!」
言われるまでもなく契約書を読み進めると、途中である条項が目に留まった。
『第3条 甲は乙に対し、甲が死亡するまでの間、独占的、排他的、かつ継続的に色欲を提供し、乙はこれを受領するものとする。
2 乙は甲に対し、前項の色欲の対価として、甲の望みを叶えるものとする。』
「甲が僕で、乙が悪魔さんですよね。なんか僕の望みを叶えてくれるって書いてありますけど…。」
「ああ、うん。対価を渡さないと契約として有効にならないって悪魔の国の法律で決まってるんだ。それに対価を渡さずに人間から大欲を奪うと人間保護法で処分されちゃう。」
「ああ、悪魔の世界にも英米法の約因とか消費者保護法みたいな考え方があるんですね。興味深い…。ちなみに、その望みは、金銭に換算するといくらくらいになるんですか?」
何気なくそう聞くと、彼女は不敵な笑みを浮かべ、それから高笑いを始めた。
「アッハッハッハ!なんだ金が望みか?愚かな人間よ!人間はみな同じだな!哀れな金の奴隷だな。どれ、計算してやろう…。」
彼女はスマホを取り出して何か入力し始め、それからガッと目を見開き、サッと顔が青くなった。
「あっ、あの…。できれば1000年ローンくらいでお願いできますでしょうか?」
「それはダメでしょ!!絶対途中で死んじゃうし。」
「いえいえ、1000年ローンにすればご子孫に受け継いで、末代まで左うちわで暮らせますよ。相続対策にもなりますし、ぜひそれで…。」
「ダメだって。色欲渡したら、性欲もなくなるんでしょ。だったら子供もできないし、結局、僕が末代になっちゃうじゃん。だったら相続対策もいらないって。」
「そこをなんとか…。お願いします!」
彼女はいきなり床に正座し、そのままガバッと土下座した。
さっきまで愚かな人間よ、とか言ってたのに、プライドとかないんだろうか。
「勘違いしないでください。別にお金が欲しいわけじゃないですから。ただ、どの程度の望みまで可能なのか金銭に換算したかっただけですから…。」
「ありがとうございます!あっ、でも代わりにどんな望みを…?」
土下座しながら顔を上げた彼女は、一瞬だけぱっと明るい表情を見せたけど、またすぐに不安そうな顔になった。
「う~ん…。追って指定するって感じでいいですか?ちょっと考えたいので…。」
「…はい…。」
彼女はそろそろと立ち上がりながら、不安そうな顔で顎に手を当てて少し考えこんでいた。
だけど契約を止めようとは言わなかった。ただ、下唇を噛んで何か考え込んでいるように見える。
彼女の気が変わらないうちにサインしてしまうか…。
「じゃあ、契約の内容はだいたいわかりました。どこにサインすればいいですか?」
「あっ、じゃあこの一番最後のページに…。」
彼女から渡されたいかにも安そうなボールペンを手に取り、彼女が指さした場所に、ためらいなくサラサラとサインする。
サインを終えて彼女の方に目をやると、いつの間にか腕組みをしながら僕を見下ろして、また不敵な笑みを浮かべていた。
「ハハハッ!!愚かな人間よ!とうとう悪魔と契約してしまったな!!どんなに後悔をしても遅い!お前は今日から、吾輩の家畜として生きるのだ!!」
「あれ、サインの横に『印』って書いてありますけど、押印もいるんですか…?」
「えっ、あれっ?押印も必要だったかな?わかんないな…」
高笑いを途中でやめ、首を傾げて焦りだし、それからこちらに背を向けてスマホでどこかに電話し始めた。
「…お疲れ様です。あまつかです。あの、契約手続について教えてもらいたいんですけど…。はい、はい、夜分にすみません…。初めての契約なので…すみません…。」
彼女は電話しながら、ここにはいない誰かにペコペコと頭を下げている。
悪魔の中では下っ端なのかな…?
そんなことを思いながら彼女の背中を見つめていると、彼女は「はい、ありがとうございます。失礼します」と言って電話を切り、僕の方を振り返った。
「フハハハッ!印鑑はいらないそうだ!あっ、でも犯罪収益移転防止法に基づく本人確認が必要らしいので、運転免許証かマイナンバーカードを見せてもらえますか…。」
高飛車な感じで話し始めて、途中から下手に出るのはもはやお約束なのだろうか?
少しかわいそうになったので、素直にマイナンバーカードを見せる。
「写真を撮ってっと…。よしっ!これで晴れてお前は吾輩の家畜だ!喜べ!フハハハハハッ!!」
「さっきからちょくちょく高笑いしてますけど、夜も遅いので、静かにしてもらってもいいですか?」
「あっ、はい…。すみません。」
僕の言葉に素直に従って高笑いを止め、静かに契約書をクリアファイルに入れてカバンにしまい始めた。
その途中で、あっと何かに気づいたような表情になった。
「あの…そういえばここの最寄駅ってどこになります?」
「えっ?どういうことです?」
「いや…あの…上司に近くまで自動車で連れて来られて、契約取れるまで帰ってくるなって言われて下ろされたので、ここがどこかよくわからなくて…。」
「そうじゃなくて、悪魔なんだからバッサバッサと翼で飛んで帰ったらいいじゃないですか!何で電車に乗ろうとしてるんですか?」
「い、いや…私そんなのできないし…。私クラスじゃタクシーもめったに使わせてもらえないから、もっぱら電車とバスを乗り継いで移動してるんだから。悪魔に勝手な幻想持つの止めてよね!」彼女は拗ねたように口を尖らせた。
悪魔も公共交通機関で移動するんだ!知らんかった。
でも、電車ってことは…。
「あの…もう終電過ぎてますよ。」
「えっ!!」彼女の顔がみるみる青くなった。
「じゃ、じゃあしょうがないからタクシーをアプリで…。えっ、配車できませんって?なんで?」
「ここは、もともとあんまりタクシー走ってないですし、それにこの豪雨ですからね…。」
窓の外ではまだ激しい雨音がする。当面止みそうにない。
「そんな…私どうしたら…。」彼女は顔に両手を当ててしゃがみこんだ。
「近くにコンビニがありますから、そこで朝まで粘るとか…。」
「夜のコンビニなんて、きっとヤンキーとかのたまり場で、そんなとこに私みたいなうら若き乙女がいたら襲われちゃう…。」
か弱げに首を振りながら、指の間から横目でチラッと僕の方を見て来る。
「じゃあ、5キロほど幹線道路沿いに歩くと深夜営業してるファミレスがありますから、そこで…。」
「こんな豪雨の中、5キロも歩けない…。」
また指の間からチラッと見て来た。
「……。」
憮然として黙っていると、しつこく指の間からチラチラ見て来る。
「もう…わかりました。ここに泊まってもいいですよ。」
「いいのっ?ありがとう!!」
パッと明るい顔になった彼女は、サッと立ち上がって僕の手を握った。
ああ…めんどくさいことになっちゃったよ…。
「とりあえず、部屋着とか貸してもらっていい?スーツ皺になっちゃうし。ハンガーも貸してね。あと、歯ブラシとかある?」
僕の内心の憂鬱に気づかないのか、次々と要求を重ねて来る。
悪魔と契約するとはこういうことかなのか…?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます