社会にいたロボット、止まれる機械

2030年当時、人型ロボットはすでに社会にいた。

珍しい存在ではない。

工場の定位置、病院の廊下、災害訓練区域、軍の後方支援ライン。

場所は違っても、共通点があった。


ロボットは「止まれる存在」として使われていた。


定期点検の時間がある。

異常が出れば安全停止がかかる。

再起動され、基準座標に戻され、再び動き出す。


社会はその前提で設計されてきた。

止まれることが安全だった。

止められることが、信頼だった。


だが止まるという行為は、判断の放棄でもある。

「今は決められない」という選択だ。

そしてその選択は、必ず人間に引き継がれる。


人が確認する。人が判断する。人が責任を持つ。


その構造は長いあいだ機能してきた。

だが止まれない場面は、確実に増えていた。


災害現場では時間が命を分ける。

瓦礫の下でロボットが止まれば、人はそこへ向かわなければならない。

工場ではラインが止まれば、連鎖的に損失が広がる。

医療現場では、途中停止が許されない処置もある。


止まることが、最も危険になる瞬間が現れ始めていた。


それでも設計思想は変わらなかった。

異常は止めてから考える。

判断は止まってから下す。


止まれない状況では、その思想自体が破綻する。


ロボットフルマラソンは、そこに切り込んだ。

止まれない条件を、最初から固定する。

止まった瞬間が終わりになる世界を、あらかじめ用意する。


42.195kmは、そのための距離だった。


累積誤差は静かに増えていく。

足裏の感圧は摩耗で鈍る。

関節のゼロ点は熱と遊びでずれる。

カメラの露光は天候に引きずられる。


止まれば直せる。

だが止まれない。


外部通信は禁止されている。

人は介入できない。教師は自分の体と、地面だけだ。


人間は、それを当たり前にやっている。

街はその前提で作られている。


舗装は完全に平らではない。

段差は左右で微妙に違う。

風が吹き、影が揺れ、路面は刻々と変わる。


それでも人は歩く。正確な測定をしてから足を出すことはない。

違和感を感じながら、動作そのものを少しずつ変えていく。


ロボットが街を歩くなら、二つの道があった。

街の側を変えるか、ロボットが人間を模すか。


大会は後者を選んだ。


この競技に参加した企業の多くは、派手なデモを得意としなかった。

むしろ逆だ。

止まれば損失になる現場を知っている会社ほど、静かだった。


東嶺ロボティクスもその一つだった。

ショールームはない。広告も打たない。


あるのは、止まれない工場の奥だ。

現場では、止まらないことが評価になる。

完璧であることより、続くことが価値を持つ。


設計者たちはすぐに理解した。

42.195kmは、性能競争ではない。

判断の持久力を測る条件だ。


止まる前提で作られた機械は、止まれない世界では必ず止まる。

それは能力不足ではない。

思想の問題だった。


この大会はロボットに新しい役割を与えようとしていた。


止まれない世界で、誰にも引き継がず、判断を続ける存在。


それは人間の代替ではない。

人間が常に肩代わりしてきた「途中判断」を、初めて機械に委ねる試みだった。


42.195kmという距離は、その覚悟を測る。

ロボットの性能ではない。

社会が、どこまで判断を手放せるかを。


競技は、静かにその問いを突きつけ始めていた。

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