第20話

20、明全寺訪問

 永良寺を訪れた翌日には2人は杉下の車で舞鶴に向かっていた。北陸自動車道福井北インターから敦賀ジャンクションを経由して舞鶴若狭自動車道で舞鶴西インターまで2時間ほどのドライブだった。途中走っている車からは道路両側の防音壁が立ちふさがり、景色は思ったほど楽しめなかったが、杉津(すいづ)サービスエリアや三方五湖サービスエリアで車を停めて休憩した時の日本海や三方五湖の景色は素晴らしかった。

 舞鶴西インターを出てカーナビに明全寺と入力した。実は昨晩、お寺で大心さんの住所である京都府舞鶴市字引戸930をコンピュータに入力して検索してみたのである。するとそこには明全寺というお寺の名前が出てきた。明全寺は曹洞宗のお寺でかなり古い歴史のあるお寺である事までは調べがついていた。ナビの指示通りに進むと容易に明全寺につくことが出来た。明全寺は曹洞宗の古刹の禅寺で敷地は大きく歴史を感じさせるお寺である。

 山門をくぐり住職の自宅と思われる建物の玄関を訪ねた。中から70代くらいの坊守と思われる女性と住職らしき男性が出てきた。自己紹介でご住職は嶋崎という名前だとお聞きした。杉下は永良寺町から来たこと、そして70年ほど前、永良寺門前で線刻磨崖仏を彫った坂本大心という名前の僧侶について研究していることを説明した。すると

「70年前ですと戦前ですか、戦後ですか。」

と聞いてきたので杉下は

「永良寺に入山したのは昭和17年、永良寺を下山したのは昭和19年、でも線刻磨崖仏を彫ったのは昭和20年の9月から10月ごろと推測しています。」

と時期を限定した。すると

住職の嶋崎さんは

「昭和20年の終戦前後という事は私の父がこの寺に入って来た時期と重なります。」

と言って中に入るように促した。応接間に案内されると奥様が額のようなものを持ってきて

「これは大本山永良寺が寺の住職に出す指示書です。日付は昭和20年7月1日とあります。」

と言ってその額を見せてくれた。2人はその額をしっかりと確認した。

「嶋崎霊山、舞鶴市天保山明全寺住職を命ずる。昭和20年7月1日 大本山永良寺」

と書いてある。八木もいくつか聞きたいことがあったがゆっくりと口を開いた。

「嶋崎霊山さんは嶋崎さんのお父さんですか。」

と確認するとご住職は

「私の父です。父は兵庫県の禅寺の次男だったんですが、永良寺からこの寺の後継者がいなくなったので寺に入ってほしいという要請があり、寺を持つことが出来たと言ってました。この寺は大変古い歴史があります。もともとは臨済宗のお寺で臨済宗の開祖栄西の弟子である明全和尚の流れを汲んでいる名刹です。時代と共に変化があり曹洞宗の寺に代わり、永良寺の元にあります。」

と教えてくれた。さらに八木は続けて質問した。

「坂本大心についてお父さんから何か聞いていませんか。」

と質問した。すると嶋崎さんは興味深い話をしてくれた。

「実は父から坂本さんについて聞いたことがあるんです。この寺の跡継ぎだったはずの人がこの寺を訪ねて来たらしいんです。大心さんかどうかは分からないんですが、この寺の嶋崎家の前の住職は坂本さんというのは確かです。これは永良寺で調べてもらえばわかると思います。終戦前に大心さんのお父さんである坂本巌心さんが突然お亡くなり、後継者のはずだった息子さんは永良寺で何らかの理由で破門になり、召集され軍隊に行ったらしいんです。禅宗寺院は不動産の所有者は本山である永良寺なんです。後継者が絶えてしまうとその家の者は出ていかなくてはいけないんです。だから寺は人手に渡ってしまうんです。でも戦争が終わってしばらくすると、その息子さんがこの寺を訪ねて来たらしいんです。その方のご両親はお亡くなりになり、この寺も嶋崎家が入り、その人はどこへも行く当てがなくなってしまったらしいんです。さらに不幸なことにしばらくすると、その息子さんは軍隊時代の罪で裁判が開かれ有罪になって服役したらしいんです。父はその時のことを私に戒めの様に話してくれました。僧侶としてしっかりと修行しないと、いくら息子でも禅宗では寺を継ぐことは簡単ではないと。小さいころから何回も聞いて育ってきたんです。その息子さんの訪問は自分の寺を手にしたばかりの父にとっては強い印象があったんだと思います。」

小さいころに聞いた話をしっかりと覚えていたご住職は、不幸な人生を歩んだであろう坂本大心のことを昨日のことのようにありありと話してくれた。

杉下と八木は事件の概要をつかみ寺を後にした。昭和20年の坂本大心は戦争から帰ってきたら自分の家は他人の所有になっており、帰る場所がなくなった彼はおそらく永良寺に向かった。でも昭和19年に破門になっている彼を永良寺は受け入れてくれなかった。行く当てのない彼は門前をうろつき、岩壁に仏が彫られているのを見て、何らかの思いで自分も彫ろうと思い立った。しかしその後戦争犯罪で逮捕され、有罪判決を受け収監された。2人の推理はそんな感じだが、まだわからないことが2つあった。一つは彼が永良寺を破門になったことだ。これは永良寺の大徹さんに調査をお願いしてある。もう一つは彼が有罪判決を受けた戦争犯罪である。戦犯ならば現地で軍法会議が開かれているだろうし、連合軍による戦争犯罪裁判ならばB級やC級の裁判は現地で開かれていることが多い。日本の裁判所に引き継がれて裁かれているのならどんな罪なのだろう。2人の疑問は大きく膨れ上がっていった。八木は杉下に

「裁判記録って閲覧できるんですかね。」

と聞いてきた。杉下は

「そうか。京都地方裁判所かも知れないから今から行ってみようか。」

と答え、携帯で裁判所を検索した。するとすぐ近くに京都地方裁判所宮津支所があるではないか。ダメもとであたってみることにしてナビで車の行き先を裁判所に設定して出発した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る