第19話

19、大心の特定  

 伊藤隆さんは93歳。昭和20年には18歳。父親は伊藤末吉さん。隆さんの話では宮大工もしていたが仕事がない時は永良寺の寺所有の山に入って芝を集めて売る山男の仕事もしていたらしい。隆さんの記憶を頼って聞き出した昭和20年ごろの大心という僧侶は、何らかの事情で伊藤末吉さんともう一人の青年と共に、協力しながら線刻磨崖仏を彫っていたらしい。そこまでわかり、しかも永良寺町教育委員会が線刻磨崖仏について正式に調査活動を行っているとなれば、永良寺の総受所でも昭和20年前後の大心という僧侶の住所なども教えてくれるのではないか。

八木調査員と杉下は翌日八木調査員が準備した公式文書を持って永良寺総受所を訪ねた。文書は文化財調査のため、線刻磨崖仏作者と思われる大心という僧侶の個人記録を閲覧させてほしいという内容だ。

総受所の若い僧侶は2人お話を聞いてすぐに上司にあたる役僧に連絡すると、先日も杉下と対面した役僧が出てきた。胸には『大徹』と書いてある。やはり間違いはない。大徹も杉下を見て再会を喜び笑顔で微笑んでいる。大徹は右手に持った永良寺町教育委員会の文書を見ながら

「先日お話しした3人の大心の中から特定ができたらしいですね。そこまでできて、調査研究のためという文書もいただいてますので、住所などもお教えしてよいと副監院老師からもお許しを得ました。ではこちらへどうぞ。」

と案内されて奥の部屋の大徹の事務机の近くの椅子に座った。すると大徹さんはコンピュータのキーを叩き検索して、第3の大心の情報をプリントアウトしてくれた。すぐに座って待つ杉下と八木の所にその紙を持って来てくれた。

『氏名 坂本大心 生年月日 大正10年10月16日生まれ、住所 京都府舞鶴市字引戸930 昭和17年入山 昭和19年破門により下山』という記録が残っていた。

 記録を見た大徹は

「昭和19年下山ということは75年以上前ですね。永良寺で最も古参にあたる貫主猊下でも永良寺に入り50年ほどですから当時を知るものはこの寺には誰もいません。」

と教えてくれた。杉下と八木は「破門」という文字にいささか疑問を感じ、何があったんだろうと想像を巡らせた。しかし1945年ごろという事は今の様にコンプライアンスが重要視され、不祥事で寺を追放になるとは考えにくい。何があったかは個人の記録にないが寺の日誌のようなものにはあるのではないか。そんな気がして杉下は大徹さんに聞いてみた。

「大徹さん、無理なお願いかも知れませんが、大心さんが破門になる直前の寺の日誌のようなものは閲覧できませんか。徳川幕府だと徳川実記、各大名家にも実記が存在し、現在では本になっています。天皇家にもその日の記録を克明に記録した、日誌のようなものが存在します。永良寺にもそんな記録があるんではないですか。」

と恐る恐る聞いてみた。すると大徹は

「ありますよ。書庫に永良寺実記が膨大な量、記録されています。しかしデジタル化されていませんから一枚一枚丁寧に読まなくてはいけません。それに書庫の中には部外者を入れるわけにはいきません。お時間を頂けば私が調べておきますよ。30日ほどいただければ暇な時間を利用して調べておきます。僕もだんだん興味がわいてきました。」

と言ってくれた。2人は実記については大徹さんに任せ、舞鶴に行ってみることにした。


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