第17話
17、完成 自首出頭
線刻磨崖仏作成の作業を始めて2か月ほどが経った。この2か月、大心は槌を打ち付けるたびに国吉小隊長や無抵抗な中国人ゲリラ、そして撃ち殺せと命令を受けたけど撃てなかった中国人の子供たち、結局は国吉小隊長が撃ち殺してしまったのだが、その中国人の子供たちのことを思い浮かべていた。
国吉青年や伊藤さんの協力もあり、当初考えていたよりもかなり早く2体の仏様を彫り上げることが出来た。3人は顔を見合わせながら手を握り、微笑みあって完成を喜んだ。
「大心さん、最後に名前を彫らないのかい。」
と伊藤さんが大心に提案した。大心は
「名前は彫らないほうがいいと思います。仏師として名を残すためにやってきたわけではありません。僕は僕の内面における自己実現のためだけにやってきたんですから。」
と断った。その様子を見ていた国吉君は複雑な心境だった。無心に仏様を彫って来た大心に完成したら警察に出頭することを言わなければならないのだが、この人は本当に悪者なのか。自分の父親を殺した犯人であるが、仕方がなかったんではなかろうか。その場所に自分がいたらどうしていただろうか。父親ではあるが上官の言う事を聞いて無垢な中国人の子供を殺した方が罪は重いのではないか。自分ならおそらくそうしたのではないか。そうなれば父の方が大心よりも罪が重いのではないか。考えれば考えるほどわからなくなってきてしまっていた。しかし大心が仏を彫り終えたことは素晴らしいことだ。こんなに頑張ったんだからわずかだが記録を残してあげてもいいのではないか。だんだん彼を支持する立場になってきた。そして名前を彫らないと言った大心の発言を受けて
「名前、彫ればいいじゃないのかな。君が彫らないんなら君を警察に出頭させた後、僕がここに戻ってきて大心と彫るよ。」
と彼の目を優しく見ながらゆっくりと話した。
大心は2人に促されて作業を再開し、彫り上げた2つの仏の左下にそれぞれ「大心」と小さく名前を入れた。彫りが浅いので100年は持たないかもしれないが、大心という僧侶がこの世に存在したという足跡をこの岩に残すことになった。いつの日かこの名前に興味を持ったものが調査すれば、彼の苦悩を理解してくれる日も来るかもしれない。
数時間で名前入れを終えた大心と国吉君は作業場の清掃を終え、寝食の場にしていた駅の軒下も元に戻してこの町を去ることにした。2人は京福電鉄の東古市行きの電車に乗り込み、東古市で乗り換えて福井駅まで進むと福井県警察署に出頭した。
福井県警の受付で国吉君に付き添われた大心はよれよれの僧侶の服装で
「坂本大心と言います。満州の新京で殺人事件を起こし軍法会議にかけられていたんですが、終戦のどさくさで裁判が中断して、日本に帰って来ましたが、そのまま逃走しておりました。逮捕をお願いします。」
と述べた。しかし警察の事務官は大心の突然の出頭に
「お待ちください。刑事部長に連絡します。」
と言って奥に入っていったきりなかなか出てこない。しばらくするとようやく数人の男性刑事たちが現れ
「坂本さんですね。ではこちらへどうぞ。」
と言って奥の部屋に案内した。大心は国吉に目で合図して、ここまで一緒に来てくれたことに対するお礼をして、刑事たちの後について中の部屋に入った。国吉は彼の背中を見届けて、自分の仕事は終わったという達成感と、これで良かったのだろうかという焦燥感とが入り乱れていたが、警察署を出て自宅に帰るために福井駅に向かった。
取調室では自首してきた坂本大心に対する取り調べが始まった。満州の新京に本部を置いた関東軍の軍法会議の資料は、戦後地方裁判所に引き継がれているはずだった。しかし国内の事件はスムーズに引き継がれたが、海外の裁判は資料そのものが焼失してしまったり紛失してしまったり、事件そのものの存在が疑われたものも多かった。特に満州の場合はソビエト軍の侵攻に対して、必死に脱出することが優先されたため、わからなくなってしまっていた。
とりあえず基本情報の聞き取りから始まった。
「名前は坂本大心です。本籍は京都府舞鶴市字引戸930 軍籍は関東軍第3方面隊第30軍132師団 国吉小隊所属 事件番号などは記憶にございませんが事件発生の日時は昭和20年8月2日です。発生場所は新京市の中国人街です。軍法会議は新京市の関東軍駐屯地の軍法会議でありました。」
と述べた。事件番号を記憶していたらもっと早かったかもしれないが、こんなことになるとは思ってもいなかったので、覚えておこうなんて思いもしなかった。刑事部長は本部長の指示を受け、東京の警察庁や最高検察庁などに問い合わせをして、回答があるまでとりあえず留置所に入ってもらうことにした。資料が何もなかったら本人の供述をもとに裁判を行うのか、それとも検察側が罪を立証する手段がないという事で無罪放免になってしまうのか。難しい判断になるだろうが大心は罪を償うために警察に来たので是非逮捕して欲しかった。そうでなければ出身地の岡山へ帰っていった国吉青年に申し訳ないと思った。
数日留置所で結果を待っていたが、ほどなく取調室に呼び出された。警察の説明では
「事件の資料は日本に持ち帰られていて、一旦は東京の地方裁判所に保管されましたが、被告の住所に合わせて各県の地方裁判所に割り振られているそうです。あなたの事件は京都地方裁判所宮津支部で裁判が行われるそうです。現在資料を東京から京都に送付しているそうです。あなたの身柄は私たち福井県警が宮津の検察に送らせていただきます。」
ということだった。資料があったことにほっとした大心だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます