ハードボイルド園児
青出インディゴ
長いお別れ
午前8時、季節によっちゃまだ朝靄の中を、電動自転車の後部座席で疾駆する俺。今日もミッションが始まる。その名は――保育園。
ほどなく自転車は園に着く。玄関先で
「りょうちゃん! そんなの食べたら、メッでしょ!」
俺の泣くのを微笑ましげに眺めながら、他児や保護者が登園していく。
「あらあら、りょうちゃん、離れるのさみしーってなってるの? ママにバイバイしようね。ママまた夕方来てくれるって」
「みなさん、おはよお、ございます~、せんせい、おはよお、ございます~」
朝の会が始まる。居並んだ他児の顔には、一様に実存に対する問いがありありと浮かんでいる。なぜ自分はここにいるのだろう、自分はどこから来たのだろう、自分はこれからどうなってしまうのだろう……。しかし考えても答えは出ない。その答えはただ、
「今日はみんなで園庭で遊びます!」
「えんてー!」
「えんてーえんてー」
「やったー」
「えんてーだってー!」
その喜びのライムはさながら場末のヒップホップ。フロアの熱気が高まるのを感じる。園庭には滑り台、ブランコ、鉄棒、そしてなにより――お砂場がある。わかった、白状しよう。俺も心を震わせられずにはいられなかった。
俺たち園児は我先にと園庭に躍り出た。
給食。これがこの場におけるハイライトと言っていいだろう。
今日のメインは骨取りホキのムニエル風。付け合わせに彩りサラダ。残念ながら次点と言うほかない。やはり男は肉でなければ。その点、昨日のチキン竜田風はよかった。俺は遠い過去に想いを馳せる。
「おかわりくーだーさいっ!」
ひとりが声を上げれば、他のメンバーも倣い始める。
「ぼくもくーだーさいっ!」
「くーだーさいっ!」
俺の案に相違して、意外にもホキは人気があった。もちろんホキだって悪かあない。ただ……お前ら、本当に信念を持って生きているか、と問いたい。ホキが旨かったからと言って、チキンへの想いをないがしろにしていないか、と問いたい。
「みなさん、あとおかわりはおしまいですよー。あとひとつ食べたい人はいるかなあ」
はーいっ、と俺は無自覚のうちに手を上げていた。
お昼寝の時間に
今日も静寂のときは過ぎていく。
ハイライト第二章とも言える「おやつのじかん」を経て、いよいよ
「さなちゃん、おむかえでーす」
「ママー!」
「りつくん、おむかえ来たよー!」
「パパ来た、パパ!」
ひとり、またひとりと、帰宅の途に着く度に、胸に冷たい空気が忍び寄るのを感じる。今日もまた彼女は来てくれるだろうか。またひとりが帰る。俺は取り残されていく。置き去りにされるんじゃないか。俺はひとりぼっちでここに……。
胸の風が嵐になり、台風となって荒れ狂い始めたときに、彼女はやってきた。
「りょうちゃん、ただいまー!」
「ママー!」
俺は一散に駆け寄り、
「おかえりなさい! 今日もりょうちゃん頑張ってましたよ。園庭で初めて滑り台滑れたんですよ! それから大好きなお砂場でお友達と仲良く遊んでました。お昼寝のときはママーって泣きましたけど、抱っこしたらすぐまた寝て。あと、ご飯とおやつおかわりしました」
「へえ~滑り台滑れたの、りょう! やったねー」
俺は胸がほかほかし、なにも言えなくなる。男は背中で語る。察してくれ。
電動自転車が夕暮れの
午後5時、ミッション完了。あとは、入浴の攻防戦を残すのみだ。
ハードボイルド園児 青出インディゴ @aode
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