第9話 『蒼の聖域と雪だるまの守護者 〜救援力という名の、戻す魔法〜』
「――カイル様! 大変です、森の向こうから、馬に乗った一団が……!」
フィーネが真っ青な顔で飛び込んできた。外からは、静寂を切り裂く馬の嘶きと、略奪を予感させる野卑な叫び声が近づいてくる。
不作の村を狙う盗賊団。その数、およそ五十。対するこちらは、ようやく息を吹き返したばかりの非力な村人たちだ。
「カイル、どうする。私の魔力をすべてお前の指先に集中させれば、広範囲の爆裂魔法(バニッシュ)が撃てる。奴らを一瞬で灰にできるぞ」
ルキウスが銀の匙を鋭く光らせ、戦闘態勢に入る。カイルは静かに立ち上がり、窓の外を見つめた。
「……ううん、ルキウス。そんなことをしたら、この村の雪が汚れちゃうよ。僕たちの『心のコップ』には、もう濁った水は入れないって決めたんだ」
「何を言っている! 奴らは剣を持っているんだぞ!」
「大丈夫。僕には、大井の光と渋谷の青、そしてスカイツリーの魔法があるから」
カイルは外へ出た。 空は夕闇に包まれようとしていた。彼は深呼吸をし、かつて宮廷で培った魔力計算を、すべて「美しさ」の構築へと注ぎ込んだ。
「――展開。蒼の聖域(ブルー・サンクチュアリ)」
カイルが地面に両手を突いた瞬間、村全体が地響きとともに「青」に染まった。 約五十万球の光を模した青い魔力の粒が、ケヤキ並木を、家の屋根を、そして冷たい大気を埋め尽くす。視界のすべてが深い海の底のような、あるいは極夜の空のような、幻想的な蒼一色の世界。
「な、なんだ、この光は……!? 目が、目が眩む!」
先頭の盗賊が馬を止め、狼狽した声を上げた。 さらにカイルは、村の中央に積み上げられた巨大な雪の山に、浄化と命の魔法を流し込む。
「起きて。僕たちの守護者、スノーマン」
ズズズ……と音を立てて動き出したのは、高さ五メートルを超える巨大な雪だるまのゴーレムだ。その白い表面には、プロジェクションマッピングのように、村人たちが「おいしい」と笑い合い、スープを飲む幸せな記憶の断片がムービーとなって映し出された。
「……あ、ああ……」
盗賊の一人が、剣を落とした。 巨大な雪だるまから放たれるのは、攻撃の意志ではない。むせ返るほどの「慈愛」と、静謐な「冷気」。その美しさに、彼らが抱いていた醜い略奪の炎は、瞬時に凍りついた。
雪だるまの表面に映る「家族の団欒」の映像。 かつて自分たちにもあったはずの、温かな居場所。 青い光の中で、自分たちの手がどれほど汚れているか、その残酷なコントラストが彼らの心を射抜いた。
「……俺たちは、ただ、腹が減って……。誰も助けてくれないから……」
一人が膝をつき、真っ青な雪の上に涙を落とした。 その涙は青い光を反射(リフレクション)して、サファイアのように輝く。
「もういいよ。剣を捨てて。……お腹が空いているなら、僕が作った『ん』のつく野菜のスープがある。それを飲んで、温まりなよ」
カイルはゆっくりと歩み寄り、震える盗賊の肩にそっと手を置いた。 「救援力」とは、敵を滅ぼす力ではない。 迷い、汚れきった心を、本来の「人」の状態へと戻す力だ。
「……カイル様……俺たち、戻れるんですか? 人間に、戻れるんですか?」
「戻れるよ。この青い光は、浄化の色なんだ。……さあ、雪だるまさんを怒らせないうちに、一緒に雪かきから始めようか」
カイルが微笑むと、巨大なスノーマンも、まるで見守るように優しく一回だけ頷いた。
村を襲うはずだった略奪者たちは、その夜、カイルが焚いたキャンドルの下で、嗚咽を漏らしながら温かなスープを啜った。 彼らは村を去るのではなく、この「蒼の聖域」を守る労働力として、ここに残ることを選んだ。
「……カイル。お前はとんでもない男だ。絶望の底にいた人間を、美しさだけで『更生』させるとはな」
ルキウスが呆れたように、けれど誇らしげに銀の匙を振った。
「ルキウス、言っただろう? 丁寧な暮らしは、最強の盾なんだって」
蒼い光に包まれた辺境の村は、今、かつてないほど多くの「運(拾われた人々の命)」に満たされ、輝いていた。
――完。
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