第7話『一陽来復のスープ 〜冬至の「ん」に宿る、復活の魔法〜』
「――いいですか、皆さん。今日は一年で一番、夜が長い日です。でもそれはね、明日からは光が戻ってくるということなんです」
カイルの声は、凍てつく村の広場に静かに、けれど凛と響き渡った。
集まった村人たちは、誰もが力なく肩を落とし、濁った瞳を地面に向けていた。今年の辺境は異例の不作。貯蔵庫は底をつき、人々の魔力も士気も、冬枯れの枝のようにパサパサに乾ききっている。
「……カイル様、そんな気休めはいい。太陽はもう、私たちを見捨てたんだ。このまま闇に飲み込まれて、凍えて死ぬだけだ」
老いた村長が、震える声で吐き捨てた。その唇は紫色に凍え、絶望という名の「泥水」が、彼らの心のコップから溢れ出しそうになっていた。
「いいえ。僕の世界には『一陽来復(いちようらいふく)』という言葉があります。闇が極まったとき、幸運が巡り始める。……さあ、ルキウス、出番だよ」
カイルが合図を送ると、銀の匙を振ったルキウスが宙を舞った。 「やれやれ。管理栄養士の仕事は、空腹を満たすだけではない。心に『運』を注ぎ込むことだ。カイル、あれを出せ」
カイルは、浄化魔法で耕した秘密の畑から、今日のために大切に育ててきた野菜たちを運び出した。
「さあ、皆さん! 今日は『ん』のつく魔法のスープを作ります。南瓜(なんきん)、人参(にんじん)、蓮根(れんこん)、寒天(かんてん)、うどん! 『ん』がつく食べ物は、運を呼び込む縁起物なんです!」
村人たちは、見たこともないほど立派な、深いオレンジ色の南瓜を見て、思わず息を呑んだ。カイルは大きな鉄鍋に火をかけ、野菜を次々と刻み入れていく。
「トントントン」と、軽やかなリズムが静寂を破る。 「人参はね、彩りだけじゃない。体の中に太陽の赤を取り込むんです。蓮根は、先の見通しが良くなるように。……そしてこの南瓜。冬至にこれを食べると、風邪を引かないし、枯れかけた魔力が復活するんですよ」
カイルは、野菜が煮えるまでの三分間、あえて火の前から動かずに立っていた。
「……カイル様、どうして座らないんですか?」 少女フィーネが、不思議そうに尋ねる。
「これはね、フィーネ。『待つ』という自分への儀式なんだ。焦って食べても、心は満たされない。この湯気を眺めて、香りが変わるのを待つ。その余裕が、明日の自分を助ける力になるんだよ」
やがて、鍋からは、ねっとりと甘い南瓜の香りと、出汁の効いた豊かな香気が溢れ出した。カイルは村人一人一人の器に、黄金色のスープを注いで回った。
「さあ、召し上がれ。熱いうちに、一陽来復を噛み締めて」
村長が、震える手でスープを一口啜った。 「…………っ!!」
「どうしたの、村長さん!?」 「……あったかい。……腹の底から、何かが込み上げてくる。……野菜が、野菜がこんなに甘いなんて。……ああ、死にたくない。まだ、生きていたい……!」
老村長の目から、温かな涙がボロボロと零れ落ちた。 一杯のスープ。そこには「ん」のつく運だけでなく、カイルが丁寧に注いだ「大丈夫だよ」という祈りが込められていた。
「おいしい……おいしいね、お母さん!」 子供たちの笑い声が、氷のような空気を溶かしていく。 「おいしい」と言い合える瞬間、人々の心にある「泥水」は、透き通った「生きる意欲」へと浄化されていった。
その時だった。 厚い雪雲の切れ間から、沈みゆく一筋の夕陽が、村の広場をシャンパンゴールドに染め上げた。
「見て! 太陽だ……太陽が戻ってきた!」
「一陽来復。……光は、必ず戻ります。僕たちの心さえ、ちゃんと整えて待っていれば」
カイルは、隣でスープを頬張るフィーネと、銀の匙を磨くルキウスを見て、穏やかに微笑んだ。 魔力が枯渇した村に、今、かつてないほど清らかな「気」が満ちていた。 不作の冬を嘆く声は消え、代わりに「次はどんな野菜を植えようか」という、未来の話が始まっていた。
シャンパンゴールドの残光の中で、カイルは確信していた。 自分の心のコップをひっくり返し、一から注ぎ直したこの「丁寧な暮らし」こそが、世界を救う最強の魔法なのだと。
――完。
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