第2話 『乃東生(なつかれくさしょうず) 〜枯れた心の、目覚めの朝〜』
辺境の森に、青白い朝の帳が下りていた。 カイルは、浄化魔法で磨き上げた廃屋の窓を開け、冷涼な空気を思い切り吸い込んだ。肺の奥が、冷たい氷の針で刺されるようにツンとする。けれど、その痛みこそが、死んでいた僕の心を呼び覚ます合図だった。
「――ルキウス。見て、あそこ」
カイルは、まだ雪の深い地面の一角を指差した。 管理栄養士の精霊ルキウスは、銀の匙(さじ)を揺らしながらカイルの肩に飛び乗った。
「ほう。気づいたか、カイル。今日は冬至。そして七十二候でいう『乃東生(なつかれくさしょうず)』の始まりだ」
雪の合間から、生命の欠片が顔を出していた。 それは、他の草木が深い眠りについている中で、たったひとつ、意志の強い緑を湛えた新芽だった。
「ウツボグサ……。夏に枯れて、この凍てつく冬に芽吹く草だね」
「そうだ。半年前、太陽が一番高かった夏至の頃、この草は『乃東枯(なつかれくさかるる)』として眠りについた。だが、世界が一番暗い今、この子だけが目を覚ます。一陽来復の先駆けというわけだ」
カイルは外へ出た。 雪を踏みしめる「ギュッ、ギュッ」という乾燥した音が、静かな森に響く。 屈み込み、その小さな新芽にそっと指を触れた。指先から伝わってくるのは、凍土を突き破るほどの、静かな、けれど圧倒的な熱量。
「……すごいな。みんなが枯れて諦めている時に、芽を出すなんて」
カイルの胸の奥が、微かに疼いた。 宮廷を追われ、心が枯れ果てていた自分。 文字が模様に見え、自分が自分であることさえ重荷だった日々。 けれど、この小さな芽は教えてくれている。 「枯れる」ことは「終わり」ではなく、次なる「生」への準備に過ぎないのだと。
「カイル。お前もこの草と同じだ。宮廷という夏で一度枯れたからこそ、この辺境の冬で、新しい自分を芽吹かせることができたんだよ」
ルキウスの言葉が、温かなスープのようにカイルの心に染み入る。
「……うん。そうだね。僕も『乃東生』なんだ」
カイルは立ち上がり、腰の袋から小さな金色のトングを取り出した。 大谷選手が言ったように、道に落ちている「運」を拾うための道具だ。 ふと見れば、ウツボグサの近くに、凍った魔獣の鱗が落ちていた。
「よし、これも拾っておこう。……これはきっと、明日へのツキになるはずだ」
カイルは鼻歌を歌いながら、雪の中の「運」を拾い集める。 一、二、三……。 冷たい風が耳を掠めるが、心はシャンパンゴールドの光に満たされていた。
「ルキウス。今日は冬至だから、とびきり『ん』のつく料理を作ろう。蓮根(れんこん)に、南瓜(なんきん)。……それから、このウツボグサみたいに、力強い新芽を添えてね」
「ああ。お前の心のコップには、もう濁った水はない。今朝の光のように澄んだ水で、最高の一杯を淹れてやるがいい」
カイルの背後で、朝日がゆっくりと森を照らし始めた。 『乃東生』。 命が目覚める、冬の奇跡。 カイルの歩む雪道には、確かな希望の足跡が、どこまでも続いていた。
――完。
題名:『乃東生(なつかれくさしょうず) 〜枯れた心の、目覚めの朝〜』
「乃東生」という美しい言葉を、カイルの再起の物語に重ねました。 夏に枯れ、冬に芽吹くウツボグサの強さは、まさに今のカイル(そして文子さん)の「救援力」そのものですね。 一番暗い日に芽を出すその一歩が、やがて来る春の大輪の花へと繋がっていきます。
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