でもんすとれーしょん

香久山 ゆみ

でもんすとれーしょん

 時期外れの人事異動はろくなもんじゃない。

 上司を殴ったことは後悔していない。けど、真っ直ぐな正義感はすっかり消えてしまった。皆、上司の行いを間違っていると思ってたはずだ。なのに、誰も助けてくれなかった。

 資料保管室へ配属となった。窓際中の窓際だ。

 警察庁の地下の薄暗い廊下を一番奥まで進む。こんな場所誰も来やしない。蛍光灯さえ切れかけてチカチカ明滅している。くそ。

 突き当りからさらに奥まった所に、アルミ製のドアがある。

 ドアノブに手を掛ける。開けて一歩中に入ると、埃臭い。

 入口から視界に入るだけでも、部屋中に設えられた棚いっぱいにダンボール箱が詰め込まれている。これ、耐震とか大丈夫なのだろうか。狭いと感じたが、保管室というくらいだから、それなりの広さはあるのだろう。棚で見えないだけで。

「あのー!」

 とりあえず声を掛けてみる。

 棚の間から、くたびれたおっさんが姿を現した。

「今日からここに配属になりました」

「聞いてる」

 興味なさそうにおっさんは頷く。おっさんは「和久」とだけ名乗った。階級が分からないので、和久さんと呼ぶことにした。異動になった理由を聞かれなくてほっとした。

「ええと、ここでは何をすればいいでしょうか?」

「資料の保管と整理だよ」

 当たり前のことを言われる。

「お前さんの机はここだ」と、長らく誰も使っていなかったのであろう、埃の被ったスチールデスクを示される。溜息を堪えながら、自分の机に向かう。

「いて」

 足元のダンボールを蹴飛ばす。箱の側面にマジックで文字が書かれている。

「未解決事件番号、ナンバー……?」

「ちっ、その箱に触んじゃねえよ」

 しゃがんで箱に触れようとしたところ、和久さんに首根っこを捕まえられる。

「こんな所に置いてるのが悪いんじゃないですか」

「置いてねえよ。お前が呼んだんだろ」

「は?」

 人のせいかよ。おっさんはぶつくさ言いながら、よいしょとダンボール箱を部屋の奥へ運んでいった。

 机をきれいにすると、もうやることがない。というか、何をすればいいのか分からないし、果たして仕事があるのかどうかも分からない。

「何か仕事はありますか?」

 直立して訊くと、「真面目な奴だ」と和久さんは笑った。

「なら、この資料の整理をやってみるか」

 そう言って、和久さんは比較的新しいダンボール箱を持ってきた。

「今朝ここに届けられたもので、未解決のまま時効を迎えた事件の資料だ。こいつの中身を記録して、事件番号を振る」

 それだけかと脱力する。事件番号なんて、順番に振っていくだけだろ。そう思ったが、違うらしい。一応規則性を持って番号を振っているらしい。基本は四桁で、事件内容によって頭の一桁が違うとか。……あれ? さっき蹴飛ばした箱には一桁の番号が振られていた気がする。ずいぶん古そうだったから、当時は番号の付け方も違ったのかもしれない。

 箱を開けて、遺留品を用紙に記録していく。

「どうだ?」

 和久さんが手元を覗く。どうもこうもあるわけない。が、和久さんは妙なことを言った。

「解決できたものには9から始まる番号を振るんだぞ」

 え?

「未解決だから、ここに運ばれてきたんじゃないんですか?」

「ふっ、色々あんだよ」

 大人が子どもを諭すように彼は笑った。だから上司と喧嘩してこんな所に飛ばされるんだよ、と見透かされたようでかっと体が熱くなる。

「トイレ! 行って来ます」

 いったん席を外して、戻ってくると、和久さんがダンボールの中身を整理していた。部下に見本を示すように、デスクの上に証拠品を並べている。

「俺なら9から始まる四桁で採番する」

「え」

 それはつまり、この証拠品から事件を解決できるということだ。

「よく資料を見てみろ。ここでは目の前のものから汲み取るしかないんだから」

 そう言われて、まずはダンボール箱の上に載っていた書類に目を通す。事件の概要が記載されている。


 築年数三十年のアパートの角部屋で独身男性の変死体が見つかった。無断欠勤が続いているということで、勤務先の同僚が様子を見に来たことで発覚した。

 男性は、部屋の真ん中で死亡していた。

 頸部には人間の指の形の圧搾痕があり、死因は縊死。


「これ、他殺じゃないですか」

「ちゃんと最後まで資料を確認しろ」

 和久さんが言う。

 確かに、現在殺人事件の時効は撤廃されたため、ここに資料が持ち込まれるのはおかしい。


 男性の部屋には外部から進入の形跡はなかった。争った様子もない。

 そもそも部屋は内側から厳重に施錠されており、発見時も玄関やベランダは容易に開かず、警察や消防が工具を用いてようやく中に入ることができた。

 なぜ、男性はそれほど厳重に部屋を閉め切っていたのか。

 数ヶ月前からノイローゼのようだったと、近所の証言がある。

「隣の部屋の奴が騒がしい」

「俺の悪口を言っている」

「壁の穴からじっとこっちを見ている」

「上の階の足音で眠れない」

 そんなことを言い、実際に睡眠不足が続いていたようで、一気に痩せて顔色も悪かったらしい。

 ……大家は何も対応しなかったのか?

 いや、対応の仕様がなかったようだ。男の部屋は角部屋で「隣の部屋」も「上の階」も存在しない。なお、男に違法薬物の使用の疑いはなし。医者に罹った履歴もなく、精神薬などの服用もない。

 自分自身で首を絞めたのか?

 ……否。

 そんなことできるはずもないし、男の首に残った指の痕は、男のものよりもずいぶん小さかった。


「うーん? よく分からない事件ですね」

「だから、未解決のままここに来たんだろう」

 コトンと和久さんが淹れ立てのコーヒーをデスクの上に置いてくれる。ありがとうございます。良い上司だ。

「疑うなら……、大家さんとか? アパートの構造も熟知しているだろうし、あ、ほら、家賃もずっと滞納していたとあります」

「ほう。しかし、天井裏さえ埃が溜まったままで、鼠一匹通った形跡がない」

 確かに、そう書かれている。

 それに、大家は七十を越えた老女だというから、男性を縊り殺す力があるとも思えない。睡眠薬で眠らせるなどしていれば可能かもしれないが、男の体内からは薬物は発見されていない。

 コーヒーに口を付ける。

「にがっ」

 思わず舌を出すと、和久さんが笑った。

「あっちに砂糖とミルクがある」と教えてもらい、保管棚の間を抜けていく。

「いて」

 足を打って危うく転びかけた。棚からダンボール箱が大きくはみ出している。

 もう、なんだよ。ダンボール箱に手を掛けて、棚の奥に戻そうとして、手が止まった。

 箱書きされた被害者の名前に見覚えがあったから。慌てて箱を開き、資料を繰る。

 砂糖の代わりに、ダンボール箱を抱えて、和久さんの元へ戻る。

「やっぱり、犯人は大家さんだと思います」


 見つけた古いダンボール箱は二十年前の、とある少年の死亡事件だった。

 深夜の教室で変死しているのを発見された。

 少年はひどいいじめを受けていたことが周囲の証言から分かっており、いじめの中心人物も判明していた。しかし、結局自殺とも事件とも取れないということで、うやむやなまま時効を迎えたようだ。

 しかし、保管された資料を見る限り、明らかに凄惨ないじめを受けた結果の死亡である。

 殺人事件として立件されなかったのは、時代のせいなのか、それとも被疑者の保護者が要人だったせいかは分からない。親御さんの気持ちを慮ると浮かばれない。

 いじめの首謀者は今回の密室絞殺事件の被害者男性で、いじめられた少年の母親はアパートの大家である。

 我が子を亡くして相貌の変わった母親に、男性は気付かなかったのだろう。いや、そうでなくても気付きやしなかったかもしれない。また、家賃を滞納していたというし顔を合わせることもなかったのかもしれない。

 しかし、母親は我が子を死に至らしめた相手の名前を忘れるはずはない。

 のこのこと目の前に出てきた。これは、恨みを晴らしてほしいという息子からのメッセージかもしれない。同じアパートの一室が大家の居室であるため、毎日毎夜恨みは募ったことだろう。

 男性の首に残された手の痕は、小柄な女性の者と思われる。さらに事件写真をよく見れば、指の痕に一箇所深い窪みがある。かつて母の日に大家が息子からプレゼントされたというおもちゃの指輪の形と一致するように見える。


 だから、大家が犯人で間違いないと思います。

 重ねてそう言うと、「そうか」と和久さんは口元を緩めた。

 それ以上何も言わない。では、どうやって密室の相手を侵入の痕跡を残すことなく殺したのか。分からない。母の怨念が、男を苦しめてノイローゼに至らしめ、ついには縊り殺してしまったのだ。そんなことを言えばきっと笑われてしまうだろう。

 多くの捜査員達の手によっても何の証拠も得られなかったのだ。今更新たな証拠を見つけられるはずもない。けど。

「なかなか良い目をしてるじゃないか」

「いや、たまたま二十年前のダンボール箱を見つけて」

「それでも、気付かない奴は気付かない」

 そう言いながら、和久さんはダンボール箱に「9」で始まる四桁の数字を振った。

「え。9は解決した事件じゃないんですか」

「その後、大家は亡くなり、アパートも取壊された。もうこれ以上事件は起こらないだろ」

 そう言いながら、二十年前のダンボール箱も書かれた数字を消して、続く9000番台の数字に書き換えられた。

 和久さんがそうするなら、それで間違いないのだと思えた。俺の理性の部分は納得できていないままだが、本能がそれで良いのだと納得している。

 どのみち、未解決のまま時効を迎えた事件なのだ。

 ぬるくなったコーヒーに口を付ける。にがいけれど、そのまま一気に飲み干した。

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