第3話 にぎやかな同居人

「あ、えっと、マルグリッド、さん?」


エルテが目をぱちくりさせている間にも、彼女の口からは次々に言葉が出てくる。

「ここ、ネルデール卿のお宅でしょう?年の近い子がいるなんて思ってなかったから嬉しい。あなた、年は?」

「え、えっと、その......」

「あたしはね、13歳......って言っても、これから誕生日なんだけど、こういう仕事って、大人ぶったほうがいいじゃない?だからいっつも、その年何歳になるかで答えてるんだけど」

エルテの返事をろくに待たずに次の言葉を畳みかけてくる、一人の少女。確かに写真に映っていた「マルグリッド・エーベンホルツ」と同じ顔をしている。好奇心と喜びで輝いた瞳は、良く晴れた空をもっと濃くしたような碧色で、エルテよりも短く切りそろえられた髪は、僅かな陽の光を受けて蜂蜜色に輝いていた。

「あたし、この街に来るのがとっても楽しみでね——切符なんてエーテルアカデミーの人より2週間も前にとったんだから。なのに、父様がなかなか行かせてくれなくって、エーテルアカデミーの人も置いてっちゃうし......危うく乗れなくなるかと思った」

「は、はあ」

とりあえず中へ。それすら言うタイミングがつかめない。

「エーテルアカデミーの人は、大分前に乗車してたから車両の中では会えなかったけど、ちゃんと始発に間に合ったのよ?でも、ここってアンバーリーみたいに区画が区切られてるとかじゃないでしょ、もう迷っちゃった」

「あ、あの、とりあえず......」

「でも良かった、ちゃんと辿り着いてさ」

あー、疲れた、と彼女は両手にそれぞれ持っていた大きなトランクを床に下ろした。ゴト、と石レンガの床に振動が響き渡る。

「あ、あのっ、ここじゃなんですし、とりあえず中へ......」

お持ちします、と言ってエルテは二つのトランクを持ち上げる。とにかく重かった。右の方が重い、と思いながら、エルテはやっとの思いでトランクを少し浮かせ、床にすりそうになりながら運ぶ。少女は後ろから、「重いでしょそれ」などと笑いながらエルテについてきた。既に玄関に両足を踏み入れてから、「あ、お邪魔します」と思い出したように言う。

「こっちです、教授がいますから......」

エルテが応接間にかかっているカーテンを開けて通そうとすると、

「ありがと。ねえ、荷物ここに置いてもらっていい?部屋に置くと多分邪魔になるから」

「あ、はい、それでいいなら......」

出会ってものの数分で完全に押し負けているエルテは、少し疲れていた。いや、疲れているのは、この短い距離とはいえ途轍もなく重たいトランクを、しかも二つも、運んだからだろうか。


 彼女が室内に入ると同時に、先客であるエーテルアカデミーの研究所員がガタン、と音を立てて立ち上がった。

「おっと......」

とっさに体が動いてしまったのだろう、大きな音を立てた後ネルデール卿の方を振り返って気まずそうに顔色をうかがう。

「アズーノさん!遅れてすみません!」

「マギー⁉いや、随分早いね......一本後の汽車なんだとばかり」

「待ち合わせ時間には間に合わなかったので、待ち合わせ場所に行かないで駅に直行したんですよ、ギリギリ間に合いました」

マギーは「父様のせいで......」と何やらぼやいていたが、研究所員の向かいに腰を下ろしている老紳士の姿を認め、そちらの方へ向き直った。

「初めまして、いきなり遅刻だなんて、大変失礼しました、マルグリッド・エーベンホルツ......マギーです」

せかせかとお辞儀をするマルグリッド。

「いやいや構わないよ、遠方からはるばるご苦労だった。私はザイツ・ネルデール。ミストホルドで年寄りの道楽のような研究をしている」

彼は笑いながら椅子から腰を上げ、マギーへ歩み寄る。

「原稿人として勤めてくれるそうだね。これから、よろしく頼む」

「はい、ぜひ!」

マギーの笑顔を見てから、研究所員アズーノがほっと息を撫でおろす。

「何はともあれ、今日中に君が来てくれて助かった、僕も明日にはアンバーリーに戻らなければならないから」

ふと、気がついたようにネルデールは首をマギーからアズールへと向けなおす。

「ひとつ、お聞きしたいのですが......彼女の住むところは、既に決まっておりますかな?それとも、こちらでご用意したほうが良いですか」

マギーがその横から口を開いた。

「うーん、あたしの場合は今まで、泊まり込みで原稿人してましたけど」

それを聞き、ネルデールは困ったように眉をひそめ顎ひげをつねる。

「そうか......君が来ることはまるで知らなくてね。あいにくこの家のほとんどが研究に使われている。住める部屋と言ったら、私か、エルテの部屋くらいでね......ふむ、エルテの部屋、備え付けになっているのは二段ベッドだったか」

ネルデールはしばし考え込む。

「マルグリッド、私の助手のエルテと同じ部屋で構わないかね?君より幼い、至らないところもあるかもしれんが、仲良くしてやってくれんか」

えっ、と言ったのはマギーではなくエルテだった。彼の脳裏に、自分の部屋の現在の光景が奔る——ここ数日、ずっと歯車を拾ってそれのスケッチやら情報収集やら、教授の手伝いばかりしていて、片付けなどまるで気にしていなかった。少なくともその部屋の様態は、今日初めて会ったばかりの人には到底見せられない。

「全然いいですよ」

エルテがマギーを見ると、当の彼女はあっけらかんとしている。

「駄目かね、エルテ?」

「きゅっ、急には、ちょっと......その、散らかってて」

エルテは俯き、恥ずかしそうに両手をすり合わせた。

「け、結構......」

ぼそりと、付け加える。どんな反応を返されるだろうと、恐る恐るマルグリッドの方を見上げると、

「あはははっ......分かる、分かる、私も原稿人してるとき借りてる部屋なんて原稿だらけだもん」

別に気にしないって、と笑い飛ばしている。

「だそうだよ、エルテ。いいね?」

「えっ、と、い、急いで片付けてきます......」

エルテは一層縮こまって頷き、そろりと3人のいる応接間を抜けて廊下へと出た。


 廊下から二階へと続く階段を上がると、一階よりも狭い廊下に出た。そのまま進み3番目、「エルテ」と書かれた板の貼られたドアを開く。

 床には本が積み上げられている上に歯車の情報がまとめられた資料が束になって散乱し、床はほとんど見えない。彼らの前にここに住んでいた家族が子供部屋として使っていたために実は二段になっているベッドの下段は、棚というよりむしろ物置き場として用いられており、床よりさらに散らかっている。それは、窓横の机の上も同様で、さらに机の上には実際の歯車の標本が散らばっているために一層煩雑としていた。

「......とてもじゃないけど、見せられない」

「言うほどでもないんじゃない?」

「ひぁ⁉」

エルテが肩を落とし、急いで片付けなくてはとため息をつくと、後ろからふいに声が聞こえた。エルテは驚いて振り向こうとし、あまりの勢いで回ったため止まり切れずに体制を崩し、とて、となんとも間の抜けた音と共に床へ尻餅をついた。

「ま、マルグリッドさん⁉応接間に、い、いたんじゃ」

エルテは慌てて起き上がり、急いでドアをバタンと閉めた。

「応接間にいたってすることないもの、アズールさんが話してるんだし。後でゆっくりと研究内容聞くからいいの」

片付け、手伝うよ、と彼女は歯を見せて笑った。

「え、えっ......あ、その......」

いいです、と断りたかったが、そうも出来ないとエルテは言葉を吞んだ。することがなくここに来たのであれば、一階へ帰すのも申し訳ない。

「い、いいんですか?マルグリッド、さん......すごく散らかってる、から......」

エルテの視線はマルグリッドの周囲をさまよった。

「なんで?あたしに見られちゃまずいものでもあるなら、まあ、遠慮するけど?君の部屋なんだしね」

「困るものは、多分、ないん......ですけど」

ためらいがちにエルテが答えると、「じゃ入るよ」とマギーはドアを開き、エルテより先に部屋に入ってしまう。

「......あっ」

エルテは、昨日自分が机上にノートを開いたままにしていたのを思い出して青ざめる。何が「多分ない」だ、全然あるじゃあないか。

「待って、マルグリッドさんっ......」

彼女の後を追いかけると、彼女は、原稿人という職業特性上文字に惹かれるのだろうか、立ったまま興味深そうにノートを見ていた——あろうことか、エルテが一番見られたくない、机上に置いたままにしていたノートを。

「『S型歯車を用いた三重奏オルゴールの作り方』......これが研究内容?」

「ちっ、違い、ます!」

慌てて机上からノートを取り、勢いよく閉じて、棚へ戻す。そのまま、まだ彼の机の傍らに立っているマギーの方を振り返った。

「......あ、見ちゃまずかった?ごめん......」

エルテの怯えたような顔つきに、マギーも少し気まずそうだった。

 このノートは、彼がネルデールの手伝いとは別で書いているものだ。拾った歯車のうち、研究に使わないものを収集して、形・大きさ別にまとめ、その特徴だけでなく架空の用途・設計図なんかを書いている、いわば趣味の空想ノート。

 自分の夢を好き放題書き連ねているだけに、見られるのは正直恥ずかしい。加えて、街に住む年の近い人たちからはこぞって馬鹿にされただけに、どんな反応が返ってくるかが恐ろしくもある。

「え、えっと......」

なんと切り出せばいいだろう、エルテは黙り込みながらそれだけを考え、ようやく思いついた言葉を口に出したのはマギーが丁度沈黙に耐えきれなくなったころだった。

「あ、あのっ......マルグリッド、さん」

マギーは驚いた顔をして、エルテの方へ顔を向けた。

「さ、さっきのノート......なんですけど」

「あ、ほんとにごめんね、あたし、ちょっと気になっちゃって、それで」

マギーの気まずそうな顔。彼女が罪悪感を感じる必要はない、エルテは慌てて言葉を続けた。

「い、いえ、嫌だったとか、そういう話じゃなくて」

エルテは、来ているシャツの裾をぎゅっと掴んだ。

「へ、変?だったかなって......」

エルテは、恐々とマギーの言葉を待っていたが、マギーは呆然とした顔のまま、

「変?何で?」

と、逆に問いかけた。

「えっ......"何で"、って」

「いや、変、って......なに?ほんとに、何も分かんないんだけど?」

マギーのきょとんとした顔に、今度はエルテも首を傾げる。

「なに、って言われても......な、なんとなく」

「エルテだっけ、君、それこそ随分"変"なこと気にするのね」

マギーはあはは、と笑った。それから、「良かった、怒ってるわけじゃなかったのね」という。

「君のノート、ちょっと見ただけだけどとっても面白かった。君が良いならじっくり読みたいくらい」

「!」

「特に、用途のところ?あたし、ああいうの好き」

「!!」

エルテの瞳が見開かれる——驚きと、喜びで。

「歯車、好きですか」

「んー、歯車っていうか、"架空"が、好きかな。考えたり、人の"架空"聞くのも好き」

でも、と彼女は再び口を開く。

「君、面白い子だね」

マルグリッドは、エルテに向かって右手を差し出した。

「君とは気が合う気がする、ふふっ、これからよろしく」

「......は、はいっ。よろしくお願いします、マルグリッドさん」

エルテも、少し強張った右手を差し出す。マギーはその手を手首から掴んで、

「マギーでいいわよ、それと、敬語はなしで」

だって、お互い、仲間みたいなものじゃない?

 彼女はエルテに向かって歯を見せた。その笑顔を受けて、エルテもマギーの手を握りかえす。

「......マギー。よ、よろしく」

彼の、長めの前髪で少し隠れたアッシュグレーの瞳が、はにかむように、笑みの色を見せていた。

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エルテと歯車の街 唐梨子 @kara_na_shi

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