第2話 出会い
「おおエルテ。おかえり」
エルテが「教授」と呼ぶ、ネルデール卿の声は、応接間から聞こえてきた。何やらネルデールの他にも声が聞こえてきて、どうやらもう来客があるようだ。玄関と応接間の間にはドアがなく、声は比較的自由に行き来しているが、さすがに何の話をしているのかまでは分からない。急いで玄関にコートをかける。大事なクッキーを落としてしまわないよう、帽子を脱ぐのは慎重に。
「部屋に戻って身支度を終わらせて、こちらに来なさい」
応接間から、少し張り上げたネルデールの声が聞こえてくる。それに「はい」と答えて、エルテはそのまま 2 階に向かった。その軽い足音に、応接間では客が「どちら様です?」などと訊いていた。なるべく早くお客様に顔を見せないと失礼だろう。エルテは慌てて身支度をした。
エルテが身支度を終えてから戻ると、ネルデールが自身の隣の席を軽く叩いた。ここに座れという事なのだろう。
「紹介が遅れてすまない、私の用事で出払っていたんだ......では改めて紹介しよう、助手のエルティアードだ」
ネルデールは、そう言ってエルテと客を引き合わせる。
「は、初めまして。エルティアードです」
「助手。な、なるほど......?」
客はエルテの外見に少々、否、かなり戸惑っているようだった。まさか、都心でも名高い研究者の助手が、子供だとは思いもつかなかったのだろう。客にじろじろと眺められて、エルテは「え、えっと......」と言葉に詰まる。助太刀したのは教授だった。
「ふむ、半年ほど前、正式にそちらに登録したはずでしたが」
「え、ええ、それは存じ上げていますが、ただ、その、驚いてしまいまして」
失礼いたしました、エルティアードさん、と客はその眼鏡を正した。
「い、いえっ、そんな、えっと......それに、僕なんてまだまだ、助手だって半人前で」
あまりに丁重に謝られてしまったため、エルテはいっそう言葉に詰まってしまう。
「そ、それでですね。私が本日参りました理由についてですが」
客は、決まりが悪そうに咳払いをして、それから不自然そうに話題を戻した。
「私の研究内容の確認と、研究項目の追加ではなかったのですかな」
「い、いえっ。ただ、他にもございまして」
エルテは、必死に話題について行こうとする。幸い、これから新しい話題になるようだ。その前の話は、後で教授からゆっくり聞こう。
「そのですね。卿、"原稿人"制度はご存じですか」
「はあ......まあ、話くらいは。それで、なんですかな、原稿人を雇えということですかな」
"原稿人"。最近、機関誌などで単語は目にするが、それがどういうものなのか知らない。エルテは、首を傾げた。
「端的に言えばそうなります。ただ、雇うのはこちら、エーテルアカデミーですので、お代のほうはご心配なさらず」
彼は、さらに真面目な顔つきになって、ネルデールの白髭豊かな顔を見据えた。
「卿のなさっている、前時代の遺物、特にこの大陸東部についての研究は、アンバーリーでも次第に活気づいてきましてね。学院の研究室でも盛んに行われてきているんですよ。つきましては、東部に実際に居を構え、現地で研究を続けていらっしゃる卿の論文の価値は、とても高い」
彼の言葉は淡々としつつも、情熱が伝わってくる。それほど、ネルデールの研究には魅力があるのだろう。
「もし卿が構わないとおっしゃるのでしたら、卿には研究に専念していただき、論文作成の手間を省いた方が効率的だと、エーテルアカデミーのほうで、正式な依頼という形をとることにしたのです」
そこまで彼の言葉を聞いて、ネルデールは微笑んだ。
「そうですか。そこまでおっしゃるのでしたら、構いませんとも」
「い、いいのですか?てっきり、研究内容を極力知られたくないのかと」
「私の研究がそこまで望まれているのなら、老い先短い身ですから、急がねばなりませんのう。論文を書いてくれる方がいるなら、ありがたい限りですよ」
戸惑う客に、彼は朗らかに笑った。
「卿。ご協力感謝します。それでですね、その"原稿人"についてなのですが......」
彼は一枚の書類を机上に置き、二人に見えるように向きを変えて差し出した。エルテはその紙を覗き込む——都会らしく、顔写真までもが貼ってある。滅多に見られない写真という技術に、改めてアンバーリーの技術力を感じる。
「マルグリッド・エーベンホルツ。うちの学術誌機関の新人でしてね」
エルテはその名前に特にピンとは来なかったが、ネルデール卿の方は反応を示した。
「エーベンホルツ、といいますと」
「ええ、卿とも親交があると思いますが、アンバーリー有数の名家です」
なるほどと頷きながら、もう少しじっくりと写真を見る。少し年上、それか同い年くらいの少女。瞳の色までは分からないが、芯の強さが伝わってくる眼差し。
洋服には詳しくないエルテだが、顔写真に写りこんでいる襟元の繊細なレース細工の美しさは分かった。「アンバーリー有数の名家」ということは、いわゆる「お嬢様」なのだろう、格好いいなあ。
そんなことを思いながらエルテはネルデール卿の方を見上げた。
「そんな方が、原稿人を?」
「ええ、数年前に彼女が来た時には我々も驚きました。何でも、文を書く経験を積みたいとかで」
「お若いだろうに、すごいですね」
ネルデールは感心したようだ。続く説明によると、彼女は既にいくつも論文を担当し、定評がついて来ているのだという。
「うちのエルテと同じくらいですかな」
「今年で 13 歳だったはずです。......おっと、確かにまだ年は幼いですが、腕は保障しますよ」
ネルデールが気にしていると思ったのか、慌てたようにそう付け加える。
「いやいや、現に私には若くて優秀な助手がいますからね」
ネルデールは静かに笑い声をこぼし、エルテの肩に手をかける。エルテは、気恥ずかしくなって俯いた。教授から褒められたことはもちろん嬉しいが、人前で言われると、恥ずかしい上、どんな反応を返されるか少し怖かった。
「そのようですね」
ふふ、と客は愛想笑いで返し、「そして、彼女ですが」と再び話を始めた。
「ええ、いつを予定しているのですかな」
ネルデールの問いかけに対して、彼は、始めもごもごと口を動かしたのち、少々言い辛そうにゆっくりと言い始めた。
「私と同行する予定だったのですが、実家の都合があるようでして、少し遅れると......」
その時だった。彼の声が小さかったせいもあるだろうか、やけに大きく聞こえる玄関のドアベルが鳴ったのは。客がいる手前教授に行かせるわけにはいかないと、エルテは、椅子から立ち上がり「失礼します」と一言断りを入れてから玄関へ向かう。
扉を開けたエルテの目の前に立っていたのは、一人の少女だった。どこかで見覚えがあるような顔つき。エプロンのような形の上衣と丈の短いズボンが繋がった、シンプルなサロペットを身に着けている。
「え、えっと......」
お待たせしました、どちら様ですか?——エルテがそう問いかける前に、訪問客は、
「初めまして、あなたがネルデール卿?そんなわけないわよね、おじいさんだって聞いてるもの。じゃあ、ネルデール卿のお孫さん??」
と、エルテが今まで聞いたことのないくらい畳みかける調子で、矢継ぎ早にあれこれと訊いてくる。
「え、あ」
エルテが、真っ白な頭で、何も言えずにいると、彼女はにっと笑って——、
「——ああ、あたしはマルグリッド。原稿人のね。マギーって呼んで」
と言ったのだった。
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