第2話 青い春の訪れ
体育館では始業式がつつがなく進行していく。
今は校長のありがたいお話の真っ最中。
一方、自分は睡魔と格闘中。
校長の話がつまらないから?
早起きして睡眠不足だから?
それとも光合成で高血糖になってるから?
もちろんそれらも一因だろう。
でも、一番の原因は明白。
自分が失意のどん底にいるからだ。
数分前に終わった初々しい一年生の入場。
そこに緑色の同志はいなかった。
十万人とはいえ緑化人間は全世界に散らばっている。現在の世界人口が約百億人であることを考えると緑化の割合は約十万人に一人だ。同じ町にいるのすら稀だろう。
元から望み薄だったとはいえ、やはり堪える。
自分以外に緑化人間がいれば、あの孤独な屋上は緑の楽園へと変わるのだが……。
「はあーー」
今年も空振りかと人知れず小さくため息。
気持ちとともに意識も沈んでいく。
今にも睡魔にノックアウトされそうになったその時。
「それでは続いて各クラスを担任する先生たちの紹介です」
睡魔にカウンターを決め、シャキッと覚醒。驚かせてしまったクラスメイト達にはいつもの笑顔で勘弁してもらう。
クラスの雰囲気は担任に左右される。どの先生が担任になるかはこの時期の生徒たちの関心事。始業式のメインイベントの一つと言ってもいい。
去年に続き同胞がいないことはすでに確定した。せめて先生ガチャはいい結果を願う。少なくとも今まで接点の少ない先生に新しい風を吹かせてほしい。
ちなみにわたしの去年の担任は
担当教科は理科で、いつも気だるげ、服もヨレヨレ、髪もボサボサという四十代男性の悲哀が詰まったような冴えないおっさんだ。しかし、見た目に反して授業内容はとてもわかりやすい。
また〝学校は生徒が主役〟がモットーなようで、時代遅れの校則に対して学校側にたびたび改善を要求している。靴下や髪留めの色が個人の裁量に任されるようになったのは彼の功績の一つだろう。総じて、華はないが安心感があると生徒からはそこそこ人気だ。生徒間では親しみをこめて〝ジーヤン〟と呼んでいる。
『これから三年間の短い付き合いだが、お互い頑張ろうや』
入学式の後、特別に行われた個人面談。そこで言われたジーヤンの言葉が蘇る。
あれからもう一年か。
感傷に浸りそうになった時、ふとその言葉を反芻する。
はて? 付き合いとはどこまでのことを言うのだろうか?
首を傾げているとわたしのクラスである二年三組の番が来た。
「続いて二年三組の担任は……」
さあ、鬼が出るか蛇が出るか……。
「紅葉谷先生です!」
校長の高らかな宣言。鬼でも蛇でもなくおっさんが出てきた。
なるほど。あの言葉はそういう意味か。つまり中学の三年間はジーヤンがわたしの担任らしい。悪くはない。しかし、華もない。わたしの緑色の青春に冴えないおっさんが追加された。
結局、新しい風は一向に吹くことなく始業式が終わっていく。
「あぁ……。今年も期待外れかー」
これからの青春を憂いていた、その時。
「えー、それでは最後に転校生の紹介です」
校長の口から飛び出す衝撃の一言。
突然の新しい風の気配。
自然と前のめりになる。
そうか! 転校生か!
全く考えていなかった。
僅かに見えた希望の光。あまりにも細いがこれが頼みの綱だ。
カツンと、足音が響く。
転校生がステージ端の階段を一歩一歩上がっていく音だ。
前の方からわずかにどよめきが聞こえた気がした。最前列の一年生には既にその姿が見えているようだ。
よっぽど目を引く見た目なのか? いや、そもそも空耳かもしれない。
信じられるのは自分の目だけだ。足音しか聞こえないほんの数秒がもどかしかった。
やがて現れた後ろ姿。
まずは頭頂部。髪は黒色のようだがやや緑色にも見えなくもない。
緑化人間の髪の色は葉緑体の残骸が混ざるためやや緑色を帯びる。これは期待できると一人テンションを上げる。
とはいえ、元が金髪ならともかく黒髪や茶髪ではそこまで緑色は気にならない。願望から緑色を幻視しているだけの可能性もある。
やはり地肌が見えるまでは油断できない。
うなじに期待したが、長い髪が邪魔をする。転校生は女子のようだ。
肩から下が見えてくる。腕を期待したがまだ四月。制服の長い袖をまくるほど暑くはない。
手はどうだ? ダメだ。前で組んでる。ここからは見えない。
次は下半身。スカート丈は校則の規定通り。転校初日から冒険するバカはいない。
せめて足だけでもと願うも、黒の長い靴下で覆われている。
同性の全身をなめ回すように凝視する異常女子中学生の爆誕。だが、今はなりふり構っていられない。結局、わかったのはわたしより背が少し高いことくらいだ。
とうとう彼女が階段を上りきった。だがまだだ。そこからマイクがある壇上の中央まで移動するはず。つまり確実にその横顔を拝める。
やがてその体が次第に向きを変え始め――。
自分の鼓動が聞こえる。少し速く感じるのは気のせいではないだろう。
喉が渇く。
ごくりと唾を飲み込む。
完全に向きを変えた転校生。その顔がようやく明らかになる。
整った眉。少し垂れ下がった大きな目。そこに浮かぶ青緑色の瞳。
人形みたいに端正な顔立ちだった。道ですれ違えば思わず振り向いてしまうだろう。
僅かに微笑みをたたえた唇などまるで草原に咲く一輪の赤い花のようで……草原?
思わず顔の造形に見とれてしまったが間違いない。彼女の顔は緑色、それも草原のような若草色だった。よく見れば首も手も緑色で――。
その瞬間、新しい風が吹く。
蔦に覆われた廃墟のように、時を止めたわたしの青春。
苔むした祠のように、世界から孤立したわたしの青春。
藻が繁茂したプールのように、美しくないわたしの青春。
そんな緑色の青春が青く染まり始める感覚。
「あ……」
押し殺そうとした声が思わず漏れる。
驚きを隠せないのはわたしに限ったことではない。
静かではあるものの体育館全体で小さなどよめきが起こった。
「皆さんもお気づきのように転校生の子は緑化しています。今から簡単に自己紹介をしてもらうので静かに聞いてあげてください」
校長がさりげなく生徒の動揺を鎮める。
どよめきが収まると、転校生が動く。校長に軽く会釈したあとマイクの前に立つと、彼女が流麗な口調で話しはじめる。
「皆様、ごきげんよう。新二年生の
葵が全校生徒の顔を見回しながら落ち着いて話す。とても丁寧な言葉遣い。
「ですがそれは杞憂だったようです。皆様が落ち着いて反応してくださいましたので、その緊張も和らぎました。ありがとうございます」
ちょうど、葵と視線が交わる。直後、壇上の葵がより一層微笑み、お礼の言葉とともに軽く一礼した。自分への感謝にも見えて、なんだかむず痒く感じてしまう。
「これからぜひ仲良くしてください。二年間という短い間ですがよろしくお願いします」
葵の深い一礼に自然と拍手が沸き上がる。
わたしもこれまでの人生で一番大きな拍手を葵に送った。
葵への歓待。自身へのこれまでの慰労。
なによりこれからの青春に思いをよせて。
「清川さん、素晴らしい挨拶をありがとうございました。それではこれで今年度一学期の始業式を終わります。生徒の皆さんは順番に教室に戻ってください」
校長の言葉で始業式は終わり。
出口から近い三年生から戻るため、二年生のわたしたちはしばらく待ちぼうけだ。
壇上では校長が葵に何か話しかけている。切り忘れたマイクがその音を拾う。
「清川さんはあちらの先生方のところに向かってください」
ステージ脇に集まっていたのはジーヤン含め二年生の担任をする先生たち。そのうちのジーヤンが手を挙げて葵を招く。葵は校長に軽く会釈すると壇上を後にした。
おそらく同じ学年の先生方と軽く顔合わせをしておくのだろう。わたしの時と同じだ。緑化後の健康状態がどこまで安定しているかは未だ不明。何かあった時に頼れる大人は多いに越したことはない。
「おーい、石山ー!」
ジーヤンに呼ばれた。二年三組にはすでにわたしという緑化人間がいる。葵はおそらく別のクラスに入るだろう。となると、わたしも葵と顔合わせだけしておこうってことね。
教室に戻るクラスメイト達がわたしを冷やかしながら送りだす。それをいつもの笑顔でいなして、ものの数秒で駆けつけた。
「ということで一年生の時から引き続き、緑化した生徒は俺の受け持ちだ。なので清川は石山と同様に二年三組に入ることになった。俺は職員室に寄っていくから、石山は清川を連れて先に教室に向かってくれ」
最低限の伝言を済ませてそそくさと行ってしまうジーヤン。理解が追いつかないわたしに葵がニコッと笑いかける。
なるほど。
葵は同級生どころかクラスメイトらしい。
どうやらわたしの青春は青信号と見るや一気にアクセルを全開にしてしまったようだ。まるで今までの遅れを取り戻すように。
ジェットコースターのような急展開の連続。振り落とされないよう必死に食らいつくしかなかった。それに目を回してしまったのか、目の前の天使のような微笑みに目が眩んだのか、わたしはぎこちない笑顔を葵に返すのだった。
これがわたしたちの初めての出会い。わたしにとっての春の訪れ。
目の前の信号は一斉に青に変わった。
もう止めるものはない。
わたしの緑色の青春が、今、動き出す。
次の更新予定
青春オールグリーン 蝌蚪蛙 @Katoadfrog
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