青天碧靂編

第1話 孤独な緑

 五年前、ある世界的なプロジェクトが動き始めた。

 グリーンヒューマンプロジェクト。

 〝人体緑化計画〟とも称されるこのプロジェクト。光合成を司る葉緑体を移植することで全人類を緑化させようという大胆な計画だ。それにより人間も光合成が可能となる。

 ここでおさらいしておくと、光合成とは、水と二酸化炭素と太陽光のエネルギーから酸素と糖を生み出す反応だ。

 酸素はほぼ全ての生命にとって生きるために必要だ。激しい運動をすると呼吸は荒くなる。それは運動で失われたエネルギーを補給するため、体が酸素を必死に取り込もうとするからだ。特にアスリートは、低酸素となる高地であえてトレーニングを行う。それにより血液の酸素運搬能力を向上させ、持久力や心肺機能の向上を図る。

 すなわち、自力で酸素を生み出せるということは身体機能を大きく向上させる可能性があるということだ。

 また、糖は筋肉のエネルギー源であるが、脳の働きに不可欠でもある。すなわち、自力で糖を生み出せることは筋力の向上ばかりか知能の向上も期待できるのだ。

 このように人体緑化は理論的にはいいことずくめで、マウスを用いた実験では良好な結果が得られている。

 しかし、人体への影響は結局やってみないとわからない。

 そこでプロジェクトの参加者を世界中から募って緑化を施し、長期間にわたり経過観察をするのがプロジェクトの第一段階となった。

 人種や気候の影響も考慮したいため手始めに十万人。わたしはそのうちの一人だ。


***


 というわけで、わたしは今まさに光合成の真っ最中。とはいえ、ただぼーっとベンチに座っているだけなんだけど。

「はぁーーーー」

 ふと、大きなため息を吐く。

「……緑化なんてクソ食らえだ。こんなに振り回されるとは思わなかった」

 小さなつぶやき。我ながらひどい暴言だ。

「体はこんなに青いのに、わたしの青春ときたら……」

 真緑だ、と言うのをすんでのところで飲み込む。

 毒を吐く場所として、わたししか出入りしないこの屋上はぴったりといえる。でも、そんな特別な場所だからこそ毒で満たしたくはなかった。

 光合成を行う緑化人間には少なくとも一時間は日光浴を行うことを義務付けられている。推奨時間は太陽が南中する午前十時から午後二時の間だ。

 基本的にはお昼のランチタイムを外で過ごせば済む。問題は場所だった。

 なにせ校内に設置されたベンチは昼休みにはある程度木陰に入るように配置されている。太陽の光を浴びなければいけないわたしにとっては不都合極まりない。何より開けた場所で緑化人間がランチを食べている様子など見せ物もいいところだ。

 そこで白羽の矢が立ったのが屋上だった。晴れていれば常に太陽にさらされ、人目にもつかない格好の場所。とはいえ、屋上は元々生徒に使わせる設計ではない。そこで学校側がプロジェクトの運営に働きかけ、日光浴環境を改善するための資金を獲得。おかげで、屋上は整備され、安全のための二重フェンスや日光浴用のベンチなどが設置されたのだ。

 一方で、頭の固い学校側は屋上の完全開放には慎重だった。そこで導入されたのがハイテクな入退室管理システム。緑化人間と一部の教職員にのみに交付される専用のIDカード。このカードをドアにかざすことでロックが外れ、屋上へ出入りできるというわけだ。

 厳重な管理のおかげで、学生の中では緑化人間であるわたしだけがだだっ広い屋上を自由に出入りできることになった。

 でも、いい事ばかりではない。これは屋上でのランチを半ば強制されることを意味していた。同級生と気ままなおしゃべりに興じるランチタイム。青春の何気ない日常。それはわたしにとって遠い夢物語になったのだ。

 とはいえ、こんなことは今に始まったことじゃない。十歳で緑化してからわたしを見る周囲の目は変わった。奇異の目で見られることでわたしの性格は歪んだ。自分自身も人付き合いが悪くなったことを自覚している。

 そんなこんなで、中学校での人間関係の構築はあきらめた。緑化前からの友人たちのおかげで、いつも笑顔のムードメーカーとして馴染んではいる。一方で、そんな友人たちはすでに新しい人間関係の輪の中だ。どの輪にも属さないわたしは、行く当てもなく輪と輪をふらふら飛び回っていた。まるで忙しなく花を巡るハチドリのように。

 だから、わたしが一人なのは何も昼休みに限った話じゃない。今だってそうだ。他の休み時間や登下校でも一人でいることばかり。状況を変えようと入部した陸上部も結局辞めてしまった。それも自分が緑化人間であることが遠因で。おかげで人と深く関わることに余計消極的になってしまった。だから、未だ親友と呼べる存在はいない。

 人知れず周囲の青春を浴びることがわたしにとっての青春。

 この屋上はまさに〝青春浴〟に最適なのだが、裏を返せば今のわたしの孤独を象徴する場所でもあるわけで――。


「誰も青春まで緑色にしてなんて言ってなーい!」


 結局こらえきれなかった不満が爆発する。

 早く全人類が緑化してしまえばこんなに思い悩むこともないのだ。実際、プロジェクトの代表は計画が完遂すれば地球温暖化や食料問題も解決できると豪語している。

 そんな壮大な課題が解決できるなら、緑化した一人の少女の悩みくらい早く解決してほしい。

「今年こそ、今年こそは親友を作って色鮮やかな青春を謳歌してやる!」

 先ほど吐いた毒を浄化するように大声で独白する。

 直後、開戦のゴングのように鳴る予鈴。

 もうすぐ始業式が始まる。

 緑色の青春に新しい風が吹く。始業式にはそんなことを期待していた。ベンチに置いていた鞄から手鏡を取り出す。鏡を見ながら、白い歯がちらりと覗くくらい口角を上げて――今日もいい笑顔。すっかりいつもの陽気さをまとったわたしは屋上を後にした。

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