第9話 境界の崩壊

最初に壊れたのは、道だった。


踏みしめたはずの足場が、意味を失う。

前へ進んでいる感覚も、後ろへ戻る感覚も、同時に崩れていく。


「……来たな」


キースは、立ち止まらなかった。

止まるという選択肢そのものが、消えつつあったからだ。


【世界間境界:不安定】

【位相差:拡大中】


ミィが低く鳴く。

黒猫は、空間の“継ぎ目”を見つけようとするが、どれもほどけ始めている。

シャオは、不安を押し殺すように、必死に歩いた。


色が、剥がれ落ちる。

音が、意味になる前に崩れる。


異界は、もう均衡を保てていなかった。


「……俺たちが、引き金か?」


キースの問いに、答えはない。

だが、理由は分かっている。


役割を限定し、

代価を支払い、

境界を“またいだ”存在が、ここに残り続けている。


異界は、本来、通過点だ。

留まる場所ではない。


空間が、裂ける。

だが、それは出口ではない。


“区別”が、消えている。


こちらと向こう。

内と外。

戻ると進む。


すべてが混ざり、溶け合っていく。


【崩壊段階:不可逆】


ミィが、キースの前に出た。

黒猫が反対側を固め、シャオが中央に入る。


――守る配置。


「……ありがとな」


キースは、苦笑した。


探索者でなくなっても、

導かなくなっても、

守られる側になることは、拒まれなかった。


空間の奥で、“存在”が揺れる。

かつて彼らを招いた、輪郭だけの意思。


「選択が、過ぎた」


責める響きはない。

ただ、事実を告げているだけだ。


「この世界は、閉じる」


「出口は?」


キースの問いに、沈黙。


――出口は、一つではない。

――だが、選べるのは、一つだけ。


周囲に、複数の“裂け目”が生まれる。

それぞれが、違う世界へと繋がっている気配。


元の世界。

別大陸。

そして――未知。


「……選択肢、減らすのは得意だな」


キースは、猫たちを見る。


ミィは、迷いなく前を見る。

黒猫は、戻る方向を一度だけ確認する。

シャオは、二匹の間に立った。


「分かった」


キースは、深く息を吸う。


「境界が壊れるなら、

 俺たちは“越える側”になる」


逃げない。

閉じ込められない。


世界が壊れるなら、

壊れる前に進む。


異界が、悲鳴のような振動を起こす。


境界の崩壊は、止まらない。

だが――


選択は、まだできる。


キースと猫たちは、並んで歩き出す。

裂け目の一つへ。


それは、帰路ではない。

だが、終わりでもない。


境界が崩れる音の中で、

彼らは確かに次を選んだ。

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