第4話 通じない善意

それは、倒れている影から始まった。


色のない地平に、かすかな揺らぎがある。

近づくと、人の形をしていた。

だが、呼吸も、鼓動も、感じられない。


「……生きてる、のか?」


キースが一歩近づいた瞬間、空間がきしんだ。


【警告:干渉過多】

【対象:均衡保持存在】


ミィが低く鳴き、黒猫が尾で制止する。

シャオは怯えながらも、影を見つめていた。


倒れていた存在は、ゆっくりと顔を上げる。

目はなく、表情もない。

それでも、意思だけが伝わってきた。


「触るな」


拒絶は、怒りではなかった。

ただの事実だった。


「……助けるつもりだ」


キースの言葉に、世界がざわめく。


「善意は、ここでは毒だ」


意味が、直接流れ込んでくる。


「均衡を崩す。

 重さを変える。

 だから、拒む」


ミィが前に出る。

黒猫が並び、シャオが必死に鳴く。


【スキル〈まねきねこ〉:反応不能】


「……くそ」


手を伸ばせば、引き金になる。

支えれば、壊す。


倒れている存在は、なおも続ける。


「我々は、倒れることで保たれる」


理解できない。

だが、嘘ではない。


キースは、拳を握りしめた。


「じゃあ……何もするな、って言うのか」


「見ていろ」


短い答えだった。


キースは、歯を食いしばり、手を下ろした。

何もしない。

声も、力も、差し出さない。


時間が流れる。


やがて、倒れていた存在は、自然に形を変えた。

崩れ、広がり、空間に溶けていく。


【均衡:再配分】


世界が、静まった。


ミィが不安そうに鳴く。

シャオは、今にも泣き出しそうだった。

黒猫だけが、目を閉じていた。


「……助けなかった」


キースの声は、掠れていた。


「でも、壊さなかった」


それが、この世界で許された最大の善意だった。


歩き出す。

足取りは重い。


「全部の世界で、同じことはできない」


キースは、猫たちに言う。


「助けるってのは、

 押しつけになることもある」


ミィはしばらく黙ってから、短く鳴いた。

――分かった、とは言わない。

ただ、受け取っただけだ。


異界では、善意は通貨にならない。

時には、罪になる。


探索者は、

助ける者ではなく、

壊さない者であることを選ぶ。


その選択の重さを抱えながら、

キースと猫たちは、再び歩き出した。


善意を手放してでも、

歩みを止めないために。

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