第3話 奪われるもの

違和感は、音もなく始まった。


ミィの歩幅が、わずかにズレる。

黒猫が気づき、振り返る。

シャオは、気づくのが一拍遅れた。


「……ミィ?」


呼びかけに、反応がない。

鳴き声は返ってくる。だが、意味が薄い。


ここでは、音は意味になる。

なら――意味が、欠けている。


ミィの輪郭が、滲んでいた。

姿が消えるわけじゃない。

ただ、“存在の確かさ”が、薄れている。


【環境干渉:進行中】

【対象:随伴存在】


「……奪われてる」


何を、とは言えない。

記憶でも、命でもない。

“ここにいる理由”そのものだ。


黒猫がミィの前に立ち、動かない。

シャオは必死に鳴き、ミィの影にしがみつく。


「やめろ」


キースの声に、敵意はない。

だが、空間は応えない。


異界は、善悪で動かない。

“均衡”で動く。


「……俺たちは、招かれた」


キースは、はっきり言った。


「なら、代価を払えってことか」


一歩、前に出る。

剣を捨てる。

次に、外套を外す。


「俺の役割を、持っていけ」


黒猫が、はっとしたようにキースを見る。

シャオが鳴き、止めようとする。


「探索者であることだ」


称号でも、力でもない。

“歩く者”という役割。


空間が、わずかに揺れた。

ミィの輪郭が、少しだけ戻る。


【代価:部分受理】

【代替対象:不完全】


「……足りないか」


キースは歯を食いしばる。


「なら――」


黒猫が、前に出た。


静かに、だが揺るぎなく。

その目は、選択を告げている。


「……お前が?」


黒猫は頷くように尾を揺らす。

自分の“役割”を差し出す覚悟だ。


「待て」


キースは、低く言った。


「奪われるのは、順番じゃない」


キースは、ミィの前に膝をつく。


「俺が、選ぶ」


【選択権:保持】


“奪われるもの”は、完全には決まっていない。

異界は、提示するだけだ。


キースは、はっきり言った。


「俺の“帰る理由”を渡す」


一瞬、世界が静止する。


港。

丘。

街道。

戻れる場所の記憶。


それらが、薄く剥がれ落ちる感覚。


【代価:受理】


ミィの輪郭が、完全に戻った。

黒猫が安堵し、シャオが震える息を吐く。


「……戻れなくなるかもしれないな」


キースは、苦笑した。


だが、後悔はない。


奪われたのは、未来の選択肢。

今の仲間ではない。


異界は、静かに道を開く。


「行こう」


帰れなくても、

力がなくても、

それでも――歩ける。


探索者は、

失いながら進む者だ。


そして、奪われたものの重さが、

その歩みを本物にする。

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