第2話 ジロウ(審判兼解説役)と出会った日

暗闇の中で、何かがうごめいている。


温かい。狭い。息苦しい。


黒鉄海の本能が告げる。くちばしで殻を突け、と。


(本能……!?やかましいんじゃ!

本能だろうと何だろうと、横綱であるこのワシに命令できるのはワシだけじゃ!)


黒鉄海は、何度も、何度も目の前の壁に張り手をぶちかました。

壁は卵の殻であった。殻は割れ、光が差し込む。


「ピー、ピー(天下の横綱が、くちばしなんぞに頼れるかい!!)」


自分の声が、異様に高い。まるでヒナ鳥の鳴き声だ。


黒鉄海は混乱した。あれほどちゃんこを食べこんだはずの体が軽い。膝もスムーズに動く。視界が低い。


そして、ここは先程までいた稽古場ではない。

巣だ。鳥の巣にいる。


そして自分は、鳥になっている。


「な、なんやこれ」


流石の黒鉄海も、フリーズしてしまう。


「助けてっピ! 死にたくないっピ!」


別の声がした。


悲鳴だ。


黒鉄海が顔を上げると、巣の縁で小さなヒナが、もがいていた。


グレーの羽毛。黄色のくちばし。


(あれはホオジロか?)


黒鉄海は思い出した。新弟子時代、親方に鳥の子育てについての教育番組を観せられたことがある。


「力士は自然を知らなあかん」と親方は言っていた。あの時、テーマになっていたのが、ホオジロだった。

本当のところは、黒鉄海の暴れん坊っぷり手を焼いた親方が、情操教育として観せただけである。


「助けてっピー!」


ホオジロのヒナは必死にもがいている。巣の縁、あと少しで落ちる。


「ちっ……思い通りに足が動かんがな……」


黒鉄海は小さな体を動かした。よたよたと、だが確実に巣の縁へ向かう。


「おい!掴まれ!」


ホオジロのヒナは驚いた表情で黒鉄海を見た。


「え……孵化したばかりのヒナ……?」


「ヒナはおどれもやろが!ごちゃごちゃ言わんと掴まれ言うとるんじゃ!」


黒鉄海は右手(横綱なので翼のかわりに腕が生えている)で、ホオジロのヒナの翼を掴み、力を込めて引っ張った。


生まれたばかりのヒナとは思えない力で、ホオジロのヒナを巣の中に引き戻す。


「た、助かったっピ……ありがとうっピ。僕はホオジロのヒナ、ジロウっピ!」


ジロウは震えながら言った。


「礼はええわ。それより何があったんや」


「後ろから押されて。他の兄弟たちはもう既にヤツに始末されて……」


その時。


「よお」


低い声が響いた。


黒鉄海が振り返ると、そこには巨大なヒナがいた。


黒と灰色の混じったヒナの時期特有の羽毛。ずんぐりとした体。黒鉄海の3倍はある体格。


「へえ……カッコウかい。親方に観せられた動画でも、カッコウは仮親のヒナを落とすっちゅうとったのう」


「知ってるなら邪魔すんなよ、新入り。邪魔をしないなら、巣に居させてやってもいいんだぜ。まあ、俺との給餌争いで勝てるはずがないがな!」


カッコウのヒナは、仮親の給餌本能を誘う黄色のくちばしを大きくあけ、不敵に笑った。


「托卵ってのはな、こういうもんなんだよ。俺が先に孵化した以上、この巣は俺のもんだ。他のヒナは全部、巣の下へ落とす。そして、最終的に俺だけが巣立ちする。それが托卵のルールだ」


黒鉄海は、カッコウのヒナを睨みつけた。


「ほう、弱いヤツを巣から落として、自分だけ生き残るんか」


カッコウのヒナは肩をすくめた。


「そういうもんだろ。俺たちカッコウは、そうやって生きてきたんだ。

文句あるか?」


黒鉄海の目が、鋭く光った。


「文句……?」


小さな体から、圧倒的な威圧感が溢れ出す。


「文句どころか……」


黒鉄海は不敵に笑った。


「おもろいやないか」


「なにっ……」黒鉄海の返答にカッコウはとまどう。


「弱いヤツを落とす?上等や。せやったら……」


黒鉄海は一歩前に出た。


「ワシを落としてみい。

ワシは日下開山、黒鉄海や。押し相撲で負けたことは一度もない。

おどれの托卵とやら、ワシに通用するか試してみいや!」


カッコウのヒナは、あっけにとられ、笑った。


「おもしれえ。生まれたばかりの小さなヒナが、随分と大口叩くじゃねえか。

いいぜ。その減らず口、叩き潰してやるよ」


カッコウのヒナは構えた。


黒鉄海も構えた。


人間には知られていないが、鳥類の決闘方法は、もちろん相撲である。

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