第7話 『母の覚悟』 【序章・第七節】

アイラが再起動した瞬間は、奇跡のように静かだった。


最終薬液を流し込み、祈るように組んだ手を胸の前で固めていた私の視線の先で――

機械の中心部から、ほのかな光がゆっくりと全身へ広がっていく。

その光が均一に脈動しはじめたとき、ようやく私は息を吸い込めた。


「……アイラ、聞こえる?」


返ってきた声は弱々しかったが、それでも確かな意志を帯びていた。


「……加奈子さん。オラ……戻ってこれただ…ありがとう…」


その声を聞いただけで、胸の奥がじんわり熱くなった。

明日香のために、身を挺して抱きしめてくれたアイラが――またここにいる。


けれど安堵はほんの一瞬だった。


視線の先では、明日香が深く眠っている。

ゆっくりと上下する胸、無防備で穏やかな寝顔。

薬の作用で、しばらくは目を覚まさないはずだ。


その姿を見るだけで、胸の奥に鈍い痛みが落ちた。


(……このままじゃ、また同じことになる)


明日香の体内には、常識を大きく逸脱したクロノ因子がある。

それは人間を超えた何かで――

そして、今のアイラの身体はその負荷に耐えられるようには造られていない。


事実、さっき崩れ落ちた。


再起動できたのは奇跡で、次はどうなるか分からない。

明日香に触れ続ければ、またアイラは壊れてしまう。


それでも、明日香はアイラを必要としている。

そしてアイラも、娘を守ることを選んだ。


(なら、私がやらなきゃいけない)


腹の底でそう決まった瞬間、覚悟の熱が静かに宿った。


「……明日香。ごめんね」


眠る娘の髪をそっと撫でる。

母親でありながら、そばに置いてはいけないと判断しなければならない。


(あなたの安全のために、あなたを“隔離”しなければならない)


胸を押しつぶされるような痛みが心に走る。

それでも、他に道はなかった。


明日香が目を覚ましたら、理由を説明しなければならない。

理解してくれるかもしれないし、泣きながら拒むかもしれない。

それでも――


私は母だ。

守るために、嫌われる覚悟もする。


弱い光をまとったまま、アイラが私を見上げた。


「……加奈子さん。オラ、明日香ちゃんのそばにいてぇ。

 けど……このままじゃ、また迷惑かけちまうべ……」


「わかってる。だから、私が直す。

 あなたも……明日香も、必ず守る」


言い切った自分の声が少し震えた。

その震えは恐怖ではなく――決意の証だった。


こうして、私は決めた。


明日香とアイラの安全のための隔離。

そして、明日香のクロノ因子に耐えられる新しい構造へ、アイラを改造すること。

薬の効果が安定し、アイラの調整が終わるまで、二人だけを見守りながら進めること。


母として、研究者として。

この子たちを、必ず未来へ届けるために。

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