第4話 貧厄

 冬の眠りから目覚めた生命が、夏に向かってどんどん活動的になっていく季節。

 木々の新緑は濃くなり、虫も動物も恋を求めてさえずり、飛び回っている。

 僕の頭の上でも、枝にとまったスズメの二羽が仲良くおしゃべりをしていた。

 チュンチュンチュン、そしてデートなのか遊ぶのか、話がまとまったらしい。連れだって飛び去っていく。


 僕はスズメ達を見送ってから、またその家に注意を向けた。

 鮮やかに、そして賑やかなこの世界からも取り残されている家だった。

 1階も2階も、窓のカーテンは閉じられている。

 殺風景なベランダには、誰かが出る気配すらない。


 僕のいる庭も、チェーンが外れた自転車が隅に転がり、花々の世話は当の昔に放棄されていた。

 家全体が外を見ないよう、外から見られないように目をふさぎ、うずまりこんでいるのだ。


 当然訪問者も無く、近所付き合いも無い。

 僕は庭から1階リビングを見た。

 ガラスドアの向こう、閉め切ったカーテンに虫が幾匹も止まっている。

 僕は2階を見上げた。


「あいつ、今日もまだ気が付かないのか」


 2階にいるのは、この家の長男だった。1人息子で、高校生から引きこもって20年になる。

 筋金入りの引きこもりである。

 夜も昼も、24時間体制365日×20年、2階の自室から1歩も外に出ない。歩くとすれば、部屋の中だけ1日30歩。50メートル先のコンビニすら足を踏み入れた事が無い。


 母親が作って置いてくれた3食を貪り、父親がローンで手に入れた持ち家の2階を占領し、世の労働者様が作り上げて整備した、商業インフラのインターネット通販を使って、奴はアニメやマンガやライトノベルズだDVDを手に入れて、二次元と仮想空間と妄想力を駆使した脳内世界で戯れる日々を送っている。


 しかし、そんな息子のいる2階の下では、ちょっとした事態が起こっている。

 1週間前の事だ。

 僕は、この家の夫婦相手の仕事を遂行した。

 ここの1階で、哀れな2人に仕事を終えた後、その2階にいる息子は1階の両親の身に何が起きたのか、知る事も無く部屋の中に引きこもっていた。


 柱が軋む音に台を蹴り飛ばす音など、結構大きな音を立てたというのに、全く気が付いてもいない。

 あの時、本来なら2階へ上がり、息子も刈り取る予定だったのだけど、僕は予定を変更した……コイツは、ちょっと待ってやろうかと。

 この事態を知らせてからでも遅くは無い。


 たった1人残された息子に、僕はちょっとワクワクしたのだ。

 まず1階に降りて、両親に起きた事態を見つけたら、どうするのか。呆然自失? 泣き喚く? それとも……?

 ショックを受ける事は間違いない。


 それだけじゃない。もう奴の引きこもり生活、それ自体が成立できないのだ。

 食事は作ってもらえないし、コンビニへお菓子やエロ本を買いに行ってももらえなくなった。いずれは生活費すらも尽きるだろう。

 20年間、世間から隔絶されていた純粋培養の無能力者が、親父と召使を失った現実にどんな反応をみせるか。


 ここの仕事は一区切りつけて、次の仕事に取りかかるインターバルの間に、僕は他の仕事帰りや散歩のついでなどに、ちょっと立ち寄って様子を見ていた。

 陰鬱な気を発散しているのは相変わらずで、それだけだった。

 家には警察も来ていないし、家の外見は変わりない。


「ばっかじゃないの?」


 今日も落胆し、心底呆れ果てた。


「もう1週間は経っているのに、何で気が付かないんだよ? 1階に降りろよ、トイレくらい行くだろう? ついでにちょいとは親の顔を見ようとか、やけに家が静かだけどどうだとか、そうは思わないのかよ?」


 と、いうか、食事とかどうなっているんだ?

 僕は頭を傾げた。

 あいつの餌を作っていたのは、母親だ。買物のパシリもしていた。

 もう、その母親もアイツの世話をする事が出来ない。

 自分では何もできないのだ。


 すぐに気が付きそうなものだけど。

 僕は、庭から2階を見上げた。


「まさか、自分1人でちゃんとやっているって事はないよな?」


 どちらにせよ、気が付かない筈が無い。それにしても、静かだ。

 まさかなあ。


「アイツも死んでいるなら、この僕が分からないはずないし」 


 ……そうしている間に暗くなった。ちょっと様子見に、家の2階へ上がろうか、そう思った時だった。玄関口に若い女性が立っていたのだ。

 僕はちょっと目を見張った。凄い美人である。

 長い髪はそのままにした、折り目正しいベージュのスーツ姿。


 もしかしたら、保険とか何かの外交員かと思ったが、彼女はチャイムを押さずに、そのまま家に入った。

 この家族と親しい間柄なのか。

 仕事にかかる前、この家をちょくちょく下見していたのだが、すれ違っていたのだろうか、気が付かなかった。


 ついにこの事態が発覚する時が来た。

 家に入れば、イヤでも気が付く異常事態だ。

 ようやく訪れた新展開。僕は、ワクワクしながら彼女に付いて家に入った。


 「うわお」


 玄関に入った瞬間、僕は声を上げた。

 すでに、室内は黒い点が唸っていた。

 目の前の空間のほとんどを占拠している。

 蛆の孵化が早い。


 気温が上昇している事と、餌の栄養が良いのと条件が揃っているのだ。

 床はムカデやゴキブリの絨毯で、虫が苦手な人間が見れば、卒倒するような光景になって行った。

 僕は悲鳴を待った。

 しかし蝿の群れの中、長い髪を揺らせ、しなやかな背中を見せて廊下を歩いて行く訪問者。


「あれ……?」


 僕は呆けた。

 彼女は平然と歩いて行く。

 まといつく蝿の群れを、払いのけようともしない。

 人はたいてい虫が嫌いで、その中でも最も嫌っている種類の虫が、ここに大集結しているというのに。


 人にとっては、歩くだけでも拷問になるはずだった。

 以前、こんな光景に出くわした人間が、泡を吹いて卒倒したのを見た事がある。

 そんな恐るべき絨毯を、彼女は素足で踏みしめながら歩いていた。

 彼女が立ち止まる。総本山の日本間の前で。


 何匹もの蝿が白い頬を這いまわり、綺麗な髪の毛に蝿が潜り込む。

 だが、彼女は払いのけようとも、気持ち悪そうにするでもなく、考え込む素振りを見せただけだった。蝿の襲来など、顔を撫でるそよ風のようだ。


 そして、開けた。

 ぶぉぉっと、羽音が渦巻いた。

 ドアの内側から起きたのは、ハリケーンだった。

 それも、肥に肥えた大きな蝿。彼女が蝿のハリケーンに飲み込まれる。


 僕は身構えた。

 彼女が、この日本間で見る光景。

 その反応が、第1回目のハイライトの瞬間……のはずだった。


「ああら」


 彼女はそれだけだった。

 鴨居の向こうにぶら下がる、夫婦の首吊り死体を見て。


「うーん、想像以上に腐るのが早いわねえ」


 拍子抜けや落胆を越えて、僕は空白に陥った。

 彼女が見ている光景を、僕は目で追って確かめた。死後1週間経って、2人共変色してぶら下がっている。

 胴体の重みで首は伸び、弛緩した筋肉は排泄物と体液を垂れ流しだ。

 畳は黒ずんで、蛆や虫がはね回っている。


「仕方が無いか。もう、大分暑くなって来たものね」


 彼女はちょっと肩をすくめた。

 僕にとっては平気な光景だけれど、それを見て平気な人間を見るのは平気ではいられない。

 突然、ぶちっと鈍い音がした。

 ロープが切れたのだ。


 腐った果物が地面に落下するように、2つの遺体が落ちた。

 飛び立つ蝿で、空気がかき混ぜられた。


「押し入れにでも入れとこっと」


 彼女は押し入れを開けると、座布団など収納品を出して、代わりに夫婦を押し入れに入れてしまった。

 そして、洗面所に入って手を洗い、2階へと上がる。


「……何なんだ、この女」


 彼女の後をつけながら、僕は愕然とした。

 その後、彼女は2階の部屋のドア前に置かれていたメモを拾い、外に出た。

 買い物だ。

 メモは、奴の書いた買い物リストだった。

 弁当、お菓子と飲み物を買物かごいっぱいに入れる。


 僕は「もしや」と気が付いた。

 この女性が、死んだ母親に代わって、引きこもり息子の面倒を見ているのか?


「ええっと、月刊マニア『人妻痴態盗み撮り祭り』か。昨日は週刊『制服征服!』だったわね。そこに乳さえはみ出ていれば、人妻でもセーラ服でも白衣でもいいのかしら。男って、本当に女の乳に関しては節操無いのね」


 間違いなかった。

 コンビニのエロ本棚で、雑誌を物色する彼女の姿に、僕は他の男性客と一緒に凍りついた。

 何者だ、この女。

 最初に想像したのは、あの息子の恋人である可能性だったが、すぐ却下した。


 不釣り合いだ。

 腐乱死体を平気で押し入れに押しこんでしまう、あの神経からすれば、この美女もかなりの異常者だが、それ以上に恋人同士の行動パターンのパーツが、あの息子と彼女では噛み合わないからだ。


「探ってみるか」


 コンビニで買い物後、再びあの家へと向かう彼女を尾けながら、僕は上から下までまっ黒いユニフォームから、ごく当たり前の、ズボンとシャツ姿になった。

 実体化しても、仕事の備品は手放す訳にはいかないので、シルエットを利用して、見た目をちょっと工夫してみる。


「すいません、お姉さん」


 家の門の前で、僕は彼女を呼び止めた。


「ここの家の人ですか?」

「あら、可愛いボクね」


 にっこりと微笑みながら、彼女は僕の全身にさっと目を走らせた。

 視線が僕の持つ大鎌に止まったが、人間の目にはグローブを通した野球のバットに見えているはずだ。


「こんな遅い時間まで、野球? この家に用事でも頼まれたの?」


 僕は、小学生男子の姿で笑った


「用事じゃないんですけど、僕のママとここのおばさんが、仲がいいんです。最近おばさんとおじさんを見ないって、ママが心配しているし、ここのおばさん、僕も好きだから、気になっちゃって」

「まあ、優しい子ね」


 彼女は僕に屈みこむようにして囁いた。

 不意に匂いが流れたその瞬間だった。

 僕はようやく彼女の正体に思い当たる。目と目が合った


「嘘ついちゃダメ……あなたがこの家のおばさんとおじさんを、連れて行ったんでしょ?」

「え?」

「あなたこそ、何しているの? 死神さん」


 香水ではなく、違う匂いを漂わせて、彼女……貧乏神は僕に笑ってみせた。



 夜中に立ち話なんか怪しまれるので、家に入りましょうと貧乏の女神に促された僕は、玄関に足を踏み入れた。


「何で、僕の正体が分かったんですか?」


 貧乏神と一緒に家の玄関に入った僕は、自分自身の姿を見下ろして確かめた。


「完璧な変装だと思ったんだけど……トレードマークの大鎌だって、野球のバットに通したグローブ、このシルエットなら鎌には見えないでしょ」


「あのねえ、キミ。その小学生のカッコでこの時間はないわよ……夜中の2時よ」


 思わず、僕は自分の頭を叩いた。


「いっけね! 警戒されない事に一番気を取られていた。人間の年代別の行動時刻を忘れてた」

「次は、違う姿にするのね」

「貴女は、見事な扮装ですね。全然分からなかった。ところで、さっきの質問ですけど……ここで何やってんですか?」


 僕と貧乏神は、闇の中で渦巻く蝿群をかき分けて廊下を歩き、階段へ上がった。

 蝿の群れは、大物の餌2つがある1階に集中して、2階はまだ少ない。


「お仕事。それ以外、何があるの」


 コンビニで買ったエロ雑誌をパタパタと振って見せる貧乏神に、僕は声を上げた。


「あなたが母親の代わりになって、奴のパシリなんかやっているから、アイツ、部屋から出ないんですよ!」

「別に良いじゃないのよ」


 彼女はちらりと奴の部屋のドアを見やった。


「ああ、キミは彼を部屋から引きずり出したかったのか。目的は?」

「僕も仕事ですよ。取りあえずは、奴に今、自分の置かれている状況を見せてやろうかなと思っていて」

「ふうむ、見せてどうするのよ」

「心臓発作を狙えるかなと」


 僕は正直に言った。


「奴にも寿命の刈り取り時期が来ているんですよ。20年以上外に出ず、日光に当たらず、肉体はタンパク質と炭水化物と油脂で膨張、血管にも内臓器官にも、脂がみっちりと付着しています。脳味噌は仮想空間と漫画と桃色写真で食い荒らされ、新しい刺激と経験で更新されることのない思想や自我は、10代で停滞したまま。そんな奴に今の状況を見せれば、閉じこもっていた間に流れた時の重みと、現実の重みで奴の精神と心臓を一気に潰せると思うんですよね」


「ダメ。彼のパパとママだけで、我慢しなさい」

「いや、我慢とかそんなのじゃないんですよ! 僕は仕事ですから! だからここに来たんですから!」

「ダメ。言ったでしょ。私だって、仕事だも―ン。彼を狙っているんだも―ン」


 白い指先が、僕の鼻先を軽くつついた。


「2人済ませたんだからもう、良いじゃないの」


 色っぽい瞳が、僕を見上げる。


「彼を私にゆずって? ね?」

「ゆずるも何も」


 奴には、寿命の刈り入れ時期が近づいているのだ。


「しかし、あなたがいたのには気が付かなかったな……どれくらい前から、この家に出入りしていたんです?」


 僕と彼女は同業者じゃないけど、仕事相手の種類がたまにかぶることがある。

 ただ、僕は事故や突発的なケースの相手も多く、死病を患っている相手の元に出入りする事はあっても、短期間である事が多い。

 だけど、彼女の場合は長い。


 場合によっては、相手とは数年どころか、何十年単位の付き合いの事もある。


「そうねえ、結構前からよ。もう5年くらいになるわね」


 彼女は腕を組み、部屋のドアに背中をもたれさせた。

 一見油断している風だが、僕の目にドアを入れぬよう、身体を盾にしている。


「きっかけはね、とある新興宗教の集会所でね。ここのお母さんね、息子の悩みがきっかけで、そこに入信していたのよ」

「そうだったのか」


 成程、宗教団体と賭博場は、彼女が好き好んで良く出入りしている場所だ。


「面白いのよね、ああいう場所に出入りする人間ってさ、どんな不幸にも、自業自得とはめげずに運命のせいか祟りのせい、ご先祖様のせい。反省する事ないから、壁にぶち当たっても回避するとか、よじ登る方法を考えようとしない。ここの夫婦もご多分にもれず」


 くすくすと彼女は笑った。


「教団のお薦め品、全てお買い上げよ。親として責任逃れよねえ。壺や石やペンダントに、息子の引きこもりを直してもらおうって言うんだから」

「貴女の大好きなタイプですね」


 貧乏神に好かれる人間の代表は『怠け者』である。

 自分の責任を果たそうとしない、他力本願タイプ。

 特に被害者意識が高いと、もっと良い。世界の中心は哀れな自分なので、状況から抜け出すために建設的なプランを練る事はまず無いし、人から差し出される助けの手すらより好みする。


「で、貴女はいつものように、それ見ていて楽しんでいた、と」

「見て聞いて、よ。私、母親の相談相手になっていたの」


 喜ぶ貧乏神に、残酷だねえと言ってはいけない。

 それに、人間にとっても人の不幸とは自分の幸福度を計る1つの基準である。

 それが人の標準、思考プログラムなのだ。カウンセラーや医師は、そのプログラムを動かさないから商売になるのである。


「色んな救済グッズ、あなたが夫婦相手に仕事した部屋に一杯あるわよ。見たでしょ?」

「そんなものがあったかな?」


 僕は、この家のリビングや寝室の様子を思い浮かべた。

 曲がりなりにも宗教を持っているなら、神と自分をつなぐアイテムか祭壇など、信仰の象徴、神と己をつなぐ媒体となるものが飾ってあるか、保管してあるかだ。しかし、そんなモノ一つも無かったのだ。


「祭壇じゃないけど、日本間の床の間に大きな水晶あったでしょ? 紫色の座布団の上に鎮座されておられましてよ」

「……あー」


 教えてもらえれば、思い当る品物がある。

 ぶら下がっている首吊り夫婦の向こう、床の間に確かにそんなモノがあった。紫色のクッションに乗せられた、野球ボールくらいの大きさの水晶玉。


「あれ、何かの宗教アイテムだったんですか?」

「キミの立場がそれ言っちゃダメでしょ。あれはね、もの凄い力を持つ水晶なのよ。ヒマラヤ山頂の霊域から削られて、石師によって磨かれ、150日間に渡って教祖と修行僧たちの祈りを捧げた球よ。この世の悪と邪気全てを吸い込み、無力化させる力があるの」

「うっそだあ」


 僕は素っ頓狂な声を上げた。


「もしもそうなら、あなた、この家にとって邪でしょ。全然無力化してないじゃないか! どっちかっていえば、呼び込んでいませんか?」

「失礼ね。あなただって、向こうにとっちゃ私と同じ一味よ」

「あなたと僕が同じ、それは違いますよ!」


 僕は杖の先端を、床に叩きつけた。


「僕の職種は、確かに昔から人に誤解を受けています。フィクションでも比喩でも、味方や善の立場で登場した事はほとんどない。忌み恐れられるのが普通でしょう。ですがねえ、僕が仕事する相手は、あくまで『収穫時』になった人が対象なんですよ。健康な人なら、別に僕を恐れる必要はないんです」


 光があれば闇がある。生があれば死がある。

 全ては表裏一体で成り立っているのに、裏の部分を司る立場やものから、人は目を背ける傾向にある。

 それは、死を恐れる人の本能の一部であると分かってはいるけれど、たまに腹立たしい。


「だってキミ、いつも黒装束だし、地味だし」


 私から見ても、陰気だもんねと彼女は呟いた。


「イメチェンすれば? 私みたいにゴージャスに美しく、イメージとは真逆にさ」

「それにしても、引きこもり息子に悩んで、行く先が宗教とはね」


 僕は頭をひねった。


「神々の管轄は、自然や天候、宿命や死後。生きる人間の能力では届かない領域なんだけどな。個人次第で何とでも出来る事情なんか、守備範囲に外れます。そもそも、息子が引きこもったきっかけはイジメじゃないですか」

「そうそう、中学生の頃に苛めていた相手が、高校生になって立場逆転したの。苛めていた相手が、ヤンキー軍団の野球部に入ってヤンキー友達が出来るとはねえ……そりゃ、中坊の頃に虫を食わそうとした相手なんか、許さないわね」

「じゃあ、行くならカウンセラーでしょ」


 くっくっくと、貧乏神は笑った。


「それがあの父親と母親、おっかしくてね。息子が登校拒否始めた時、専門家のカウセリングを勧められたんだけど、断ってんの。理由なんだと思う? 息子が中学生の頃にイジメの主謀者で、その被害者に意趣返しされているなんて、外聞悪くて連れて行けないってさ。神様なら、イジメの過去も何も言わず、何とかしてくれると思ったのかしらねえ」


「はぁ? お母さん、アレを外に出したかったんですか。じゃあ何で部屋まで餌を運んで、パシリまでして、外に出なくても良いように計らっていたんです? やっていること、考えている事が逆でしょ」

「だって、餌を与えて言う事聞いてやらないと、可愛い息子がママを嫌いになっちゃうじゃないの」


「別に、親が子に嫌われるのなんか当り前でしょう。子供に堂々と煩がられて、煙たく思われてもいい立場が親でしょ。他人とは違って、子を教えて諭す存在なんだから、子供と親が同格はダメでしょう」

「あのお母さんは、子供に愛されるお母さんを目指していたのよ。優しく、聖母マリアのような息子の全てを包み込む母、それが私ってね」

「子供を愛するべき存在が、子供に愛されたいと願ってどうするんです。それって、単なる媚びでしょ。愛される自分好きですよ」


 僕のセリフに、ケラケラと彼女は笑った。


「さすがに、その聖母も息子にエロ本のオーダー受けた時はきつそうだったわよ。家の2階の万年床の中で、外に出られない息子が勝手に「男」になっているんだもん。でも聖母たる者、我が子の全て、生々しい性欲も包み込んでやらなくちゃね」

「だから、夫婦揃って寿命が消えたんですよ」


 僕は言い切った。

 夫は悪性腫瘍の急激な増加を医師に知らされ、余命半年を宣告された。そして生きる気力を失った。

 妻は、ダメ息子とこの世に取り残される事に絶望した。

 それで、死神の僕が呼ばれた。


 そのダメ息子も、もうダメだ。

 生きる気力もなく、偏った栄養素で肥大した肉体。

 畳6畳のノンフィクションとフィクションが曖昧な思考力。生きていても仕方が無い。


「そこで私の出番なのよ。ダメ親を楽しんだから、次は息子。さあ、生きていても仕方が無い奴が、どんなダメな生きざまを見せてもらえるか、今からワクワクなの」

「あのねえ、ダメな生き方にもエネルギーは必要でしょ。でもあいつ、生きるエネルギーもないですよ。生きていても死んでいても、妄想と死後の世界の区別もつかないんじゃないですか」


「あらあ、そんな奴でも生かしとくってのが、お慈悲とか余裕ってものでしょ」

「無駄と余裕は違うでしょ。余裕は文化を生むけれど、無駄は何も生みません」


 つい、ため息が僕の肺から漏れた。


「あいつ、今まで何千冊の漫画や二次元観て来たと思います? 主人公が過酷な運命や逆境に負けずに生きる姿勢。困難に立ち向かう精神。それを作者が読者に伝えんと、一文字と作画に込めた力を、あいつは読みとろうとしないばかりか、単なる娯楽のスパイスにしている。そんな奴、幾ら余裕あっても飼っちゃいけません。生かしても無駄です」


 僕はバットを握る手に力を込めた。

 あの馬鹿息子の生命を刈り取り、新たな生命の苗床にする。

 そのために僕は、ここにいるのだ。

 貧乏神なんかに、邪魔されてたまるか。


「やっぱり、駄目ぇ?」


 もたれていた彼女の背中が、ドアから浮いた。

 だが、進路をゆずってくれたわけじゃない。

 戦闘開始の準備なのは、逆立ち始めた長い髪で分かる。


「残念ですが!」


 叫びざま、僕は大鎌を振り下ろした。

 貧乏神を吹き飛ばさんと、エネルギー波を巻き起こす。

 彼女も同時に、突き出した手から僕にエネルギー波を放っている。

 2つのエネルギー波がぶつかり合った。

 空間に大きな噴流が巻き起こる。


 それに呑まれて、僕たちはそれぞれ同時に吹っ飛んだ。

 僕は背中から天井に叩きつけられ、床に落下した。

 貧乏神は階段を転がり落ち、玄関のドアにぶつかって止まる。

 蝿の羽音がぶんぶんと荒れ狂った。廊下を這う虫たちが、争いに巻き込まれんと脇へと移動した。


「いったぁい……やったなぁ、か弱い女性に何たる狼藉」


 階段の下、玄関口で腰をさすりながら、貧乏神が僕を睨む。


「僕だって子供ですよ」


 2階で咳きこみながら、僕は階下の貧乏神を睨みかえす。

 階段の上と下で、僕たちは対峙した。

 貧乏神が飛ぶ。

 僕は大鎌を振り下ろした。


         ※


「部屋の外が、騒がしいわ」


 俺の顔を、青い瞳が不安げに見上げる。

 とても綺麗な少女。

 金色の髪と白い肌が、黒いレオタードにとてもよく映える。


「そう? 全然何も」

「いいえ、いるわ」


 この娘は自分を「悪魔なの」と名乗った。

 本当は何者なのか分からない。

 俺の母親の持って来た石がどうこうとか言っていたけど、俺にとってはどうでも良い事だった。


 この美少女が突然現われたのには仰天したが、俺にとってはこの部屋の中が全て。

 この俺が見て触れて感じ、存在を許せばそれで良い。


「それ、黒マント?」

「いいえ、翼よ」


 ドアをわずかに開けて、外を伺った少女の表情が一変した。


「大変だわ!」

「ど、どうしたの?」

「やっぱり、狙われていたのね!」


 少女は引き締めた表情を俺に向けた。


「死神に貧乏神なんかに、あなたを奪われるわけにはいかない! こんな逸材、滅多にいないもの。さあ、私と一緒にここを出ましょう。でないと、離れ離れになるわ」

「お、おれ、何かに狙われてるってこと?」

「その通りよ! あなたは、とてつもない偉大な人間なのよ」


 狼狽しながら、俺は歓喜した。こんな美少女と一緒なら、どこだって構わない。

 今の俺は本当に主人公だった。主人公はある日、突如現れた異世界の美少女に手を引っ張られ、未知の世界へと羽ばたくのだ。

 この世界から、飛び出す日がついに来た。


 通販で購入した迷彩服に袖を通した。

 布地が肌に食い込むようにピチピチになっていたが、仕方が無い。

 武器は、同じく通販で買ったサバイバルナイフ。刃渡り30センチはある、有名アクション映画のレプリカモデルだ。


「じゃあ、出発しよう」 


 戦闘準備を整えた俺に、少女は力強く頷き、その白い手を伸ばして俺の手を取る。


「あなたは偉大な勇者なの。あなたの持つその力では、邪で歪な存在を一掃して世界を変革する。あなたは長い間、そのためにこの部屋の中で力を蓄えてたのよ」


そうだったのか。

俺は歓喜で身体が張り裂けそうだった。学校で受けた屈辱、ネットの中でニートと罵られた過去の毒が、今俺の中で違う物質に変化して燃え上がる。


「私と一緒に、外に出ましょう。でも外は色々な魔物やジャマモノでいっぱい。彼らは私たちの間に立ち塞がる。でも私たちはそれと戦わなくちゃいけない」


 美少女の瞳が熱っぽく、赤く光る。その赤い瞳に俺は魂を吸い込まれる。

 俺は力いっぱいに肯いた。


「平気だ、全部このナイフで切って捨ててやる」

「頼もしいわ、どこまでも一緒よ」


 少女は笑った。

 「どこまでも……地獄へね」


 

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