第7話

 カメラの赤いランプが点いた瞬間、現場は嘘をつけなくなる――はずだった。

 資源ノードの坑口は、朝の冷気と熱い排気が喧嘩して、白い靄を吐いている。候補者育成財団の実習バスから降りると、ヘルメット越しにドローンの羽音が絡みついた。メディア局の“同行取材”。要は視聴率の餌だ。

 その餌の中心に、白いコートのエマが立つ。治癒と防疫の顔。民衆点が稼げる看板。だから囲われる。

 受付の机に置かれた一枚の紙を、現場監督が胸を張って差し出した。

「危険域評価書です。今日の区画は“安全”。予定どおり掘れます」

 紙面の右下に、丸い押印――《安全》の判。インクが、乾いていない。

「……その“安全判”、新しすぎる」

 俺が言うと、監督の眉が跳ねた。背後のカメラが寄る。いい。寄れ。

「誰が押した?」

「は? うちの手順です。あなたに説明する義務は――」

「義務の話はしてない。名前の話だ。押した奴の名前。出せる? 出せない?」

 答えが出る前に、エマが一歩前へ出た。俺の言葉を、刃から書類へ変える声。

「確認です。危険域評価書の押印者と、押印根拠の提示をお願いします。記録が残ります」

 監督は視線を泳がせ、後ろのスポンサー連盟の腕章を付けた男を見た。たぶん“現場支援担当”。支援という名の首輪係。

 その瞬間、俺はカメラに向けて言った。

「視聴者のみなさーん。今、“安全”って言いました。つまり事故が起きたら、押印者の責任です。ね? 名前、出しましょう」

「煽るな! 現場を混乱させる気か!」

「混乱してるのは現場じゃない。腹の中だろ」

 監督が紙を引っ込めようとしたので、俺は指先で紙端を押さえた。乱暴はしない。触れるだけで十分だ。

「引っ込めるなら“撤回”だな。撤回のログ、残す?」

「……っ」

「じゃあ読み上げろ。押印者。いないなら“いない”って言え」

 エマが追撃の形を整える。

「閲覧者ログも確認します。監督、ご自身で評価書を閲覧しましたか。はい/いいえ、どちらですか」

 監督の喉が鳴った。背後で、作業員たちが足を止める。視線が集まる。観衆は一度、味方にすると強い。

「……見た。もちろん見た」

 よし。言質。

 俺は頷き、ヘルメットの内側で笑った。

「じゃ、坑内で照合しよう。安全って言った口で、逃げるなよ」

 坑内は、熱と粉塵で視界が薄い。照明の列が奥へ吸い込まれていく。作業員のパワードスーツはP1とP2が混ざり、整備品質の差が、そのまま歩き方に出ている。

 エマは一人ずつの顔色を見て、簡単な問診をしていた。俺は彼女の背中を半歩後ろから見張りながら、端末の画面を切り替える。危険域評価書のデータ。閲覧ログ。押印署名。――どれも、綺麗すぎる。

 前方で、岩盤カッターが唸った。次の瞬間、耳を刺す高いノイズ。照明が一瞬だけ暗転した。

「通信、揺れた?」

 エマが小さく言う。坑内は魔導ネットが弱い。同期遅延が起きる。陰謀の余地が生まれる場所だ。

 監督が叫ぶ。

「止まるな! ノルマがある!」

 その言葉に、作業員の肩が硬くなった。ノルマ。安全より強い呪文。

 ――来る。

 床が、ほんの僅かに沈んだ。経験則で分かる。上が剥がれる。

 俺は腰のモジュールを叩く。表示が《ガード》に切り替わり、腕の前に薄い膜が広がった。透明な盾。攻撃じゃない。守りのログ。

 天井が鳴った。岩の破片が雨みたいに降る。

 盾が熱を帯び、衝撃を吸った。エマの肩を引いて、俺の陰へ入れる。作業員の一人が足を取られたので、襟を掴んで引き寄せる。誰も殺さない。誰も壊さない。壊すのは――逃げ道だ。

「みんな、しゃがんで! 呼吸器、装着を!」

 エマの声が通る。俺の毒を、彼女の公的言語が押さえる。現場はそれで回る。

 揺れが収まった後、監督は舌打ちした。

「ほら見ろ、ただの小規模崩落だ。続行!」

「続行? 今のを“ただ”って言うなら、さっきの“安全”もただの言葉だな」

 俺は端末を監督に向けた。危険域評価書の閲覧ログ――監督のIDが、空白。

「見たって言ったよな?」

「通信が不安定だからログが――」

「ログは不安定でも、閲覧の“試行”は残る。残らないのは、見てないか、見せられてないか、どっちかだ」

 エマが間に入る。柔らかいが逃げ道を潰す声。

「監督、確認します。評価書を閲覧した、という発言を維持されますか。撤回されますか」

 監督の頬が引きつった。背後のドローンが、じっと彼の顔を映す。観衆制圧は、殴らない。逃げ道を“映す”。

「……撤回はしない。俺は見た!」

「じゃあ次。押印署名の確認だ」

 俺は紙の端を指で弾いた。まだ懐に入れているらしい。――つまり、持ち出していいと思ってる。証拠が“物”だと分かってない連中だ。

「出せ」

「権限が――」

「権限? じゃあ条文番号を言え。“出せない根拠”。言えないなら、今のはただの脅しだ」

 スポンサー連盟の男が口を挟んだ。笑顔のまま、目が冷たい。

「候補者の実習を遅らせる行為は、遵法点に影響しますよ。視聴者も――」

「視聴者を盾にするな。盾にするのは俺だ」

 俺はカメラに向けて指を立てた。

「聞こえた? 今の。“遅らせたら点が下がる”。安全より点が上。これ、現場の判断じゃない」

 男の笑顔が固まる。エマが即座に翻訳する。

「発言を記録します。安全手順と評価制度の関係について、後日、正式に確認します」

 監督が渋々、紙を出した。俺は封緘タグを取り出す。監査支部から渡された、一次封緘用の簡易タグだ。現場で触られないようにする最低限の鎖。

「触るな。触った瞬間に“汚染”だ」

「……証拠じゃない、ただの――」

「ただの紙なら、封緘しても困らないよな?」

 エマが頷く。

「証拠保全です。関係者以外は触れないでください」

 俺はタグを貼り、番号を読み上げた。ドローンがズームする。作業員の端末にも表示される。観衆が、共犯から立会人に変わる瞬間だ。

「封緘番号、R-07-1193」

 監督が手を伸ばしかけ、止めた。触れば終わると分かった顔。

 俺は紙面の押印欄を指した。押印者の欄は、会社名だけで個人名が抜けている。現場工廠の略称。署名は、電子的に貼り付けられた形跡。

「押したの、ここじゃない」

「……現場工廠が、支援で――」

「支援で“安全”を売ったのか。誰の指示だ」

 監督の目が、さっきの腕章の男へ逃げる。逃げた視線は、鎖になる。

「名前。部署。どっちでもいい。言え」

 エマが同じ場所へ杭を打つ。

「指示系統の確認です。発信元(部署/担当者)を教えてください」

 男は笑顔を戻そうとした。

「あなた方は、スポンサーの善意を誤解して――」

「善意なら条件ゼロで署名できるよな。できないなら、それは条件だ」

 俺は一歩、カメラの前へ出る。

「――“安全”に条件を付けるな。条件を付けた瞬間、事故は設計になる」

 坑内の空気が、静かに冷えた。

 作業員の一人がぽつりと呟く。「……じゃあ、俺らは何を信じりゃいい」

 エマが答えた。

「記録です。手順です。守れる形で、守ります」

 その言葉で、監督の肩が落ちた。観衆はもう、彼の味方じゃない。

「……寄進評議会の窓口だ。スポンサー連盟の、オルド担当が、これで行けって……」

 名前が出た。鎖の一つ目。

 俺は頷き、出口へ向かって歩き出した。守るものは守った。次は、刺す番だ――そう思った、その時。

 エマの端末が、短い警告音を鳴らした。画面に赤い通知。《遵法点 -12》。理由欄に、機械みたいな文字が並ぶ。

『危険域評価書:不正押印/押印者:エマ・ルクシア(候補ID)』

 彼女の指が止まり、俺を見た。俺は署名ログを開く。――押印時刻は、さっき崩落が起きた“暗転の一秒”に重なっている。検証欄には《鍵照合:未検証(同期遅延)》の文字。

 追い討ちみたいに二通目が来た。

『候補者端末を封緘し、明日08:00までに支部へ提出。拒否は規約違反』

 守った直後に、首輪を締めてくる。俺はガードのまま拳を握り、赤い通知を見つめた。――誰が、エマの印を一秒だけ借りた?

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