第4話

【第4話:触るな、汚染だ】

 朝の実習棟は、いつもより静かだった。

 静かすぎるときはだいたい、誰かが「余計なこと」を隠している。

 エマの端末に、財団の緊急連絡が飛び込んだ。〈装備庫で事故。候補者一名、軽傷。救護要請〉

 僕はため息を飲み込んで、彼女の横に並ぶ。

「行こう。……記録、回して」

「はい。ノア、落ち着いてくださいね」

「落ち着いてる。落ち着いて“キレる”準備ができてるだけ」

 ボディカムの認証灯が点き、僕らの背後で監視ドローンが旋回した。

 装備庫の扉を開けた瞬間、鼻に刺さる焦げた匂いがした。

 床に座り込んでいる若い警備員。手袋の先が黒く焼け、横にはエネルギー銃。周囲を囲むのは整備班と財団の監督官、それから――やけにレンズの多い「見学者」たち。

「大丈夫です。深呼吸して」

 エマが膝をつき、手を取る。淡い白光が指先から流れ、警備員の呼吸が整う。治癒の“見える成果”。カメラが寄る。

 僕は逆に、床へ視線を落とした。

 銃の横に転がる小さな円筒――Eセル。

 整備員の一人が、しゃがんでそれを拾おうとした。

「触るな」

 声が低く出た。

「は? 回収しないと危険――」

「触った瞬間に“汚染”だ。事故扱いで終わらせたいなら、なおさら触るな」

 監督官が眉をひそめる。「君は候補でもない、現場に口を――」

「候補じゃないから言うんですよ。忖度の点数が無い」

 エマが小さく咳払いをして、僕の毒を丸める。

「証拠保全です。関係者以外は触れないでください。発生状況を正確に記録します」

 僕はレンズの群れを一瞥して言った。

「いいカメラだ。今ここで、誰が何に触ったか、全部残る」

 整備班の主任が渋々、透明な封緘袋を取り出した。封緘シールに公証局の紋。番号が走る。

 僕はわざと聞き返す。

「もう一回。ゆっくり」

「……封緘番号、E-7A-0412」

「よし。エマ、そっちの端末にも同じ番号、打て」

「記録します。封緘番号、E-7A-0412」

 二重記録。あとで“聞き間違い”を潰すための、ただの手間。

「拾う前に、見せろ。署名。シリアル」

「標準品だ。見りゃ分かる」

「標準なら読める。読めないなら標準じゃない」

 主任の顔が引きつった。監督官は苛立ちを隠さない。

「君は何がしたい。騒ぎを大きくして、誰かを悪者に?」

「悪者はいらない。手続きを正しくして、次を防ぐだけだ」

 工廠端末が運び込まれ、主任がEセルをスキャンする。

 画面に出た表示に、空気が固まった。

〈署名:未検証〉

〈同期:欠損〉

 僕は、そこで初めて笑った。

「……ログが無い? 便利だな。――行くぞ、エマ。これ、今すぐ“封緘のまま”提出する」

 封緘袋を抱えて廊下に出ると、待っていたみたいにスーツ姿が現れた。

 企業スポンサー連盟の腕章。隣にはメディア局のパス。

「その件は我々が引き取ります。安全確認のために」

 スポンサー側の男が、当然のように手を伸ばす。

「引き取る? いいね。受領書、書ける?」

「必要ありません。我々は――」

「必要だ。ここは“ログ社会”だろ」

 男の笑顔が、僅かに硬直した。横のメディア局員がカメラを少し上げる。撮る気満々だ。

 僕は封緘袋を体の影に入れた。

「封緘番号、聞こえたよな。受領するなら、その番号と、あなたの氏名と、根拠条文。全部読み上げて」

「条文? 協力のお願いですよ」

「お願いか。命令じゃないんだな」

 エマが即座に口を挟む。

「確認です。任意協力として提出先を変更する、という理解でよろしいですか」

 スポンサー男は舌打ちを飲み込み、別の矢を投げた。

「拒否すれば、彼女の評点に影響が――」

「もう一回言って。今の、聞き取りにくかった」

「……は?」

「ゆっくり。カメラに。『評点に影響』って。正確に」

 メディア局員の目が光った。面白い絵だと思ったのだろう。勝手に寄ってくる。

 スポンサー男は気づいたときには遅い。自分の言葉が、自分の首輪になる。

「……いや、誤解だ。そんな意図は」

「誤解なら撤回して。今ここで。撤回しないなら、示唆として記録する」

 エマが頷く。

「評価操作の示唆は重大です。撤回しますか。はい/いいえでお願いします」

 男は歯を噛み、吐き捨てるように言った。

「……撤回する。だが、その証拠は“機密”だ。工廠で確認してから――」

「機密でいい。監査にだけ出せ。――で、あなたの氏名は?」

「……ヴェインだ」

「ありがと。ヴェインさん。今の会話、全部あなたのログだ」

 僕は歩き出した。監査受付は廊下の突き当たり。距離は短い。――短いほど、妨害はやりやすい。

 背後から軽い衝撃。肩が押された。

 振り向くと、工具箱を抱えた整備員が、こちらにぶつかったように見せている。視線が封緘袋に固定されていた。

「すみません――」

 謝りながら、手が伸びる。封緘へ。

 反射で、僕の左手が相手の手首を掴んだ。関節だけを締める。

「すみませんで触るな。封緘に手を出すのは“妨害”だ」

 整備員の顔色が変わり、次の瞬間、逃げようとした。

 逃げた動きは全部カメラに残る。残ったら、もう“事故”には戻れない。

「離せ! 誰の許可で――」

「許可? いい質問。誰の指示?」

 相手の口が開きかけて、閉じた。

 その沈黙が答えだった。

 エマが一歩前に出る。

「証拠保全の妨害は違反です。手を離してください。これは記録されます」

 スポンサー男ヴェインが慌てて距離を取る。メディア局員は逆に、もっと近づく。

 僕は整備員の工具箱から落ちたカードキーを拾い上げ、カメラに見せた。

「工廠の入退室キー。……偶然? へえ」

 整備員は諦めたふりをして、別の逃げ方を選ぶ。

「俺は……知らない。頼まれただけだ」

「なら助かる。誰に頼まれた。部署名でいい」

「……言ったら、終わる」

「言わなくても終わる。違いは――“誰が”終わるかだ」

 その瞬間、監督官が遅れて駆けてきた。

「騒ぎを広げるな! ここは財団の管理区域だ!」

「管理してるなら責任も取れ。今、証拠妨害の現行だ。止めないなら“見逃した”ログが付く」

 エマが監督官に向き直り、丁寧に線を引く。

「この方は拘束しません。ですが、証拠に触れさせないでください。安全と手続きの両方を守ります」

 監督官が迷った一拍で、僕らは受付に滑り込んだ。

 窓口の法務官が封緘袋を見るなり、眉を寄せる。

「書式が――受理できません。事後に正式書面で」

「事後? いい。じゃあ“後日にした根拠”を文書で出して。署名付きで」

「あなたは……権限が」

「権限が無いなら、権限者の氏名。代行の氏名。どっち」

 法務官の指が端末を叩く。逃げ道を探す指だ。けれど逃げ道は、探した瞬間に“探したログ”が残る。

 エマが追い打ちを、柔らかく刺した。

「不受理の根拠条文を提示してください。条文番号を。口頭では受けられません」

「……分かりました。仮受領として処理します。封緘番号を」

「最初からそう言え」

 受領票が印字され、窓口の認証印が押される。僕はカメラに向けて読み上げた。

「仮受領番号、L-02-118。封緘番号、E-7A-0412。提出時刻――」

 ここまでやれば、誰が途中で手を出しても“手を出したログ”が先に立つ。

 勝った。……そう思った瞬間に、世界はルールごと殴ってくる。

端末に赤い通達が降ってきた。『実習・事故の元データはメディア局が一次管理。候補者および随伴者による封緘・提出を禁ず。違反は遵法点−20、即時実習停止。封緘物E-7A-0412は“至急回収”。回収班の到着まで現場待機、抵抗は証拠妨害として処理する。提出先は企業スポンサー連盟指定保管庫へ変更』。エマが息を呑む。「これ、命令書……」。発出者署名欄には――昨日、僕らに笑って“お願い”と言い切った男の名。だった。

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