第3話
端末が震えた。画面に浮いた差出人は、候補者育成財団——そのさらに上、寄進評議会の名札付きだ。
要件は一行。「企業スポンサー連盟との面談。任意協力。参加推奨」。
任意、推奨。便利な言葉だ。命令でもお願いでもない顔をして、責任だけは相手に押しつけられる。
エマは寝不足の目をこすりながら、ぼくの端末を覗き込んだ。
「……また、呼び出しですか」
「呼び出しじゃないらしい。ほら、“任意”だってさ」
ぼくが口角だけで笑うと、エマは小さく息を吐いた。彼女は“白印候補”だ。人気の顔。善意の象徴。だから狙われる。
昨日の件で、さらに。
◆
財団の応接室は無駄に白い。清潔さで殴ってくるタイプの部屋だ。机の上には紙の契約書、卓上カメラ、そして“こちらの同意で録画します”という薄い笑顔。
同席している事務官が言った。
「本日はスポンサー連盟のご厚意です。エマ様の活動——特に救療班の設備強化について、寄進のお話が」
「寄進はありがたい。で、条件は?」
事務官の眉が一瞬だけ動いた。条件という単語が、ここでは汚れらしい。
「条件、というより……円滑な協力のための確認事項です」
「確認事項って言い換えると、条件になるやつだよな」
エマが一歩前に出る。ぼくの毒を公的言語に翻訳する係だ。
「確認です。文書化できる条件のみ承ります。口頭の“期待”は、誤解の元になりますので」
事務官は困った顔のまま、紙束を差し出した。
「ではこちらに——“協力覚書”として」
ぼくは紙束を受け取らず、机上に視線だけ落とした。表題は柔らかい。中身は首輪の匂いがする。
「二択。書面に残すか、撤回するか。どっち?」
「撤回、というのは……」
「条件の話を撤回するのか、書面にするのか。どっち?」
沈黙が落ちた。沈黙は便利だ。言い逃れの余地を残すから。
だから、潰す。
「録画してるよな。この部屋のカメラ、財団の資産だ。つまり証拠は財団の責任で残る。なら、“言った/言わない”の遊びは今日で終わりだ」
エマが頷く。
「記録は残ります。発言と行動に責任をお願いします」
事務官は観念したように、端末を操作した。
「……分かりました。スポンサー連盟側にも“条件は文書化前提”で伝えます」
よし。火種は置けた。あとは、相手が踏むかどうか。
◆
企業スポンサー連盟のフロアは、財団の白さと違って、眩しいほど“成功”の匂いがした。広告塔の窓面に踊るロゴ。受付の背後で流れる、白印候補の活動ハイライト。——エマの笑顔が、商品みたいに編集されている。
エマは見ないふりをした。ぼくは、見て覚えた。敵の土俵は、まず把握する。
案内された会議室には、二人の男がいた。ひとりは連盟の渉外担当、髪も声も整いすぎている。もうひとりは“法務”と名札に書いてあるが、目が監視カメラのそれだった。
「ノア・クロフォードさん。エマ・ルクシアさん。お忙しい中——」
「忙しいかどうかは、そっちが決めるな」
言うと空気が固まる。ここで引き下がれば、今後ずっと“言いなり”だ。
渉外担当が微笑を貼り直した。
「寄進は善意です。条件など——」
「じゃあ署名できるな。条件ゼロで」
ぼくは机上の覚書に指を置いた。
「“条件が無い”って言った。なら、条件欄を全部白紙にして、今ここで署名しろ。できないなら、条件がある」
法務が口を挟む。
「手続きとして、候補者の安全と信用を守るための条項が——」
「守る、ね。じゃあ確認。守るために“縛る”条項もある?」
渉外担当の笑顔が、わずかに薄くなる。答え方を探している顔だ。
ぼくは追撃を一回だけ入れ、着地点を用意する。
「はいか、いいえ。二択で。縛る条項があるなら“ある”。ないなら“ない”。」
エマが補助線を引く。
「確認です。“候補の行動を制限する条項”はありますか。ある場合、その根拠条文番号を提示してください」
法務の視線が渉外担当へ流れた。責任の押しつけ合いが始まる。その一秒が、ぼくの勝ち筋だ。
「……あります。ですが、これは“保護”で——」
「保護の名で囲うって、そう言えばいい。カメラの前で」
会議室の隅にある連盟側のレンズに、ぼくは顎を向けた。ここは彼らの城だ。なら、彼らの記録で刺す。
「“囲い込み条項がある”って、今言ったな」
渉外担当が慌てて言い換える。
「いえ、囲い込みではなく、円滑な協力の——」
「言い換えはいい。今の発言は残る。で、次」
ぼくは紙束をめくり、該当ページを叩く。
「この条項。“拒否したら評価に影響する”って書いてあるけど。影響するの? しないの?」
渉外担当の瞳が一瞬だけ泳いだ。
「スポンサー点は……透明性のある指標です。協力姿勢は、当然——」
「当然、何。下がる? 下がらない?」
声の温度を上げない。上げるのは圧だけ。怒鳴ったら負けだ。煽るのは感情じゃなく、選択肢。
エマが静かに釘を刺す。
「評価操作の示唆は重大です。発言を撤回しますか。それとも、“影響がある”と記録しますか」
渉外担当は笑顔を維持したまま、喉だけが鳴った。
「……影響が、ある可能性は」
「ありがとう。今の一言で、監査が喜ぶ」
法務が机上のペンを押し出した。
「では、必要部分を文書化し、双方署名で——」
「最初からそうしろって言ってんだよ」
ぼくは条件欄を空白にした上で、代わりに“条文番号と提出先”だけを書き込ませた。曖昧な期待は消して、責任の線だけ残す。
エマが横で、淡々と読み上げる。
「提出先は機構支部の監査受付。提出形式は封緘付きデータ。閲覧制限は条文番号を明記——」
渉外担当が震える手で署名した。法務が続く。最後にエマ。ぼくはペンを置かない。置いた瞬間、相手が“勝った顔”をするから。
「これで終わり。合意内容は封緘して保管する。異議は?」
誰も言わない。沈黙は、また記録に落ちる。
ぼくは端末で封緘番号を発行し、紙の覚書をスキャンして暗号化パッケージに変換した。連盟側の端末にも同じ番号が同期される。触れれば触れたログが残る。逃げ道は、少しずつ塞がる。
エマが小声で言った。
「……大丈夫ですか、ノア。今の言い方、また嫌われます」
「嫌われるのは慣れてる。嫌われて困るのは、規約違反をした側だけだ」
会議室を出る直前、渉外担当が背中に投げた。
「“善意”に感謝はありませんか?」
ぼくは振り向かないまま返した。
「善意は口で言うほど軽い。重いのは署名とログだ」
エレベータの扉が閉まり、静寂が戻る。そこで初めて、エマが封緘パッケージを開いて確認した。
エマの端末に、封緘番号が光る。指先で触れると、パッケージの中身——さっきの覚書、署名のタイムスタンプ、連盟側の確認ログ——が順番に展開された。
そこまでは、想定通りだった。
「……え?」
エマの声が、ほんの少しだけ尖った。彼女が人前で声を尖らせるのは珍しい。
「どうした」
「覚書の後ろに……知らないページがあります」
“付帯規程”。その四文字が、やけに上品なフォントで並んでいる。目を滑らせるほど、胃が冷える。
候補者育成財団・安全プロトコル改定案。発令主体:企業スポンサー連盟。——おい、誰の規程だよ。
条文は短い。短いからこそ、刺さる。
『候補者の現場映像・端末ログ・発砲/治癒ログ等は、指定窓口を経由し封緘提出すること。直接提出を禁ず』
『違反時はスポンサー点の再評価を行う』
ぼくは思わず笑った。乾いた笑いだ。人が笑うのは嬉しい時か、怒りが沸騰する直前か、どっちかだ。
「なるほど。さっき“善意は条件がない”って言った口で、これを付けてくる」
「……これ、発令されていないはずです。今日の面談は、任意協力の——」
「任意の顔をした命令だ。しかも“提出経路”を奪うタイプの」
エマの指が震えた。白印候補は、人を救う手だ。その手を縛るのが“保護”だと言われたら、彼女は戦えなくなる。だからこそ、ぼくがいる。
「エマ。今の気持ちは後でいい。確認だけ。これ、さっきの渉外担当の端末署名が付いてる?」
エマは画面を拡大し、息を呑んだ。
「……付いてます。法務の署名も」
「オーケー。言質は取れた」
ぼくはエレベータの壁にもたれ、端末の封緘番号をもう一度なぞった。触れたログが増える。増えるほど、相手は嫌がる。嫌がるほど、相手はミスをする。
次の一手は決まった。提出経路を奪うなら、こちらは経路ごと封緘する。
そして——エレベータが一階に到着する直前、端末がもう一度震えた。財団からの自動通知。件名は短く、無慈悲だった。
通知本文は、ぼくの胸に冷たい針を刺した。『安全プロトコル改定、即時運用。候補関連ログは“スポンサー連盟指定窓口”へ提出。機構支部への直接提出は禁止。違反時はスポンサー点を再評価。明朝八時までに端末を指定工廠で更新せよ。未更新者は寮外活動を停止する』。——明日から、証拠の蛇口は相手の手の中だ。エマが唇を噛む。ぼくは笑って封緘番号をもう一度押した。今夜のうちに、奪われる前に奪い返す。合法で、確実に。
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