第3話 楽園の選別

 ……。


 …………。


「……き……。き……ろ」


 これは……誰の声だろう。


「起きろー」


 サメトナだ。


 ガバ、と体を起こした瞬間、鉛のような倦怠感が全身を襲った。


 視界がぼやけ、平衡感覚がない。

 俺を見下ろすサメトナの背後に見えたのは、あの青い空ではなく、冷たく湿った石造りの天井だった。


 石造りの、天井?


「捕まった」


 その短すぎる一言で、俺は急速に覚醒した。


 状況を確認する。


 俺とサメトナは、小部屋ほどの大きさの鉄格子の中に放り込まれている。


 ここにいるのは俺たちだけではない。


 豪奢な服を着た肥満体の男、痩せこけたエルフ、色黒のドワーフ、見るからに衰弱しきったハーフリング。種族も年齢もバラバラな見知らぬ者たちが、同じ檻の中で不安げに身を寄せ合っている。


 どういうことだ?何が起こった?

 俺もサメトナも怪我はないが、手足には重い拘束具が嵌められ、鎖で繋がれている。

 樹の上で眠る前には、こんなものは着けていなかった。


 眠った後にやられたのか?俺としたことが、久しぶりの陸での休息に気を抜きすぎたらしい。


 この異常な倦怠感……ここまで運ばれても起きなかったことを考えると、強力な睡眠薬か魔法を使われたに違いない。


 一体、誰が。


「あ、誰か来た」


 サメトナが檻の外へ視線を向ける。


 かつかつ、という硬質な足音と共に、男の事務的な声が響いてきた。


「二級、二級、一級、一級、廃棄。次」

「廃棄、廃棄、廃棄、一級、二級。次」


 檻の外は見えないが、気配で分かる。


 ここは牢獄だ。そして今、収監された者たちの「仕分け」が行われている。


 冷たい宣告と共に、ガチャリと鉄扉が開く音。悲鳴。そして遠ざかる引きずられるような足音。

 選別された者たちが、どこかへ連れ去られていく。


 牢の中を見渡しても、事情を知っていそうな者はいない。誰もが怯え、震えている。


「爆睡してて全然気づかなかったなー」


 サメトナを除いては。


 この状況で動じる様子が全くない。俺の想像を遥かに超えて肝が据わっているのか、それとも単に事態を理解できていない馬鹿なのか。


 やがて、足音が俺たちの檻の前で止まった。


「む?ここは数が多いようだが」


 鉄格子の隙間から中を覗き込んでいるのは、白衣を羽織った長身の男だった。


 一見すると人族に見えるが、衣服の上からでも分かる異常に発達した胸筋や太腿、鋭い眼光。


 ……ライカンスロープ(獣人)か。


 男の隣には、二回りほど小さいハーフリングの助手が控え、筆と帳簿を手に忙しなく何かを書き込んでいる。


 人語を話すということは、ここは人族の支配圏なのか?


 だが、男の白衣に刺繍された「蛇と天秤」を組み合わせたような紋章には、全く見覚えがない。


 王国でも、帝国でもない。俺の知るいかなる国家の紋章でもない。


「おい!お前ら、これは何のつもりだ!?」


 突然、奥で寝転がっていた肥満体の男が、弾かれたように立ち上がった。


「俺はイッススの上級冒険者、アデプス・マグヌス様なんだぞ!?こんな扱いをしてタダで済むと思っているのか!」


 男は俺を押しのけ、鉄格子をガンガンと揺さぶって喚き散らす。

 だが、その恫喝に対し、長身の男とハーフリングは眉一つ動かさない。


「そこの二体は漂流者です。島の南端に流れ着いたようです」


 漂流者?島?


 肥満男の大声にかき消されそうになったが、ハーフリングは確かにそう言った。


 ここは大陸ではない。内海に浮かぶ「島」なのか?

 そんな有人島の存在、腐っても北伐隊長を務めた俺が、噂すら聞いたことがないぞ。


「島の南海岸を歩いているところを発見。その後、寝込みを襲って確保しました」


 なんてことだ。俺たちは海岸を歩いている時点で見つかっていたのか。

 全く気配を感じなかった。遠方からの監視……あの海岸を見渡せる場所といえば、山頂付近しかない。


「ほう。ふむふむ。では……」


 長身の男は、助手の帳簿を確認し、濁った瞳で俺を値踏みするように見つめた。


「一級)」


 続けて、隣にいるサメトナを見て。


「――特級」


 その言葉に、ハーフリングの手が止まる。

 男は構わず、他の者たちへと視線を流していく。


「二級、二級、二級、廃棄」


 肥満男、エルフ、ドワーフ、そして衰弱したハーフリングを見て、淡々と告げる。


「一級」「二級」「廃棄」。


 その意味するところは分からない。だが、「廃棄」と宣告された時の声の冷たさに、俺の背筋に氷のような戦慄が走った。


 直後、牢の扉が開け放たれ、屈強な男たちが数人で押し入ってきた。

 俺は抵抗する間もなく腕を掴まれ、廊下へと引きずり出される。サメトナも同様だ。

 肥満男(アデプス)は喚いていたが、剣を突きつけられ、顔面蒼白で連れ出された。


 廊下には、俺たちの前の檻にいた者たちが、四つの列に分けられ、鎖で繋がれていた。

 俺は右から二番目の列へ。サメトナは一番右の列へ。


 並んでいる顔ぶれを見て、俺は「選別」の基準を理解した。


 健康で若い者が「一級」。

 それなりに体力がありそうな者が「二級」。

 太り過ぎや痩せすぎなど、難がありそうな者も「二級」か、あるいは「三級」か。

 そして、老齢や病人は「廃棄」。

 俺は「一級」、サメトナは「特級」という扱いらしい。


 まるで魔物の素材ランクだ。だが、特級とは何だ。見た目採用か。


「ロッシと一緒じゃなーい。残念ー」


「……状況が分かってるのか、お前は」


 隣の列から聞こえる能天気な声に、頭痛を覚える。

 俺たちの足枷と手枷は鎖で繋がれ、家畜のように一列にさせられていた。


「俺たちは捕まってるんだぞ。理解できてるか?」


「うん。こういう場合、この後どうなるんだ?」


「……俺の知る限りでは、強制労働か、処刑か、見世物にされるかだ。ろくな未来はない」


「全部嫌なんだけど」


「当たり前だ、馬鹿」


 思わず本音が口をついて出た。


「……フッ。呑気なバカップルだな」


 不意に、俺の前に並んでいた男が振り返った。

 俺と同年代の、金髪碧眼の人族。引き締まった体躯と、腕に残る古傷。帝国の兵士か、あるいは傭兵か。


「やあ兄弟。彼女とは昨日会ったばかりだ。そんな仲じゃない」


「そうかい。まあ、地獄への道連れには変わりないがな」


 号令と共に、列が動き出す。

 廊下は四股に分岐しており、それぞれの列は別々のルートへ進まされた。

 俺の列とサメトナの列は、幸いにも同じ方向だった。


 進んだ先で、俺たちは着衣を切り裂かれ、冷水を湛えたプールを歩かされ、異様な匂いの霧を浴びせられた。まるで屠殺前の家畜だ。


 その後、簡素な布の服を渡され、再び鎖に繋がれて歩かされる。

 狭く暗い通路を抜けると、不意に視界が開けた。

 眩しい日差し。潮風。

 そこは、山の頂上付近を切り開いて作られた、巨大な広場だった。


 石畳で舗装されたその場所には、他のルートを通った「二級」の列も合流してくる。


 だが、「廃棄」の列だけは、ここにはいなかった。


 広場の端は断崖絶壁となっており、眼下には何処までも続く海が広がっている。


 陸地の影はない。やはり、ここは絶海の孤島だ。

 そして、この広場の異様さを決定づけているのは、山側の角に鎮座する巨大なアーティファクト。


 ――断頭台。


 ただの処刑器具ではない。刃の部分が禍々しい魔力を帯びて脈動している。単なる装飾品でないことは明らかだ。


「身体を清めておいて首チョンパか。ここの奴らは悪趣味だねぇ」


 前の金髪男がポツリとぼやいた。

 開けた場所に出たことで、監視の目が少し緩んだと判断したのだろう。


「兄弟。アンタ、ここが何処だか知ってるのか?」


「見てわからないか?パラダイスだ」


 皮肉げな笑みを浮かべる彼に、俺は真顔で返す。


「そんな顔するなよ。俺だって分からねぇんだ。《ダン・ガイネ》でトカゲ野郎に腹をぶち抜かれて、次に目を覚ました時には檻の中さ」


 ダン・ガイネ。帝都北東の砂漠の要衝。今もっとも激しい戦場の一つだ。


「あの死線にいたのか」


「ああ。バカップルの兄ちゃんもかい?」


「俺の最後の戦場は『ノーストラム』だった」


「なっ……!?」


 男は目を見開き、慌てて周囲を警戒した。


「……失礼。ノーストラムといえば、かの魔王の支配地ですね。生きて帰るも者がいないとされる……」


 彼の態度が一変した。軍人特有の、上位者に対する敬意が滲む。


「私のいた牢の連中も、全員が戦場で死にかけた者ばかりでした。……不思議なことに、誰もが死の淵を彷徨い、気づいたらここにいたと」


「戦場で倒れた者を、誰かがここまで運んだということか」


「ええ。これは酒場の噂ですが……戦場には『死体回収人』と呼ばれる幽霊船が現れるとか」


 パチンッ!


 乾いた破裂音が、会話を遮った。


 続けて、悲鳴。


 慌てて視線を向けると、二つ隣の「二級」の列がざわついている。


 そこには、俺と同じ牢にいたあの肥満男(アデプス)が、仰向けに倒れていた。


 頭がない。


 いや、頭の半分が、熟れた果実のように弾け飛び、石畳を赤く染めている。


 倒れた男の前には、あの白衣の男が立っていた。

 手には何も持っていない。


 ……まさか、素手⋯いや、指で人間の頭部を吹き飛ばしたのか?


「コイツは、『二級』から『糧(カテ)』に変更だな」


 男は汚い物を見る目で死体を見下ろした。


「いいか、お前たち。このモノのように、私達の指示に従わず、秩序を乱したモノは、速やかに処分する。ここでは秩序こそが全てだ」


 一瞬にして、広場が凍りつくような静寂に包まれた。

 これが、ここのルールだ。逆らえば死ぬ。理不尽なまでに呆気なく。


「ロッシ、見たかー?アイツ、指を弾いて同族を殺したぞー」


 ……この馬鹿を除いては。

 サメトナの呑気な声が響き渡る。

 しかも、俺の名前まで呼びやがった!

 俺は瞬時に振り返り、視線で彼女を黙らせようとした。

 だが、遅かった。

 白衣の男が、無表情のままサメトナのもとへ歩み寄ってくる。


 不味い。殺される。

 どうする?拘束され、武器もない俺に何ができる?相手は素手で頭蓋骨を粉砕する化け物だぞ。

 思考が空転する間に、男はサメトナの目の前に立ち、ゆっくりと右腕を持ち上げた。


(やめろ……ッ!!)


 男の指が、サメトナの眉間に向けられる。

 俺は息を呑んだ。


「――知り合いだとしても、ここでは名を呼び合うのは禁止している。例外はあるがな」


 男は冷徹に告げた。


「この後に付与する番号で呼び合うこと。……次はないぞ」


 男はそれだけ言い残すと、腕を下ろし、踵を返した。


「はーい!」


 サメトナの元気な返事が、虚しく響く。

 俺はその場に崩れ落ちそうになるのを必死で堪えた。

 全身から冷や汗が噴き出し、心臓が早鐘を打っている。


 助かった。今回は、気まぐれで見逃されただけだ。

 俺は、肥満男の死体がゴミのように引きずられていくのを横目に見ながら、絶望的な空を見上げた。


 人生のやり直し?笑わせるな。


 ここは地獄の底(パラダイス)だ。



※本作は、長編:「『憑依された私、英雄を操る』引き篭もりを英雄に仕立てあげてみたら、大国に反旗を翻す大英雄に成り上がった模様。」の同じ世界を描いた物語です。 本編では、少女「イル」と、彼女に憑依する幽霊「ルト」の視点メイン(群像劇)で国盗り物語が進みます。 気になった方は、ぜひ本編もご覧ください! (https://kakuyomu.jp/works/822139841430093938

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