第2話 白い少女との探検
白い砂浜。肌を焦がすような日差し。
目の前に広がる景色に、見覚えはない。
「暑っ……。やば……死にそう……」
俺と共に上陸した彼女は、透き通るような白い肌から玉のような汗を流していた。
少し距離が取れたことで、ようやくその姿を直視できる。
背丈は一般的な人間の女性と同じか、少し小さいくらい。
肌は貴族令嬢のように白く、濡れた髪は雪のような白銀。
年の頃は十代後半か。薄汚れたオッサンと化した俺より遥かに年下だ。
鱗もなく、身体も透けていない。セイレーンや幽霊の類ではなさそうだ。
とすると、本当に俺と同じ「人間」なのか?
「ねぇ、暑すぎなんだけど」
息遣いが感じられる距離まで、彼女が顔を近づけてくる。
近い。
口を開いた途端、貴族然とした雰囲気は霧散し、野性味あふれる奔放さが顔を出した。
「ゴホン。……で、君はどこの誰なんだ?このあたりに住んでるのか?」
俺は鼻血の再発を防ぐため、彼女を視界の端に収めながら尋ねた。現地の情報があれば、生存率は跳ね上がる。
「え?言う必要ある?」
そこで線引きするのかよ。
まあ、初対面の相手に居住地を教えるのはリスクが高い。俺が悪人なら、集落を襲うかもしれないからな。
「……じ、じゃあ、この場所の地理に詳しいかどうかだけでも知りたい」
「えーと。断る」
頑なだな。
まあいい。詮索は後回しだ。まずは水と食料の確保が先決だ。
俺は砂浜に隣接する林へ向かい、使えそうな植物を探し始めた。
「ここは涼しいなー。もう、さっきの場所には戻れないなー」
彼女は木陰に入ると、だらしなく伸びをしている。
そんな彼女を尻目に周囲を観察する。植生は、大陸南部で見られる種に似ているようだ。
「あれは何だ?」
ふと、彼女が指差した先。赤い果実をたわわに実らせた低木が群生していた。
「ラムカだ!」
どこにでも生えている旅人の味方。『生命の実』とも呼ばれる、水分と栄養の塊だ。
しかし、彼女は目が良いな。俺の位置からは全く見えなかったぞ。
俺は実をもぎ取り、たまらず一口かじりついた。
「……美味い」
干からびた身体に果汁が駆け巡り、活力が漲ってくる。
俺の様子を見て、彼女も恐る恐る口をつけた。
「……なんだこれ!」
初めて食べたような反応だ。大陸全土で流通しているラムカを知らないなんてことがあるのか?
……などと考えている間に、彼女は群生地を食い尽くす勢いで実を口に放り込み始めた。
食べているというより、胃袋へ直送している。
かつて旅を共にした巨漢『トゥーバ』でさえ、こんなには食わなかったぞ。その華奢な身体のどこに消えているんだ?
「さて、いくかー」
「行くか?」
腹が満たされたからか、彼女は俺を先導するように歩き出した。
案内する気になったのか?俺はひとまず彼女の後をついていくことにした。
「あー、そういえば名前。俺はロッシ。君は?」
「サメトナ……」
「サメトナ、ね。良い名だ」
意外にも素直に教えてくれた。
俺の名を聞いても反応は薄い。一応、元・北伐隊長で、勇者とも言われ……それなりに名は知られていたはずなんだが。
単に世間知らずなのか、あるいは、ここが俺の名の及ばぬ異境の地なのか。
「で、どこに向かってる?」
「んー、宛もなく彷徨ってる」
……前言撤回。間違いなく残念な部類の人間だ。
「サメトナ。君はこの辺りの地理に詳しくないようだが……見知らぬ地での探索経験はあるか?」
「……無くはない」
限りなく「無い」顔だ。
「俺の経験上、こういう時はまず水源を探す。川を見つけて上流へ向かい、高所から地形を確認するのが定石だ」
「おー」
「その道中に洞窟などが見つかれば、そこを拠点にできる。……まあ、とりあえずは海に流れ込む川を探すところから始めよう」
「始めよう!」
俺は目のやり場に困るため、極力彼女を視界に入れないようにして先頭を歩くことにした。
背後から、彼女の上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。
懐かしい。忘れかけていた、この感覚。
俺が身を立てようと田舎を飛び出し、闘技場へ向かった時の、あの不安と好奇心が入り混じった高揚感に近い。
一度は社会的に死んだ身。さしずめ、ここが人生のやり直し場所といったところか。
……だが、この場所が「やり直し」にしては、あまりに狂気じみた地獄であることを、俺はまだ知る由もなかった。
■ ■ ■
休憩を挟みつつ海岸線を進み、ようやく海に注ぐ川を発見した。
俺は手近な石と枝で即席の槍を作り、小高い山の頂上を目指して森へと足を踏み入れた。
「ワカメだらけだなー」
「あれはワカメじゃなくて草木だな」
独特の感性を持つ彼女はさておき、森の中は不気味なほど歩きやすかった。
下草は少なく、毒蛇や毒虫の類も見当たらない。
もしこれが『ヒドラ蔦』だったら、樹液に触れるだけで三日三晩悶絶することになるのだが、幸い普通の蔦のようだ。
どうやら、この森の頂点捕食者はよほど強力で他の生物を寄せ付けないか、あるいはとんでもなく怠惰なのかもしれない。
川沿いの涼しさも手伝ってか、彼女の口数が増えてきた。
「なんでも知ってるなー。オマエも知らない場所なのに」
「聞かれた事をたまたま知っていただけだ」
「オマエが棲んでいた場所にも、同じようなワカ……草木が生えてるのか?」
今、ワカメって言おうとしたな。こんなに近くで誰かと行動したのは、いつ以来だろう。
北の地で魔王軍と戦い、多くの部下を失ってからは……俺はずっと「一人」だったのかもしれない。
駄目だな。夜はどうしても感傷的になってしまう。
久しぶりの陸での休息だ。海族に怯える必要もない。
サメトナは……もう眠ったのだろうか。静か
しかし、サメトナというこの女性。驚くほど「何も知らない」。
滝を見て「アレは何だ」と聞く始末だ。ラムカも、服や靴の概念も希薄。まるで世界から隔離されて生きてきたかのようだ。
滝に打たれて気持ちよさそうにしている彼女を横目で見ながら、俺は思索を巡らせる。
原住民にしては肌が綺麗すぎる。傷ひとつなく、日焼けの跡すらない。
記憶喪失の王族か、あるいは没落貴族の娘か……。まあ、詮索しても今は答えは出ないか。
■ ■ ■
山の中腹あたりで日が沈み始めた。
洞窟が見つからなかったため、今夜は樹上で休むことにした。焚き火はしない。煙を見られて敵を招くリスクは避けるべきだ。
彼女は木登りも難なくこなした。何なら俺よりも早いくらいだ。
砂浜での様子を見て侮っていたが、森に入ってからの身体能力は目を見張るものがある。
梢の隙間から、満天の星空が見えた。
一等星の位置から推測するに、やはり緯度は「大陸中央付近」といったところか。
今日一日、彼女の新鮮な反応を見ていると、何の変哲もない自然の景色さえも、鮮やかに色づいて見えた。
な寝息が聞こえる。
今夜だけは、少し肩の力を抜いてもいいだろう。
俺は太い枝に背を預け、静かに瞳を閉じた。
そして、その時は訪れたのだった。
※本作は、長編:「『憑依された私、英雄を操る』引き篭もりを英雄に仕立てあげてみたら、大国に反旗を翻す大英雄に成り上がった模様。」の同じ世界を描いた物語です。 本編では、少女「イル」と、彼女に憑依する幽霊「ルト」の視点メイン(群像劇)で国盗り物語が進みます。 気になった方は、ぜひ本編もご覧ください! (https://kakuyomu.jp/works/822139841430093938)
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