「地獄へ堕ちろ」と追放されたが、『そこは狂気と進化の《楽園》でした。』魔改造された元勇者、美しき化け物たちを連れて祖国を蹂躙する。【楽園のロッシ】

セキド烏雲

第1話 絶望の流刑人

 じりじりと、容赦のない日差しが肌を焼く。


 もう何日も水を飲んでいない。喉はとっくに干からびて、唾さえ出やしない。


 俺は今、流刑に処され、粗末な小舟に揺られながら、大陸も見えない青海の只中を漂っている。


 罪状は、あるのかないのかも定かではない。


 ​俺はかつて、レクイウム連合王国主催の闘技大会で名を馳せた。

 母国スクーティア王国に戻った後は『勇者』として持て囃され、魔族の住む地『概念の彼方』を征伐する栄誉ある北伐隊セプテン・ヴィンデクスの隊長に抜擢。


 魔族らを使って人間の統治領域への侵略を画策する好戦的な魔族のリムガンドに立ち向かった。


 ​だが、そんな俺は、結局のところ権力者たちの盤上の駒に過ぎなかった。

 ​脳裏に焼き付いているのは、玉座で苦渋に顔を歪めていた国王の姿だ。


 ​「……すまぬ。ロッシ、許してくれ……。余には、こうする他ないのだ……」


 ​震える声で謝罪する王。だが、その傍らで、宮廷魔導師キジルだけが、氷のような無機質な瞳で俺を見下ろし、口端を吊り上げていた。


 ​「君の輝かしい武功は、我が国の和平の礎となるのだよ。光栄に思いたまえ」


 ​キジルはそう嘯(うそぶ)き、俺の部下たちを幻妖魔法で惑わして、俺に偽の反逆罪をでっち上げた。


 心優しき国王は、この男の甘言と、幻術によって完全に支配されている。

 剣の腕では誰にも負けなかった俺も、あの陰湿な策謀の前には無力だった。

 ​北の魔王らとの停戦協定。そのための「生贄」として、俺は全ての罪を被せられ、こうして捨てられたのだ。


「……笑えねぇな、ホントに」


 そして今置かれている状況も、笑えるはずがない。


 俺の乗る小舟を取り囲んでいるのは、半魚人の群れ――海族、サハギンたちだ。

『内海』と呼ばれるこの海の北側は、人とは相容れない魔物や亜人の支配領域だ。


 ヤツらに言葉は通じない。交渉の余地などなく、ただただ獰猛で、残虐。

 流刑とは名ばかりの、これは拷問付きの死刑だ。飢えと渇きに苦しみ抜いた挙句、生きたまま奴らに内臓を引きずり出されて喰われるのを待つだけの時間。斬首刑の方がよほど慈悲深い。


 サハギンたちが、カエルのような不快な鳴き声を上げながら、じりじりと包囲網を縮めてくる。


 その数、確認できるだけで五体。


 俺は乾いた唇を噛み締め、自決用に渡された錆びた短剣を握りしめた。

 一瞬、波音が止んだ。


 次の瞬間、海面が爆ぜる。


「――ッ!!」


 ■ ■ ■


 満身創痍とは、まさにこのことだ。


 何とか撃退したものの、想定以上に手傷を負った。空腹と疲労で、起き上がることもままならない。


 最悪なことに、一体を取り逃がしてしまった。仲間を呼ばれたら、もう終わりだ。


 俺は舟の底に大の字に寝転がった。

 頭上では、幾羽もの海鳥が「死の歌」を歌いながら旋回している。俺の肉が腐り始めるのを、今か今かと待ち構えているのだろう。

 遠くの空が、不気味なほどに黒く濁り始めていた。


「残念だな、お前たち。この餌は嵐の海に沈むらしい……」


 乾いた笑いが漏れる。

 バケモノに食われるか、餓死するかだと思っていたが、溺死の線もあったか。


 やがて、世界は轟音に包まれた。

 叩きつけるような雨。視界を奪う闇。そして、小舟を木の葉のように弄ぶ狂った波。


 俺は腰に縄をくくりつけ、必死に船体にへばりつく。だが、自然の猛威の前には、人の意思など無力だった。

 一際大きな衝撃と共に、小舟が真っ二つに裂ける。

 俺の体は軽々と宙に投げ出され、冷たく暗い深淵へと引きずり込まれていった。


(……あぁ、これで)


 意識が薄れる中、暗い海の底で、俺はありもしない「光」を見たような気がした。


 ■ ■ ■


 ……。


 …………。


 波の音。


 頬を撫でる、穏やかな風。

 瞼を突き抜ける眩しい日差し。


「ゴホッ!がはっ!」


 肺に溜まった海水を吐き出し、俺は勢いよく身を起こした。

 どうやら、舟の残骸にしがみついたまま、奇跡的に生き延びたらしい。


 嵐は過ぎ去り、海は凪いでいる。陽は傾きかけていた。

 俺は荒い息を整えながら、辺りを見渡す。

 そして――この場所にあるまじきものを見て、戦慄した。


 海の中から、顔だけを出している人間の女性。

 透き通るような白い肌。雪のような白髪。そして、深海の色を宿した青く光る瞳が、じっと俺を見つめている。


 ヒトがこんなところに居るはずがない。


 セイレーンか?それとも人魚か?いや、幽霊の類いか。

 どちらにせよ、今襲われたら抵抗などできない。せっかく嵐を抜けたというのに、結局は死という結末に変わりはないのか。


 俺は覚悟を決め、深呼吸をした。

 その時だ。


「こんなところで何してんの?」


 ――え?


 おもむろに、彼女が話しかけてきた。


 言葉が通じる!?ということは、人間なのか?

 いや、そんな馬鹿な。ここは海の真っ只中だぞ。


「なっ、何者だ……」


「何者って。見ればわかるだろー。オマエと同じ」


 言うが早いか、彼女はバシャリと音を立てて、俺の乗る木片の上に飛び乗ってきた。


「ブ……ブーッ!!」


 俺は盛大に鼻血を噴いた。

 彼女は一糸纏わぬ全裸だったのだ。

 白磁のような肌、整いすぎた肢体、そしてあまりに美しい曲線が、容赦なく俺の目に飛び込んでくる。


「ま、待て!駄目だ!」


 俺はどこに残っていたのか分からない瞬発力で、自分の着ていた黒いボロ布を引き裂き、彼女の身体に巻き付けた。


「んー?鼻、怪我したのか?」


 彼女は不思議そうに俺の顔を覗き込む。

 俺は、今に至るまでに暑さや寒さ、多少の毒への耐性は獲得してきたつもりだ。だが、女への耐性だけは絶望的に無い。


 昔からそうだ。女を前にすると、どうにも調子が狂う。


 ​「それよりさ」


 ​彼女は俺が巻き付けたボロ布を弄りながら、キョロキョロと辺りを見回した。


 ​「ワタシの殻、知らない?」



 ​「は?……殻?」

 ​俺は鼻血を拭うのも忘れて呆気に取られた。


 全裸で海から現れて、開口一番に聞くことがそれか?


 ​「そう。硬くて、キラキラしてて、落ち着くやつ。海に落としちゃったんだ」


 ​「貝殻……のことか?いや、見てないが……」


 ​「そっかー。ないかー」


 ​彼女は残念そうに一瞬だけ肩を落としたが、すぐにケロッとして顔を上げてきた。


 その切り替えの早さと、会話の噛み合わなさに、俺はめまいを覚えた。


 ​「で、こんなところで何してんの?」


 彼女はそんな俺の動揺などつゆ知らず、真隣に腰を下ろして顔を近づけてくる。


 近い。あまりにも近い。

 海の匂いとは違う、不思議な甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 俺は木片から落ちないギリギリまで後ずさりながら、上擦った声で答えた。


「る、流刑に処されたんだ。……もう何日も前に」


 言い終わると同時に、グウゥゥゥ、と腹の虫が盛大に鳴いた。

 緊張の糸が切れたのか、身体が正直に反応してしまう。


「あー。それでお腹へってるのか」


 彼女は納得したように頷くと、パッと後ろを振り返り、指を差した。


「じゃあ、あそこに上陸して食べもの探そ」


 その指の先を見て、俺は言葉を失った。


「なっ……」


 そこには、あろうことか陸地が存在していた。

 数日前、無情に遠ざかっていった大陸の影ではない。見たこともない島影が、すぐ目の前に横たわっている。


 あの嵐に流され、未知の土地まで運ばれてきたのか?

 それが何処であれ、彼女が何者であれ、もう海の上はまっぴらだ。

 陸に上がりさえすれば、なんとでもなる。


(俺は⋯助かったのか)


 心からの安堵。


 そして同時に、昏い炎が腹の底で燻り始めた。


 神に拾われたこの命。ならば俺がやることは一つだ。


 生き延び、力をつけ、あの悪辣な宮廷魔術師キジルを殺す。

 そして、奸臣に支配された俺が生まれた国、レクイウム連合王国を本来あるべき姿に戻すまでは――俺は死ねない。



※本作は、長編:「『憑依された私、英雄を操る』引き篭もりを英雄に仕立てあげてみたら、大国に反旗を翻す大英雄に成り上がった模様。」の同じ世界を描いた物語です。 本編では、少女「イル」と、彼女に憑依する幽霊「ルト」の視点メイン(群像劇)で国盗り物語が進みます。 気になった方は、ぜひ本編もご覧ください! (https://kakuyomu.jp/works/822139841430093938

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