小人の宝石工房
スタジオぞうさん
不思議な指輪が結び直してくれた縁
雪がちらつく中、少女は道を急いでいた。
石畳の道に木靴の音が響く。
足先からは冷気が入り込み、裸足の指先の感覚がなくなってくる。
通りの反対側では、暖かそうなウールの外套を着た子供が親に甘えている。
その姿を見ると、少女は一瞬切なそうな顔をしたが、すぐに前を向いた。
「帰りが遅くなると叔母さんが怒るから急がなきゃ」
かじかむ手の指に息を吹きかけると、重い買い物かごの取っ手を握り直す。
痩せた少女には、この重い篭を運ぶのは重労働だ。
小さく気合を入れると、少女はまた歩き出す。
ようやく家に戻ると、少女は台所に向かった。
「ただいま、叔母さん」
太った叔母はだるそうに振り向いた。
「お帰り。遅かったね、道草を食ってたんじゃないだろうね」
「市場から真っすぐ帰ってきました」
「ふーん、まあいいわ。ご飯はテーブルにあるよ」
少女は手をさっと洗うと、粗末な木のテーブルの前のガタガタする椅子に座った。
テーブルの上には堅いパンと冷めたスープが置かれていた。
少女はいろいろな雑用を言いつけられるため、冬でもなかなか温かい食事をとることができない。
それでも食べるのが遅いと叔母の機嫌が悪くなるので、少女は急いでパンとスープを流し込んだ。
食べ終わるとすぐに木の皿をもって台所に行き、洗い物を手伝う。
「これも洗って」
叔母の娘である従姉妹が、自分の部屋で食べていたお菓子の皿を持ってきて少女に渡す。
従姉妹は少女とは対照的にでっぷりと太っていた。
すべての食器を洗い、すり切れた布巾でふき終えると、ようやく少女が言いつけられている雑用は終わった。
狭くて急な階段を上ると、屋根裏の狭い部屋に出る。
暖房のない部屋なので、布を継ぎはぎした布団を被る。
そうして小さな蝋燭に火を灯すと、学校で学んだことの復習を始めた。
この街の領主は子どもが無料で通える学校を開いている。
一人息子が出奔してからはやる気を失って見える領主だが、若い頃に始めた学校の運営は続けていた。
少女のような貧しい子どもたちにとっては、それは大きな救いになっている。
少女の名はエリザベート。
周囲からはベスと呼ばれている。
冒険者だった両親は迷宮で命を落とし、母の妹である叔母に引き取られている。
冒険者ギルドからは遺族年金が支給されているらしく、そのお陰で雑用をすることを条件に叔母は学校に通わせてくれている。
「大赤字だけどさ」と何度も叔母に言われながらではあるが。
寝る前に少女はぼろ布に包んで隠している指輪を出す。
高価な物など何一つ持たない少女が唯一持っている宝石の指輪。
透明な宝石が何かの模様の上を覆っている。
母さんから「誰にも見られないように大事に持っていて」と言われたものだ。
父さんは結婚するときに捨てようとしたそうだけど、母さんはそれを止めて預かっていたらしい。
何か訳のある指輪みたいだけれど、詳しいことは聞いていない。
母さんは宝石の指輪と言っていたけれど、透明な大きな石はガラスかもしれないとベスは思っている。
それでも綺麗だし、この指輪はベスの宝物だった。
寝る前に少女は指輪を見て、両親のことを思い出す。
ただ、宝石を留めている爪が一つ、最近になってグラグラするようになった。
修理したいと思っても、修理代を払うことなどできず、仕方なくそのままにしている。
ほどなく、疲れていたベスは眠りに落ちた。
翌朝、ベスはいつものように早起きして叔母の手伝いをしてから学校に行った。
教室に入ると、席の横に古びた鞄を置く。
「おはよう、ベス」
声をかけてきたのは仲の良い同級生のハンナだ。
ハンナことハンネローレは孤児で、孤児院から通っている。
ベスとは貧乏な者同士で励まし合っている。
「おはよう、ハンナ」
「今日も疲れてるわね、大丈夫?」
「あはは、朝から家事をしてたからね」
「あんたのところの叔母さんも鬼よね」
「まあ、学校に通わせてもらってるからね」
「それにしてもさ」
こうしてハンナが叔母に怒ってくれることでベスの気持ちは楽になっている。
「おはよう、ベス、ハンナ」
「「おはよう、リーナ」」
やってきたのは二人の友達のリーナだ。
リーナは愛称で名前はカロリーナ。
実家はレストランで、いつもお腹を空かせているベスとハンナにときどき余った食事を分けてくれている。
「ねえ、聞いた? 小人の宝石工房の噂」
「何、それ?」
「えーっとね、心の綺麗な子が宝石のアクセサリーの修理とかをお願いする手紙を出すと、小人が細工をしてくれて、幸運をもたらしてくれるらしいよ」
「ああ、よくある都市伝説ってやつよね」
「むう、ハンナは夢がないなあ」
「現実主義者と言ってほしいね」
「あはは、本当ならそのポストってどこにあるの?」
「おお、ベスは話が分かるね。ポストは駅の前に現れるんだって」
「駅の前にポストなんかないじゃない」
「ハンナねえ。あんた、人の話を聞きなさいよ。「ある」じゃなくて「現れる」って言ったでしょ。心の綺麗な子が依頼の手紙を持って行くと現れるんだって」
ベスはそんなことあるのかなと思った。
きっとハンナの言うように都市伝説なんだろうな。
宝石じゃなくてガラスだったら、宝石工房が引き受けてくれないかもしれない。
でも指輪を修理するにもお金がないし。
駄目もとで手紙を書いてみようかな。
その日の夜、ベスは蝋燭の仄かな灯りのもとで便箋と向き合っていた。
手紙を書こうと思ったものの、どう書いたら良いか迷ってしまったのだ。
お金のないベスにとって、ごく普通の便箋も無駄にはできない。
下書きなしで一回で書き上げる必要がある。
「うーん、悩んでばかりいても仕方ない」
覚悟を決めたベスは、素直に気持ちを書くことにした。
亡くなった父の形見の大切な指輪であること。
壊れかけているけれど、自分には修理に出すお金がないこと。
もし直してもらえたらとても嬉しいこと……。
「ふう、どうにか書いた」
大切に手紙を封筒に入れると、ベスは眠りについた。
翌日、ちょうど叔母は近所の知り合いのところにお茶を飲みに行く日だ。
学校からすぐ帰って雑用をしないと機嫌が悪いのだが、この日は叔母は家にいないので大丈夫だ。
ベスは学校の帰りに駅に行ってみることにした。
駅前に行ってポストを探す。
無駄なことをしたと悲しくならないように、あまり期待せず、きっと無いよねと思いながら見回す。
すると……驚いたことに、駅の壁の近くの目立たない場所にぽつんと郵便ポストがあった。
郵便ポストの中には小人が二人入っていた。
「今日はだれかくるかな?」
「くるといいね」
小人たちの身長は10㎝くらい。小さいから郵便ポストに二人入っても狭くない。
緑色のハイネックの長袖チュニックとズボンという、お揃いの制服を着ている。
帽子は給食帽のつばを無くしたみたいなデザインで、やはり緑色だ。
職人らしい革のグローブをして、ベルトには各種の道具を下げ、さらに革のエプロンを付けている。
小人のポストは普通の人間には見えない。特殊な条件を充たしたときにだけ見ることができる。
小人の宝石工房は壊れた宝石細工を修理して、元に戻すだけではなくてより良いものにしてくれるという噂を聞いて、欲に目が眩んだ者が手紙を持ってきても、ポストを見つけることはできない。
「おんなの子がきた」
「このポストがみえるんだね」
二人の子人は小躍りして喜んだ。
ベスの手紙を持って小人たちは妖精界にある小人の宝石工房に向かった。
「
「おんなの子がもってきた」
二人が嬉しそうに手紙を見せると、二人を指導している親方は微笑んだ。
「そうか、手紙が来たのは久しぶりだね。どうやら資格のある子が手紙を持ってきたようだね」
ちなみに親方はエプロンをしていない。
熟練の職人になるとエプロンをしないので、見習いの二人は早くエプロンを外したいと思っている。
小人たちの暮らす妖精界は人間界とは行き来できない。
でも境界が曖昧になる特異点が稀にあり、ポストは特異点の一つに置かれている。
そして、心の綺麗な人が宝石細工を直してほしいという純粋な願いを持って手紙を書いたときにだけポストが見えて、手紙を入れることができる。
親方は手紙を読んだ。
「ふむ、この指輪は亡くなった父親の形見のようだね。ポストが見えたからには心の綺麗な子だな。よし、しっかり修理するとしよう」
その夜、一匹の青灰色の猫がベスの部屋に現れた。
そして指輪を見つけると、その横に手紙を置いて、指輪をそっと咥えて消えた。
翌朝、ベスは目を覚ますと、ベッドの枕もとに手紙が置いてあるのを見つけた。
手紙には「指輪の修理を承りました。小人の宝石工房」と書いてあった。
本当に小人の宝石工房はあるんだ。
ベスは驚き、見えない小人たちによろしくお願いしますと頭を下げた。
指輪を見た親方はベスの境遇を不思議な力で読み取った。。
「両親が死に、母の妹に引き取られたのか。ふむ、毎日たくさんの雑用をさせられて満足な食事も取れず、苦労しているようだね」
そして、指輪はシグネットリングで、とある高貴な家の紋章が彫られていることに気付いた。
「ほう、どうやらこの少女は本当は高貴な血筋のようだね。本人も叔母も気付いていないようだが」
小人の親方はどんなふうに修理するかベテランの職人たちと相談した。
「この指輪がどんなものかベスに教えたいね」
「どうすれば教えられるかな?」
「父親の記憶を見ることができるといいんじゃないかな」
「おお、それがいいね」
「じゃあ石を添えよう」
「ああ、ブルーカルセドニーがいいかな」
「そうだね、そうしよう」
小人たちは協力して指輪を修理していった。
次の朝、ベスが起きるとまた手紙が枕元に置かれている。
手紙を読むと「指輪の修理ができました。ポストのあったところにこの手紙をもってお越しください」と書いてあった。
妖精界では小人たちは数日かかって修理をしていたのだが、時間の流れが違うので、人間界では一日も経っていない。
学校の後はすぐに帰らないと叔母の機嫌は悪くなるが、ベスは好奇心を抑えられず、放課後に急いで駅に向かった。
けれど、今回はポストは見えなかった。
ベスはがっかりしたけれど、ポストのあった辺りに近づいてみた。
すると、手紙が淡く光り出し、駅舎の壁にドアが現れた。
「このドアを開けろということよね」
ドアの向こうに何があるのか、不安はあるけれどベスは進むことにした。
ドアを開けると、そこは別世界だった。
緑の木立があり、穏やかな日が差し込んでいる。ベスの髪を心地よい風が吹き抜けていく。
「ここはどこ?」
振り返ると、何もない空間にぽつんとドアが浮かんでいる。
なんて不思議な空間なんだろうと思いながら、ベスは木立の中に続く道を歩いていく。
木立を抜けると、一軒の家が見えてきた。
木造の平屋建てで、大きな窓がある。
入り口に近づくと、木の看板に「café mirage」と書いてあった。
「えっ? カフェなの。こんな不思議な場所に?」
ベスは戸惑ったが、思い切って扉を開けてみた。
「カランコロン」
扉の上の方に付いていた鈴が鳴る。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのは、どこか儚げな、人間離れした美貌の青年だった。
銀色の軽くカールした髪に吸い込まれるような神秘的な深い蒼の瞳、長い睫毛、すっと通った鼻。
ベスが立ち尽くしていると、青年が話しかけてくれた。
「いらっしゃい、依頼の品は準備できているよ。どうぞ入って」
店に入ると、アンティークのような木製のテーブルと緑色のソファがいくつか置いてあった。
青年が紅茶を出してくれる。どこか懐かしい感じの陶製のカップとソーサーに小さなミルクポットだ。
ミルクティーを飲んで落ち着いた頃に、可愛いリボンの結ばれた綺麗な箱を青年は持ってきた。
「これに依頼の品が入っているよ」
「ありがとうございます」
「ここは精霊界と人間界の狭間なんだ。小人たちは妖精界を出ることができないから、僕は彼らから頼まれて修理された品物を渡しているんだよ」
「そうだったのですか」
「君は心が綺麗だから小人の工房に依頼することができた。できればそのままでいてくれると嬉しいな」
「そんな、心が綺麗なんて」
ベスは照れた。
「実は僕は心の醜い人間の出すオーラを感じると体調が悪くなるんだ。君からは嫌なオーラがまったく出ていないから、間違いない」
「ええ? そうなんですか? 貴方は一体……」
「僕はちょっと変わった生まれなんだ」
青年は少し寂しそうに言った。
「この品はきっと君を助けてくれる。小人の宝石細工には不思議な力が込められているんだ」
その晩、屋根裏部屋で指輪を出してみると、爪はしっかり修理されて、少し曇っていた透明な宝石も綺麗に磨かれて、その下の紋章もよく見えるようになっていた。
「うわあ、すごく綺麗になってる。下の模様もよく見えるようになった。一体何の模様なんだろう」
そして、よく見ると大きな宝石の横に控えめに小さな宝石が付いている。
「あれ、こんな宝石あったかな?」
ベスが指輪を顔の前にかざすと、ブルーカルセドニーが光り出した。
「え? 何これ?」
不思議なことに脳裏に父親の記憶の一部が浮かんできた。
「どういうことかな? お父さんはいいところのお坊ちゃんだったの?」
父親の記憶を見て、ベスは混乱した。
その翌日、学校に行くとハンナが塞ぎ込んでいた。
ハンナは孤児という逆境に負けない強く優しい心の持ち主で、これまでにハンナが励ましてくれたことでベスは何度も助けられていた。
一体どうしたんだろう?
お昼休みのときに、リーナと一緒に何があったのかハンナに聞いた。
最初は「何でもない」と言っていたが、そのうちにボソボソとハンナは話し始めた。
どうやら孤児院に補助金を持ってくる領主の家臣が悪だくみをしていて、綺麗な少女を娼館に売り飛ばしているらしく、次のターゲットがハンナになったらしい。
ハンナは、貧しい身なりでも人目を惹くような美しい少女だった。
「そんな、ひどい」
「どうにかならないのかな」
ベスとリーナは憤慨し、ハンナのためにできることはないか考えた。
でも、権力もお金もない少女たちにはどうすることもできない。
「二人が怒ってくれたのは嬉しかったよ」
ハンナは微笑んでみせた。
でも、その瞳は少し潤んでいた。
ベスは父親の記憶は幻かもしれないと思ったけれど、ハンナのためにできることは何でもしようと思った。
きっとハンナが励ましてくれていなかったら、自分は心が折れていただろう。
父親の記憶には領主様のお屋敷が映っていた。
ベスは遠くからしか見たことがないお屋敷だけれど、町で一番大きい建物だし、きっと間違いないと思う。
勇気を出してベスは領主様のお屋敷に行ってみることにした。
叔母の家がある下町と違って、立派な家が並ぶ街区に入ると気持ちが怯んでくるけれど、前を向いて歩いていく。
やがて領主様のお屋敷が見えてきた。
広大な敷地には立派な門があり、その向こうに綺麗な大きな建物が見える。
門から建物までの間は庭園になっているようだ。
おそるおそるベスは門番に近づいていく。
「どうしたんだい? お嬢ちゃん。道にでも迷ったのかい。ここは領主様のお屋敷だよ」
門番は意外にも優しい人だった。
ベスは門番に指輪を見せた。
「これはお父さんの形見なんです。領主様に関係があることが分かったので、思い切って来たんです」
「この指輪は!」
門番のおじさんはひどく驚いた。
「お嬢ちゃん。これはお父さんの形見で間違いないんだね」
「はい。お母さんから誰にも見せず、大切に持っているように言われていたんです。でも領主様にお願いしたいことがあって」
優しそうなおじさんは頷いた。
「この指輪は領主様のご家族しか持っていない物なんだ。領主様に話をするから、一緒に来てもらえるかい」
門番のおじさんに連れられて、大きなお庭を通って立派な玄関に着いた。
玄関の呼び鈴をおじさんが鳴らすと、メイドさんが出てきた。
門番のおじさんが要件を伝えると、私のほうを驚いたように一瞥して、すぐにメイドさんは引っ込んだ。
しばらく待っていると、身なりの良い老夫婦が現れた。
「伯爵閣下、これがこの少女の持っていた指輪です」
門番のおじさんが指輪を見せると、伯爵はひどく驚いた。
「おお!! これはまさしく当家のシグレットリングだ」
シグレットリングって何だろう?
それに領主様は伯爵様だったの?
伯爵というと、とても偉い貴族よね、とベスは混乱した。
「指輪なんかなくても分かるわ。あの子の小さい頃によく似ている」
老婦人は涙を流しながらベスを抱き締めた。
「私は貴女のおばあちゃんよ」
ベスの父親は伯爵の一人息子で、家を継ぐはずだったが、冒険者になりたいと言って喧嘩をして家出をしたらしかった。
しばらくは怒っていた伯爵も、しばらく経つと怒りが収まり、息子の行方を捜したけれど見つけられなかったようだ。どうやらベスの父は偽名を使っていたらしい。
シグレットリングは家紋の上に大きなダイヤを載せたもので、家族の証として作られたものだった。
ガラスかもしれないと思っていた透明な石がダイヤモンドだと聞いて、ベスはまた驚いた。
「ダイヤモンドの石言葉は永遠の絆なのよ。あまり複雑なカットにすると家紋が見えなくなるから、エメラルドのように平面を残したカットにしたの」
伯爵夫人はベスに説明してくれた。
「あら、ダイヤの横に小さなブルーカルセドニーが付いているわね」
「それは小人の宝石工房が付けてくれたんです」
ベスは指輪の修理をお願いしてからの経緯を説明した。
「まあ、そんなことがあったの。ブルーカルセドニーの石言葉は追憶だから、石の力を引き出したのかしら。不思議なことがあるものね」
この小さな石にそんな力が込められていたのかとベスは驚いた。
「そのおかげでエリザベートが来てくれたのだから、小人さんたちには感謝だわ」
それからベスの身の上を聞いた伯爵夫婦は、酷い扱いをベスが受けていることに憤慨し、すぐに伯爵家に引き取ることにした。
冒険者ギルドからの遺族年金はそれなりの金額が支給されるので、こんな酷い扱いなのは叔母が横取りしているらしかった。
お風呂に入って髪を洗い、継ぎのあたったボロボロの服から綺麗な洋服に着替えると、ベスは見違えるように気品のある令嬢になった。
そんなベスの姿を見て伯爵夫妻は満足そうに微笑んだ。
痩せているベスを心配した祖母はたくさん栄養のある物をベスに食べさせた。
食事の後、ベスは話を切り出した。
「あの、お祖父さま、お祖母さま。お願いが一つあるのですが」
「何だい? 遠慮せずに言ってごらん」
「そうよ、遠慮はいらないわ」
ベスが孤児院の友人が陥っている苦境を話すと、伯爵はひどく後悔した表情になった。
「そんなことになっていたのか。孤児院の経営を家臣に任せ切りにしていたせいだな」
「あの子がいなくなってから、貴方は政務のやる気をなくしていましたからね」
「そうだな。そのせいで孤児たちに苦労をさせてしまったようだ」
伯爵はすぐに孤児院の経営を改善すると約束した。
「エリザベートを励ましてくれた友人に何かあってはいけないね」
伯爵は家臣を呼ぶと何かを囁いた。
家臣は頷くと急いで退出した。
お祖父様は何をしようとしているのだろうかとベスは思ったが、きっとハンナのために良いことだろうと考えた。
いろいろあったせいか、ベスは少し眠くなってきて小さな欠伸をした。
「あらあら、疲れたようね。エリザベートの部屋はすぐに準備するけれど、今日はお客用のお部屋で寝てね」
その晩、ベスはこれまで見たこともないような豪華な天蓋付きのふかふかのベッドで眠った。
翌朝、目を覚ましたベスは、昨日のことは夢ではないかと思ったが、やはり豪華な部屋のふわふわのベッドにいた。
起こしに来てくれたメイドさんが洋服を持ってきて、着替えを手伝ってくれた。もちろんそんなことはされたことがないのでベスはジタバタしてしまった。
そしてメイドさんに案内されて、朝食の用意された部屋に行くと、祖父母はもう席についていた。
「遅くなって、すみません」
「いろいろあって疲れていただろうから、気にすることはない」
「そうよ。お昼まで寝かせておこうかとも思ったのだけれど、あなたに会わせたい人もいたから」
何のことだろうと思ったら、部屋のドアが開いて、綺麗な女の子が入ってきた。
誰だろうと思ったら、よく見るとハンナだった。
髪を洗って綺麗にまとめ、仕立ての良い服を着ていたので、最初は誰か分からなかったのだ。
「ハンナ!」
「ベス!」
二人は駆け寄って抱き合った。
「良かった。娼館にすぐに売られないか心配してたよ」
「それがね、昨日の夜遅くに領主様の家臣が孤児院に来られて、私をここに連れてきてくれたの。それで見たこともないような豪華なお風呂に入って、綺麗な服を着せてもらって、何だか夢を見ているみたい」
「あは、私も夢を見てるんじゃないかと思ったよ」
それから、伯爵は再び統治に意欲を取り戻した。
孤児院で悪事を働いていた伯爵家の家臣は罰せられ、真面目で優しい女性の家臣が新たに担当者になった。
ベスの叔母はこれまで遺族年金を横領していたことを伯爵家に指摘され、謝罪して弁償したうえで伯爵領から夜逃げした。逃げる途中で盗賊に襲われて亡くなったという噂もあるが、定かではない。
本来ベスが受け取るべきだったお金は伯爵夫人がベスの名義で貯金し、その何倍ものお金を積み立ててくれた。
そして、ハンナも伯爵夫妻に引き取られて、使用人ではなく家族のように育てられた。
ベスとハンナは伯爵邸で家庭教師から教わるようになり、学校には通わなくなった。でも、ときどきリーナの両親の経営するレストランに食事に行っている。
最初に二人がお店に行ったとき、学校に来なくなった二人を心配していたリーナは大泣きした。
最近は、ベスは伯爵の後継者となるべく法律や政治を頑張って学び、ハンナは武芸に適性があることが分かり、いずれベスを護る騎士になるべく訓練に励んでいる。
二人はときどきあの日のことを話す。
「宝石工房の小人さんたちに御礼を言えるといいんだけれど」
「私はベスの会った綺麗な男の人に一度会ってみたいな」
その願いが叶うかどうかは分からないけれど、子どもの頃の苦労を忘れず、明日からも勉強や訓練を頑張ろうと思う二人だった。
(完)
小人の宝石工房 スタジオぞうさん @studio-zousan
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