男同士の友情

 リムジンは、彼女たちを置いて、校門前から走り去った。


「麗眞くん、いいの?


 椎菜と一緒に帰らなくて……」


「大丈夫。


 椎菜には、美冬ちゃんか誰かの家に泊まれって言った」



 ああ、と胸の奥で小さく頷いた。


 今日は、そういう夜にするのか。



 車が動き出してしばらく、エアコンの低い風が、制服越しに肌を冷やしていた。



 エンジンの低い振動が、背中にじんわりと伝わってくる。


 頭はまだ重くて、目を開ける気力もない。


 でも、声だけははっきり聞こえた。


 麗眞くんは、前の座席に肘をつきながら、ゆっくりと拓実の方へ視線を向けた。


「……で。


 君は、なんで校門前に立ってたわけ?」


 拓実は窓の外を見たまま、短く息を吐いた。


「理名ちゃんが熱出したって聞いたから。心配しただけだよ」


「心配ねぇ」


 麗眞くんは、わざとらしく笑った。


 その笑いは、挑発というより“呆れ”に近かった。


 彼のこんな笑い方を見たのは初めてだ。


「心配するのは自由だけどさ。


 君のせいで校門前、ちょっとした騒ぎになってたよ。


 あれ、分かってた?」


 拓実は眉をひそめ、ようやく麗眞の方を向いた。


「……俺だって、好きで目立ってるわけじゃない。


 連絡先はある。


 でも学校は違う。

 

 会う約束なんて、簡単にできない。



 ただ心配してるだけで、何もしないで待てって?」


「だからって、いきなり校門前に立つ?


 君の学校じゃないんだよ。


 うちの生徒、みんなスマホ構えてたの見えなかった?」


 拓実くんが言葉を詰まらせた。


 その沈黙を、麗眞くんは逃さなかった。


「理名、風邪ひいてるんだよ。


 あの人だかりの中を通らせるつもりだった?」


「……そんなつもりじゃ」


「じゃあ、どんなつもり?」


 拓実くんは唇を噛んだ。


 その横顔には、焦りと苛立ちと、どうしようもない不器用さが滲んでいた。


「……会いたかったんだよ。


 一度デートして、それからも連絡はしてたけど……


 俺と遅くまで過ごさせたから風邪ひいたのかな、と思った。


 だから、せめて顔だけでも見たかった」



 その言葉に、麗眞くんの表情がわずかに緩んだ。


 だが、すぐに真剣な目に戻った。


「気持ちは分かるよ。


 でもね、君の“会いたい”より、理名ちゃんの“守られるべき状況”の方が優先なんだよ。


 君はうちの学園から見ると部外者だ」


 拓実くんは反射的に反論した。


「俺だって、守りたいと思ってる!」


 車内のエアコンの音が、やけに大きく聞こえた。


「じゃあ、行動で示せよ」


 麗眞くんの声は怒鳴ってはいなかった。


「守りたいなら、まず周りを見ること。


 理名ちゃんの友達に一言連絡すること。


 いくらでも連絡手段あるだろ。


 順番を間違えたら、君の気持ちがどれだけ本物でも、ただの“迷惑”になる。


 今俺たちが乗ってるこのリムジン、校舎内の敷地も自由に走行できる許可証貰ってる。



 だから、君を乗せて保健室の前で乗り付けることも出来るんだよ。


 やろうと思えば、な」



 拓実くんが拳を握る気配がした。


 その沈黙が、悔しさと焦りを物語っていた。



「……そっか。


 俺、焦ってたんだと思う。


 理名ちゃんが遠くなるのが怖くて」


 その言葉に、麗眞はふっと息を吐いた。


「怖いのは分かる。


 でも、理名はそんな簡単に離れていく子じゃないよ。


 君がちゃんと向き合えば、ね」


 拓実はゆっくりと顔を上げた。


「……向き合うよ。


 今度は、ちゃんと順番守る」


 麗眞は小さく頷き、手を差し出した。


「なら、いい。


 俺は椎菜の彼氏で、理名の親友。


 敵じゃないから」


 拓実はその手を握り返した。



「……次に理名に会う時は、俺にも一言入れろ。


 それだけ守るなら、もう校門前で睨まない」


「……分かった。


 次は、そうする」



 今更だけど、


 俺……桐原 拓実。


 よろしく」


「宝月 麗眞。


 この流れで今更名乗るのも、おかしいけど。


 よろしく」


 握手がほどけた。



 遠のく意識の中で、少しだけ、相沢さんがミラー越しに微笑んだのが見えた。



 リムジンは、何の断りもなく、麗眞くんの家の門をくぐっていった。



 拓実くんが黙ったまま門の向こうを見ていた。


「ホテルみたいだな……」


 それ以上、言葉が続かなかった。



 ああ、普通はそうなるよね、と思った。




「ここ、本当に……麗眞さんの家!?


 私は、さも当然のように、拓実くんの背中越しに、驚く彼を見つめていた。




 麗眞くんによって、見覚えのあるベッドカバーがかかったそれが目を引く部屋に案内された。


 そして、半ば強引にベッドに入るように言われる。



 私の後ろには拓実くんがくっついている。


「ちゃんと寝てな?


 理名ちゃん」


 移動の間に体温測ってないから分からない。



 でも、多分熱上がってる」


 そう言って、私の額に何かを当ててから、頭を撫でて部屋を出て行った拓実くん。



 冷えピタを貼る手が、ほんの少しだけ不器用にずれていた。



 いつから持っていたのか、冷えピタであるらしい。


 冷えピタの冷たさが、額よりも先に、胸の奥にしみてきた。


 こんなふうにされる理由が、思いつかない。



 まだ、私は拓実くんにとって、彼女でも何でもないはずなのに。



 彼にとって私は、ただ一度助けて、一度一緒に食事をしただけの人。



 ……それだけだ、と言い聞かせる。


 いつまで、寝ていたのだろう。


 喉がからからで、身体が少しだけ軽くなっていることだけが分かった。



 気が付くと枕元には、スポーツドリンクが置かれていた。


「誰が、置いたんだろう」


 首を捻りながらも、それを一口含んで、喉に潤いを補給する。


「……おいしい」


 窓の外を見ると、星が見えそうなくらい空気が澄んでいて、夜の帳が降りていた。


 時計の針はもう、夜の7時どころか、8時を超えていた。



 父親は、今日は飲み会があると言っていた気がする。


 携帯電話のランプが点滅を繰り返していることに気付いて、そっと開いてみる。


 暗い部屋では、携帯電話の灯りは目に優しくない。 思わず目を細めてしまった。


 そして、あることに気が付いた。



「 あ、眼鏡がない」



 慌てて、携帯電話の灯りを懐中電灯代わりにして、辺りを探した。


 黒いものが、ベッドの脇に置いてあるナイトテーブルの上に見えた。


 そっと、手を触れてみる。


 それは私の眼鏡だった。



 掛けると、ようやく画面に表示された文字が見えるようになった。


 暗闇にやっと目が慣れてきたらしい。


『理名  



 俺は、会社の飲み会で遅くなる。



 帰ってくるなら自分で何か買ってきて食べてもいい。


 誰か、友達の家に厄介になるのもいい。



 後者の場合、後日、お礼は忘れるなよ!



 父より』


 その文面に、少し顔が綻んだ。



 この家のことを話したら、父はどんな顔をするのだろうか。


 この家に似合うお礼の仕方なんて、思いつかなかった。


 彼らから見ると、私たちみたいな人がぶら下げてくる手土産なんて、たかが知れているのだろう。


 そう考えると、持っていくのが逆に恥ずかしくなる。


 そんなことを考えていると、コン、コンという控えめなノックの音が、私の耳に届いた。


「はい」


 麗眞くんかと、返事をしてみる。


「理名ちゃん?



 起きてるんだ?」


 麗眞くんより、ほんの少し、高い声。


 私の名前と、「ちゃん」の間にほんの少しの間がある。



 麗眞くんなら、スムーズに呼ぶはずだ。


 拓実くんに間違いない。



 分かってしまった自分に少し驚いた。


「うん。


 ちょっと前、起きたところ」


「よかった。



 ちゃんと、水分補給もしているのかな。


 様子を見たいから、部屋の灯り、つけていいよね?



 眩しかったら、目を伏せてていいから」


 そう言って、部屋の灯りが付いた。


 制服ではなく、上下がグレーのスウェットを着た拓実くんがそこにいた。


 麗眞くんから借りたのだろうか。


 こんな彼を見るのは、もちろん初めてだ。


 私服と制服と、カジュアルというか、ラフすぎるスウェット。


 私の脳内にこっそり記憶している「拓実くんフォルダ」。


 また1つコレクションが増えた。


「冷えピタも大分、熱を吸ってくれたみたいだけど、とりあえずまだ様子見だね」


 拓実くんがそう言った後、また、ノックの音がした。


 誰?


 麗眞くん?


 ドアの向こうが、にわかに騒がしくなった。


「今、違う人が入ってるんだから、後にしろって、姉さん。


 ……って、深月ちゃんから電話?

 

なんだよ、こんな時に。


 俺は電話してるから好きにすれば?」


「いいでしょ? 


 理名ちゃん、もう友達みたいなものだし。


 無難で、かつ、彼女が好きそうなものがこれくらいしかなかったのよ。


 それに、貴方の執事さんから頼まれた彼女への届け物もあるのよ?


 すぐ済むから、入れなさいよ!」


 そんな押し問答がドアの外から聞こえたすぐ後。


 麗眞くんのお姉さんが入ってきた。


「あ、彩さん。


 すみません。


 えっと……こんなベッドの中から失礼します。


 お邪魔してます……」


「いいのよ。


 それより、微熱って聞いたけれど、本当に大丈夫かしら」


 微熱でも、制服じゃあ、いろいろと不都合があるでしょうから。


 着替えと、ちょっとしたお粥とフルーツを置いていくわね。 じゃあお大事に」


 本当にそれだけ言って、部屋を出て行った、麗眞くんのお姉さんの彩さん。


「麗眞さんのお姉さん、美人さんだね。



 まぁ、俺はタイプじゃないけど。



 俺と麗眞さん、彼の用事が済んだら風呂入ったりしてるからさ。


 理名ちゃんも、せっかくだから、着替えてそれ食べたらどうかな。


 風邪を治すには栄養補給も大事だよ」


 ひらひらと手を振ってから部屋を出ていくさまは、あの時のデートの帰り際を彷彿とさせた。


 胸の奥が、また少しだけ、熱を持った気がした。


 ——気付かないふりをするには、少しだけ、温かすぎた。

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