医師志望の

「さぁ、いよいよ、最終戦です!


 ババ抜きが一番弱いのは誰なのか?


 いよいよ決まります。


 プレイヤーは野川恵梨、矢野陽花、美川華恋の3人です!! 


 気象予報士志望(暫定)VS、体育教師志望VSウェディングプランナー志望、という対決です!!」



「カウンセラー志望という深月ちゃん、この試合、どう見ます?」


「そうですね、今までは見応えあるというには微妙なものが多かったですから。


 ジョーカーがあちこちに、何度も移動する波乱の展開を期待したいですね」


 本当のアナウンサーに見えてきた美冬ちゃんと深月ちゃんの返しに感心する。


 私も見守ろう。


 楽しいババ抜きの声が響く部屋で、ふと携帯が震えた。


 スマホの液晶画面には、『宝月 麗眞』と表示されていた。


 その表示を見た瞬間、笑い声が遠くに感じられた。


「もしもし、麗眞くん?


 こっちは仲間内でババ抜きやってて、一番面白いところなんだけど。


 邪魔しないでくれるかな?」


『そんな面白そうなことやってたの?


 俺も参加したかったわ。


 邪魔してごめん。


 椎菜、一頃より熱下がって多少喋れるようになったから、理名ちゃんに言いたいことあるんだって。


 来てやって?


 嫌じゃなかったら、だけど』



 携帯を握りながら、つぶやくように言った。


「私のことなんて構わないで、治ってからでいいのに」


 少し間を置いてから、ため息交じりに付け加える。


「はいはい。


 そっち行くわ」



「ごめん、深月ちゃん、美冬ちゃん。


 ちょっと行ってくるね?」



 電話を切ってからそう言うと、これだけで彼女たちには事情がわかったようだった。


 皆は私の顔を見て、大きく頷いてくれた。


 面白そうな対戦の結果を見られないことを悔やみながら、部屋を出た。


 絨毯敷きの廊下を、なるべく早足で歩く。


 いや、自然に早足になっていた。


 彼女が心配だったのだ。



 椎菜ちゃんは、気管支や呼吸器が丈夫ではない。


 だからこそ、嫌な予感が頭から離れなかった。


 私たちの部屋がある廊下の向かいの部屋の一番端。


 そこが養護教諭、伊藤先生の部屋だ。


 私たちの部屋と何ら変わらない造りになっている。


 ノックもせずにドアを開けてしまいたい気持ちを抑えて、 軽くノックして部屋に入る。


 伊藤先生と麗眞くん、相沢さん、それにベッドに寝かされている椎菜ちゃんがいた。


 時折、彼女は苦しそうにゴホゴホと咳をしている。


「りな、ちゃん……?」


 時折ひどく咳き込みながら、私の名前を呼ぶ椎菜ちゃん。


「無理しなくていいよ?


 喋れるようになったらでいいから、とにかく落ち着いて」


「理名ちゃん、ごめ、ん……


 わたし、理名ちゃんに、ひどいこと……

 言っちゃ、った……」



 咳き込みながらも、ちゃんと彼女は謝罪の言葉を言おうとしている。


 傍らにいる麗眞くんが優しく背中をさすってやっている。


「私も、曖昧というか、自覚なくて迷惑かけちゃったし。


 ごめんね。


 麗眞くんにも、椎菜ちゃんにも。


 椎菜ちゃんの意見も正論だから。


 もう気にしないで?」


 彼女は私の言葉を聞くと、安心したようににっこり笑った。


 間髪入れずに、激しくまた咳き込んだ。


 時折、胸に手をやっているのも気になる。


 もしかして。


「伊藤先生?


 養護教諭ならば、多少の医学知識があると勝手に仮定して、お尋ねします。


 彼女にずっとついていたこともあり、症状の経過にも詳しいと信じて。


 乾いた咳だったはずの音が、いつの間にか喉に絡みつくように変わっていた。


 ――嫌な変化に、胸の奥が冷えた。




 そして、白い痰も少々出ている。


 先程から、たまに胸を抑えるしぐさを見せている。


 気管支炎の症状に酷似しています。


 先生も、そう判断したのではないですか?」


 私の問いかけに、伊藤先生が強く頷いた。


 そういえば、オリエンテーションの前日に、彼女の母がそんなことを言っていた。


 なぜ、もっと注意を払っておかなかったのだろう。


 医師及び看護師志望として、恥ずかしい。


 こうなったら、出来ることをやるしかない。



 昔、母にくっついて職場である病院に行った時があった。


 働く現場を見る学校行事の一環である社会科見学も兼ねていたのだ。


 その時、母とは同期だという医師が、気管支炎の人の診察の様子を見せてくれた。


 聴診器を貸してくれて、音を聴かせてくれたことを思い出す。


 やるしかない。


 伊藤先生の首に下がっている聴診器に、思わず手が伸びた。


 ――生徒が触っていいものじゃない。


 そう分かっていても、止まらなかった。


 耳管部を両手で持ち、真上から見てハの字。


 手順は、頭に入っている。


 10~15°。


 母の声が、頭の奥で再生される。


 ――雑音が入ったら、位置が違う。



 チェストピースという金属の部分を、手のひらで温めることも忘れずに。


「椎菜ちゃん、落ち着いて。


 私の指示に従ってくれればいいから。


 ゆっくり、深呼吸してくれるかな」


 耳元でゆっくりした口調を意識してそう言う。彼女は、微かに頷いてくれた。


「あ、麗眞くんは見てなくていいわよ。


 私たちがいいって言うまで、後ろを向いていてもらうから」


 伊藤先生のナイスアシストにより、スムーズに聴診に入れる。


 さすがは先生だ。


 そっと彼女のワンピースを捲り上げる。


 記憶の糸を必死に手繰り寄せながら、あの時の医者がしていたように、見よう見まねで行ってみる。


 患者である椎菜ちゃんの肺をなぞるように、頸部から左右対称になるように、そっと当てていく。

 頸部を中心に聴く。


 次に、ゆっくり胸部の音も聞く。


 ……ヒューヒュー。


 一瞬、聞き違いかと思った。


 もう一度、呼吸の終わりを待つ。


 ――やっぱり、ある。


 私の記憶とも一致する。


 細い気管が狭窄している時の音だ。



 ――もし、これが違っていたら。


 一生、忘れられない後悔になる。


 それでも、手は止めなかった。


 肺炎の所見があることも否定は出来ないが、気管支炎の可能性が高い。


「ありがとうございます」


「椎菜ちゃんも、協力してくれてありがとう」


 ワンピースをきちんと直す椎菜ちゃん。


 彼女に優しく語りかけてから、伊藤先生に聴診器を返す。


 携帯電話のアドレス帳から母がいた病院の番号を呼び出して掛ける。


 さすがに、そらで全部の番号を押せるほど、記憶は定かではなかった。


『はい、こちら流生総合クリニックです』


 落ち着いた女性の声で応答があった。


 声が震えないよう、息を整えてから言った。


「15歳少女、急性気管支炎の疑いありです。


 発熱あり、聴診した結果、連続性ラ音が認められます。


 また、咳に痰が絡んでおり、少量の白い痰も出ている模様。


 さらに、咳により胸の痛みも感じています。


 以上のことから、肺炎である可能性も、僅かながら残されています。


 精査のため、胸部レントゲンが必要かと思われます。


 対応のほうをよろしくお願いします」


 体温を確認するよう言われた。


 耳から受話器を少し離して、麗眞くんに確認する。


 37.8。


 脳内に記憶する。


「37.8℃です」


 次は、私の名前を聞かれた。


 そういえば、名前を言っていなかった。


「岩崎 理名です」


『岩崎……


 ああ、理名ちゃんね。


 鞠子さんの娘さんなら、ここまで詳しいの、うなずけるわ。


 でも、さすがにそこまで知ってたなんて思わなかったから、驚いちゃったわ。


 わかりました、こちらも手配しておきます。


 では、失礼します。


 お気をつけて』



 電話は切られた。


 久しぶりに、母の名前が聞けて、こんな時なのに泣きそうになったことは、皆には内緒にしておく。


 そういえば、麗眞くんの家は緊急時用に医療搬送の手配が出来るらしい、と聞いたことがある。


 だから、万が一の時も心強い……と、私は少し安心した。


「行こう、椎菜ちゃん。


 私の、母が働いていた病院。


 私も、母の顔見知りになら顔は通ってる。


 ここしか思いつかなかったから」



 驚きより先に、困惑が顔に出ていた。


 養護教諭として、止めるべきか、見守るべきか


 ――判断が揺れている顔だった。


「皆様、ホテルの外にヘリを待機させてございます。


 皆様で参りましょう」


 相沢さんの声がした。


 まだ、口を開けている伊藤先生。


 彼女は力なくパンプスを履くのを横目で見ながら、椎菜ちゃんを抱き上げた麗眞くんの後をついて行った。


 無理もない。


 電話に出た人も、驚いていたから。


 いくら母が医療従事者だったとはいえ、気管支炎の疑いありと聴診をして判断した。


 さらに、胸部レントゲンまで指示したのだから。


 並大抵の高校生が出来ることではない。


 しかも、本来は、生徒が手を出していいことではない。


 伊藤先生の中で私の評価はガタ落ちだろう。

 神妙な面持ちで、麗眞くんの後をついていくことに徹した。


 これ以上、この宿泊オリエンテーション中に勝手な振る舞いで目立ってはいけない。

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