僕らの欠けたピースに名前を

部屋の隅にある加湿器から、小さくゴポゴポと音が聞こえてくる。少し古い機械から音がするなど当たり前なので、当然僕はそれを無視した。

同じく機械から音が漏れている冷蔵庫を開け、少し背伸びして一番上にある缶コーヒーを取ろうとする。大学生のときは可愛いからいいじゃんと言われた低身長も、大人になってみればただの重りでしかない。だからと言って、大学生の僕は可愛かったわけではなかったと思う。どちらかというと、あの子のほうが可愛かった。当然だ、あの子は女子。僕は男なのだから。

ようやく中指が缶コーヒーの横まで届き、そのまま前に押し出すようにして缶コーヒーを取る。半分だけカーテンを閉めた窓から見えた景色。まだ夕方かと思いきやもうすっかり真っ暗だ。取り調べが意外と長引いてしまうのは、いつものこと。でもこの仕事を始めてから、時間感覚が狂って仕方がない。机のリモコンを取るより先に仕事服である警察官の制服がかかったソファーに座る。缶コーヒーを一口だけ口に入れながらテレビをつけた。このご時世、ニュースは必見だ。いつ上司から社会情勢を出されてもいいように。

真夜中の食べ物。特にカップ麺やコーヒーなどは罪悪感が味を美味しくすると言う。罪悪感があるから食べないのでは？と考えたこともあったが一般的にそうではないみたいだ。まあ、罪悪感がないから今こうして缶コーヒーを飲んでいるのだが。

まだカフェインが効かない。その時僕のぼんやりとした頭を冷ましてくれたのは、とある特集だった。

「今回の特集は、最近注目され始めた精神障害。世間の見解はいかに、です。ゲストには、〇〇大学心理学部教授、□□教授にお越しいただいております。どうぞよろしくおねがいします。」

「はい。こちらこそお願いします。」

「はい。ということで早速本題に移させてもらうんですが、今、世間からの注目が集まっている『C-SED-CHS』という障害をご存知でしょうか」

『C-SED-CHS』。この言葉は、僕の視線をテレビに釘付けにさせた。思い過ごしかもしれない。ただ、

「そうですね。『C-SED-CHS』は正確にはまだ医学界で認められていないんですけど、多くの研究者から注目度が上がっているのが、まあ事実としてあるのではないかと思います。もともとこの障害については精神科や研究者が提案したものではなくて、今から約11年前に、△△大学教育学部のとあるサークル団体が研究していたという形になっています。」

間違いない。「あの頃」間違いなく僕の生きがいになっていたものだ。

「ありがとうございます。今から約11年前から研究されていたものということですが、なぜ今になって注目度が高まってきたのでしょうか。」

「まあそうですね。一つの理由としては、最近精神科を受診する患者が増加したことで今までの症例を元に診断しきれない症状が増えてきたことだと思います。この『C-SED-CHS』は同じような傾向を持つ人をまとめて総称する障害ではないのですが、これが正式に精神障害として証明できれば、今の医学界に大きな進歩をもたらすと予測されています。もう一つの理由として、最近になって元々同じサークルに所属していた人の自殺が増加したことに由来している可能性があります。先程も言った△△大学の教育学部のサークルですね。そのサークル団体のリーダーが11年前に自殺しているんですけど、最近になって同じサークル団体のメンバーが次々と自殺し始めたことで、その原因と言われた『C-SED-CHS』が注目され始めたということではないでしょうか。」

「なるほど。では…」

そのとき、スマホの通知音が突如として鳴った。今日のこともあってか、何事かと思い、急いでスマホを手に取る。よかった。ただの同僚からの雑談ラインだ。「今日、お前のことを取り調べててすごい変な感じだったわ。犯罪…」と、ここまで読める。まあ、普段は一緒に取り調べをしている同僚が、突然取り調べをする相手になったら誰だって困惑するだろう。自分が周りよりも劣っていると、どこかで心が言う。取り調べされるなんて、思っても見なかった。

僕は、自殺しなかった。先輩方が自殺したのだから、自分もしなきゃいけないとか思ってない。それでも、結果はもたらせているのだから、ある意味正解だったのかもしれない。

今テレビに出演している□□教授だって、11年前には僕らの説を全面否定していた。社会情勢もあるだろうが、それでもこの変わりようには心底腹立つ。別の見方をすれば、11年前には認めていなかった敵に認めさせたとも読み取れるが。

先輩方を止めていればよかったとか後悔しているかとか、そういうこと思ってるか聞かれて、思わず「全然」と答えてしまった僕は、今後も警察官をやっていけるのだろうか。

息を止めないとやっていけない。けど、息をまた吸い始めるには遅すぎたと僕は思う。息を止めるのに、慣れ始めているのだから。