第10話「約束の場所」
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### エピローグⅡ「約束の場所」
あれから、5年の月日が流れた。
春の柔らかな日差しが降り注ぐ、見知らぬ町の駅に、一人の青年が降り立った。
中学時代の面影を残しながらも、背は伸び、肩幅も広くなった。着古したライダースジャケットが、彼が過ごしてきた時間を物語っている。
青年の名は、蓮(れん)。
かつて、一つの石ころを投げたことで、すべての物語を始めた少年だった。
彼は胸ポケットから、角が擦り切れたメッセージカードを取り出す。そこに書かれた住所を、スマートフォンの地図アプリに入力した。何度も見て、すっかり覚えてしまった住所だ。
高校を出て、小さなバイク整備工場で働き始めた。親父に分割で払ってもらった自転車の弁償代も、ようやく全額返し終えた。無我夢中で働き、何度も道を外れそうになりながら、そのたびに胸ポケットのカードの存在が彼をまっすぐな道に引き戻した。
「待ってる」
その一言が、お守りだった。
やがて、目的の古いアパートが見えてくる。2階の一番奥の部屋。ベランダには、小さな花をつけた鉢植えが並んでいた。
心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
階段を上り、ドアの前に立つ。何度もためらい、深呼吸を一つして、チャイムを押した。
数秒の沈黙の後、ドアがゆっくりと開く。
そこに立っていたのは、彼女だった。
少し大人びて、化粧もしているけれど、あの頃の面影は変わらない。部屋着姿の彼女は、目の前の青年が誰だかすぐには分からなかったようだ。怪訝そうな顔で、小さく首を傾げる。
「…あの、どちら様で…」
蓮は、言葉に詰まった。
何て言えばいい? 5年ぶりに会う第一声は、何が正解なんだ?
彼が黙り込んでいると、彼女の視線が、彼の眉にある小さな古傷に留まった。それは、交差点で転んだ時にできた傷だった。
彼女の目が、ゆっくりと見開かれていく。
忘れかけていた記憶の扉が、音を立てて開くのがわかった。
「…まさか…」
信じられない、というように唇が震えている。
やがて、その瞳にみるみるうちに涙がたまり、一筋、頬を伝った。
「**本当に…来てくれたね?**」
それは、やっと言えた、というような、喜びと安堵が入り混じった声だった。
蓮は、ごしごしと照れ隠しに頭をかきながら、ようやく口を開いた。
ぶっきらぼうで、飾り気のない、けれど誰よりも誠実な声で。
「**ああ、約束だから**」
その言葉を聞いて、彼女は、決壊したように涙を流しながら、花が咲くように笑った。
蓮は、そんな彼女を見て、つられるように少しだけ口の端を上げた。
「さあ、入って。…お茶、淹れるね」
彼女が、彼を部屋へと招き入れる。
ドアが閉まる直前、蓮は振り返って、どこまでも続く青い空を見上げた。
俺が投げたあの石ころは、長い長い旅をして、ようやくここに辿り着いた。
二人の新しい物語が、春の日差しの中で、今、静かに始まろうとしていた。
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