第9話「君への道しるべ」



---


### エピソード・エピローグ「君への道しるべ」


彼女は、遠くの施設へ行く。俺は、この街で生きていく。もう、会うことはない。

わかっている。これが、一番いい形なんだ。


彼女が、富樫に一礼し、背を向けて歩き出す。

これで、終わりだ。

あの夜のキスも、交差点の叫び声も、全部思い出になる。


「……」


俺は、ただその背中を見送ることしかできなかった。

だが、数歩進んだところで、彼女がふと立ち止まり、振り返った。そして、俺の方へ小走りで戻ってくる。


「え…」


戸惑う俺の目の前で、彼女は息を切らしながら、何かを俺の手にぐっと握らせた。それは、二つ折りにされた小さなメッセージカードだった。


「ごめん、やっぱりこれ、渡しとく」


彼女は、少し頬を赤らめながら言った。


「私の、連絡先。それと、新しい施設の住所」


俺は、握らされたカードと彼女の顔を交互に見ることしかできない。


「あなたが、自分の罪をちゃんと償って、高校も卒業して…ううん、そんなのどうでもいいや。あなたが会いたいって思ってくれた時、いつでも来て。どこにいても、何をしててもいいから」


彼女は、俺の目をまっすぐに見つめた。その瞳には、もう迷いはなかった。


「**いつでも来て! 待ってる!**」


そして、最後に、吐息のような声で付け加えた。


「**ずっと**」


言い終えると、彼女は今度こそ振り返らずに、雑踏の中へと駆け出していった。

俺は、その場に立ち尽くしたまま、手の中にある小さなカードを握りしめた。


隣で、富樫がわざとらしく空を見上げている。


「…おいおい、未成年者に連絡先を渡すたぁ、感心しねえな」


口ではそう言いながらも、その声はどこか楽しそうだった。


「…うるせえよ」


俺は、カードをそっと胸ポケットにしまい込んだ。

そこだけが、心臓の熱を持っているみたいに温かい。


「待ってる」、か。

「ずっと」、だってよ。


冗談じゃねえ。

中坊相手に、そんなこと言うなよ。

本気にしちまうだろうが、バカヤロウ。


俺は、富樫に背を向け、自分の帰るべき場所へ向かって歩き出した。

いつになるかは、わからない。

一年後か、三年後か、もっと先か。

その時、俺はどんな男になっているだろう。

どんな顔で、このカードに書かれた住所のドアを叩くのだろう。


空は、どこまでも青く澄み渡っていた。

俺が投げた石ころは、まだ旅の途中だ。

でも、もう迷うことはない。行き先は、ちゃんとわかっている。


胸ポケットにしまった一枚のカード。

それが、これからの俺の、たった一つの道しるべだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る