第6話 処刑エンド令嬢、高校デビューでやらかす

 教室に入った瞬間――

 空気が、明らかに変わった。


 視線が、一点に集中する。

 ひそひそと、囁き声があちこちで漏れる。


 無理もない。

 縦ロールを優雅に揺らしながら入室する女子高生など、そうそう存在しないのだから。


「……では、転入生――じゃなくて、入院で遅れていた灰島はいじまナデシコさんが、今日から合流します。それでは灰島はいじまさん、自己紹介をお願いします」


 教壇に立つ那波なわたすくは、異様なまでに背筋をぴんと伸ばし、緊張した面持ちで隣に立つ少女に告げた。


 ジェーン・グレイ――灰島はいじまナデシコは、しゃなりと一歩前へ出る。


 ただそれだけの動作なのに、どこか優雅だった。


「ごきげんよう」


 鈴を転がすような声で発せられた一言目――

 それだけで、教室が大きくざわついた。


「ワタクシの名は、灰島はいじまナデシコ」


 胸に手を当て、堂々と名乗る。


「諸事情により皆様より少々遅れての入学となりましたが――」


 一拍置き、


「この場をお借りして、ワタクシの存在を知っていただければ幸いですわ」


 静寂。


 ――いや、困惑。


 誰もが「どう反応すればいいか分からない」という顔をしている。

 だけど、ここまでであれば「いいとこのお嬢さま」という印象で済んだのかもしれない。


 しかし、最後に放った一言が致命的だった。


「皆様には特別に、”令嬢レディ”と呼ぶことを許可致しますわっ!」


 そう言って自慢の縦ロールを手櫛でなびかせ、優雅に高笑う。


 教室は、一瞬にして沈黙に包まれる。


「……あ、あの。以上でよろしいですか?」


 ハンカチで額の汗を拭いながら、那波なわが恐る恐るたずねる。


「ええ、よろしくてよ」


 ジェーンは満足げにうなずいた。


「い、以上で自己紹介、終わりだそうです……」


 キリキリと痛む胃の辺りをさすりながら、那波なわはジェーンに席の場所だけ伝えると、逃げるようにして教室を後にした。


 席に着くまでの間も、好奇と奇異の視線を一斉に浴びるジェーン。


 これによって彼女の印象は、「いいとこのお嬢さま」から「変人お嬢さまへと」格上げ(?)されたのだった。


 その後の授業は、ある意味で平和だった。


 英語。


 教師が黒板に書いた英文を見て、ジェーンは眉を上げる。


(……この程度ですの?)


 指名され、すらすらと音読し、文法の質問にも即答。


「す、すご……」


「発音、きれい……」


 周囲から、感嘆の声が漏れる。


(イングランド人ですもの、アピースオブケイク。朝飯前ですわ)


 続く数学でも同様だった。

 計算は正確、解法も的確。


(数の理は、どの時代でも不変ですわね)


 結果、午前中のうちにクラスの視線は

「変な子」から「なんかすごい子」へと変化していた。


 ――だが。


 四時間目の日本史――


「では、今日は日本の歴史を、簡単な流れで説明しますね」


 担任の那波なわが、黒板の前に立った瞬間、ジェーンは背筋を丸めて机に突っ伏す。


(日本史……極東の蛮族の歴史ですわね)


 前世で聞いていた話では、日本とは未開で野蛮な島国――のはずだった。


(日本の歴史なんて、栄光あるイングランドのものに比べたら……)


 明らかにやる気を失くしている。


「今から三万八千年も前、伊豆諸島の神津こうづ島で採掘された黒曜石が、伊豆半島や房総半島に舟で運ばれていたそうです」


(三万八千年前? ……舟ですって?)


 ぴくり、とジェーンの体が小さく揺れる。


「これは人類史上最古の往復航海とされていて――」

「っ! お待ちになって!!」


 思わず立ち上がる。

 再び、教室中に異様な空気が流れる。


「そんな高度な航海技術が、この極東の――いえ、日本で?」


「は、はい。学術的にも有力とされています」


「……アンビリーバブル。信じられませんわ」


 那波なわの控えめな肯定に、ジェーンは言葉を失い、ストンと糸が切れたように席に座る。


 それに呼応するように、教室内の空気も落ち着きを取り戻す。


「さらに縄文時代には、青森県の三内丸山さんないまるやま遺跡のように、

大規模な集落も存在していました」


(……集落?)


「長期間定住し、貯蔵施設や儀礼の空間も備えた、かなり計画的な生活が行われていたようです」


(そんな大昔に……計画都市?)


 ジェーンは、知らず知らず拳を強く握りしめていた。


「そして、こちらが縄文土器です」


 那波なわが掲げた写真パネルを見た瞬間、

 ジェーンは、ハッと息を呑んだ。


(……この造形……)


 蛇のようにうねった曲線。

 常人には到底編み出せない、独特のデザイン。


(実用品でありながら、この美意識……!?)


 ガタンッ!


 ものすごい勢いで、ジェーンは再び立ち上がる。


 教室内の誰もが驚き、目を丸くする。


「あ、あの、灰島はいじまさん……? 何かご不満な点でも……?」


 異様に血走っている少女の目を見て、那波なわは子犬のように震えている。


「――が」


 かすれた声が、ジェーンの口からもれる。


「え?」


 聞き取れず、首をかしげる那波なわ


 そして、次の瞬間――


「ワタクシが間違っておりましたわっ!!」


 そう叫ぶや否や、ジェーンは深々と頭を下げたのだった。


「……え?」


 てっきり怒らせてしまったのかと思っていた那波なわは、突然謝罪を向けられて呆気に取られる。


「認識を完全に誤っておりました。お詫び申し上げますわ」


 さらなる謝罪の言葉に、


「あ、いいえ……分かっていただけて何よりです」


 訳の分からないまま、取りあえず安堵する那波なわ


 訳が分からないのも無理はない。

 ジェーンが勝手に騒ぎ出して、勝手に頭を下げてきたのだから、はたから見たら奇行以外の何物でもない。


(日本には、遥か昔からこのような素晴らしい文明が存在していたんですわね……)


 しかし、当の本人は日本の歴史に感銘し、それをさげすんでいた自分自身を恥じて謝罪したのだった。


「日本、アメイジング! 素晴らしいですわっ!!」


 見事なまでの手のひら返しで、賛美の言葉を連呼しながらはしゃぎ始めるジェーンに、教室内の誰もがどうしていいのか分からず固まってしまうのだった。


 処刑エンド令嬢レディ灰島はいじまナデシコ――

 高校デビューで完全にやらかしてしまった瞬間だった。

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